Ender’s Game


エンダーのゲーム  (2013年11月)

「エンダーのゲーム」はオースン・スコット・カード作のベストセラーのジュヴナイルSFの映像化だそうだ。そういえば聞いたことがあるようなタイトルだが、かといってそれ以上何か知っていたことがあるわけではない。要するに「ハリー・ポッター (Harry Potter)」「ハンガー・ゲーム (The Hunger Games)」みたいな路線なんだろうなと漠然と思うだけだった。


近い将来、地球はフォーミックスと呼ばれるエイリアンの襲撃を受け、壊滅に近い打撃を受ける。人類は今後のエイリアンの襲来に備えるため、戦闘の指揮に才能の片鱗を見せるまだ幼い少年少女を集め、教育、選別する。彼らは人よりも早く大人になる必要があった。全員過酷な競争と指導教育を受け、期待に答えられない者は次々とドロップ・アウトしていく。その中でエンダーは抜群の成績を見せて次のステップへと上っていくが、まだロウ・ティーンのエンダーがその過程で失ったもの、歪ませたものもまた大きかった‥‥


「エンダーのゲーム」は、エンダーがバトル・スクールにおいて、同様に将来の士官候補であるライヴァルたちと鎬を削る描写が話のかなりの部分を占める。その競争を勝ち抜きながら成長していく様を描くドラマだ。そこでポイントとなるのが、人工ステーションでの無重力状態でのバトル・シミュレーションで、敵味方のチームに分かれて実戦さながらのバトルを行う。


その時、はっきり言ってどういうルールで対戦が行われているかを知る術はない。なんとなくはわかる。無重力状態で隊列を組んだり加速させたりして、たぶん誰か一人、もしくは全員が、待ち伏せている相手の裏をかいて向こう側に到達できたら勝ちのようだが、それ以上の細かいルールは説明してくれるわけでもなく、スクリーンに映っていることを見ながら想像するしかない。


要するに「ハリー・ポッター」におけるクィディッチだ。あれもまったく新しいゲームで、しかも箒に乗って空を飛びながら行う球技のこととて、細かいルールなんてわかりようもない。意外だが、これらのゲームは、百聞は一見に如かずのはずの映像媒体より、ルールを文字で詳しく説明できる文字媒体の方が、ゲームをイメージしやすい。見るより読む方が適しているのだ。たぶん一定の進行を覚えて慣れてくると、視覚の方に移った方がよりルールを把握しやすくなると思うが、ゼロからものごとを始める時、なぜこうなるかああなるのかは、説明があった方が理解しやすい。


そのため「エンダーのゲーム」でも「ハリー・ポッター」のクディッチでも、映像自体はかなりスピード感があってエキサイティングなはずなのだが、それでも私が感じたのは、わけがわかんなくてちょっと退屈かも、というものだった。ルールを知らないゲームやスポーツは、フラストレーションが溜まる。たぶんフェンシングとかスカッシュとかのスポーツを見ると、運動感はあってもなんでそこで点が入るかよくわからないと思う者が多いと思うのだが、それと一緒だ。そのうち飽きてくる。自分でここをこうすればああすればという想像力を働かせる余地がない。


特に「エンダーのゲーム」の場合、中盤の展開の多くをこのシミュレーション・ゲームに負っており、ここで置いてきぼりを食らうと、その後の展開に乗りにくい。とはいえこのゲームのルールを、原作を読んでない者が把握するのは難しいだろう。一方で、是非ともこれを映像化しないといけなかったというのもよくわかる。この部分なくしてはエンダーの成長振りを描けず、作品は成り立たない。


「エンダーのゲーム」が誉められているわけでも貶されているわけでもなく、単に無視されている風なのは、この辺りが大きく関係しているような気がする。この部分で人を納得させることができれば、そこそこよくできた作品という評価をされたのではないかと思えるが、結局何が何やらよくわからなかったね、で終わってしまい、評価のしようがない。そこで止まってしまう。さらには、クライマックスにおけるエンダーの最終試験を兼ねたバトル・シミュレーションでも同様の印象がつきまとう。エンダーが何やっているのかよくわからないのだ。


もっとも、だいたいスポーツにおける最も興奮する瞬間というのは、得てして何が起こっているのかよくわからなかったりする。よくわからないが何かすごいことが起こったという確信がエキサイトメントの源泉だったりするので、実は見えていることの1から10まですべてを把握している必要があるかというと、そうでもない。映画も同じで、時に理解より感覚が優先される場合もある。ではあるが、やはりもうちょっとなんとかならなかったものか。例えば「スター・トレック (Star Trek)」における宇宙でのバトル・シーンは、かなりの部分理解できない部分がある。しかし面白くエキサイティングであるという意見には、誰もが同意するだろう。


世に映像化不可能といわれる原作を遂に映画化! という触れ込みで宣伝される大作映画はごまんとあるが、その惹句を体現しているのが「エンダーのゲーム」だ。そしてそれが成功しているかどうかという点については、首を捻らざるを得ない。とはいっても、では面白くなかったかというとそんなこともなく、私は結構楽しんだ。基本的に話は少年少女の成長ものだが、実際に「ヒューゴの不思議な発明 (Hugo)」からあっという間に大きくなった主人公エンダーに扮するエイサ・バターフィールド、「トゥルー・グリット (True Grit)」のヘイリー・スタインフェルド、「ゾンビーランド (Zombieland)」のアビゲイル・ブレスリン等、ちょっと見ない間に皆、映画という枠を超えて実際に成長してという感じだ。


近年「カウボーイ&エイリアン (Cowboys & Aliens)」、「42 (42)」といちびり系親父へと変身を遂げているハリソン・フォードや、「アイアンマン3 (Iron Man 3)」からまたがらりと雰囲気を変えたベン・キングズリー、それにヴィオラ・デイヴィス等のヴェテラン俳優を見るもまたよし。さて、問題はエンダーたちが訓練しているシミュレーションをよりよく理解するために原作を読むべきか、あるいはその時間を捻り出す余裕はあるか。演出は「ウルヴァリン: X-Men Zero (X-Men Origins: Wolverine)」のギャヴィン・フッド。











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近未来、エイリアンが来襲し、人類はパイロット、メイザー・ラッカム (ベン・キングズレー) の英雄的な行動によりなんとか絶滅を免れるが、再襲来に備える必要があった。まだ幼い頃から将来を見込まれた少年少女が士官候補として青田刈りされ、専門の教育機関バトル・スクールに送り込まれた。エンダー・ウィッギン (エイサ・バターフィールド) は、その中でもハイラム・グラッフ大佐 (ハリソン・フォード) によって特別に目をつけられていた逸材だったが、素行に不安定な面が見られ、まだ子供のエンダーを必要以上にプッシュすることに対し、アンダースン少佐 (ヴィオラ・デイヴィス) は消極的だった。エンダーはスクールでペトラ (ヘイリー・スタインフェルド) と親交を深め、二人は協力して上の段階へと進んで行くが、常に新たなライヴァルたちが彼らの前に立ちはだかる‥‥


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