Eagle Eye


イーグル・アイ  (2008年10月)

シカゴのコピー店で働くジェリー (シャイア・ラブーフ) がある時アパートに帰ってみると、そこには大量の武器類が部屋の中に所狭しと置かれていた。そこへ謎の女性から電話がかかってきて、FBIが来るからすぐに逃げろという。わけがわからないジェリーは結局FBIに捕らわれの身となるが、そこでも何者かが電話をかけてきて結局ジェリーは好むと好まざるとにかかわらず脱出せざるを得なくなる。その時ジェリーを助けたレイチェル (ミシェル・モナハン) も、何者かからの指令により否応なくジェリーの手助けを強いられていた。いったい彼らを手足のように使って謎の相手は何を企んでいるのか‥‥


___________________________________________________________


実はこの作品、予告編はかなり前から何度も目にしていたのだが、公開時期がはっきりしなかった。公開直前のマスコミ評とかを見ているとあまり好意的とは言えない評の方が断然多かったから、たぶん事前に試写を何度もしながら編集で詰めるなど色々作業していたんだろう。


とはいえ予告編で見るアクションはやはりそれなりにエキサイティングで面白そうで、しかも製作はスティーヴン・スピルバーグ、演出は前作「ディスタービア」で一躍注目されたD. J. カルーソー、主演がその「ディスタービア」およびスピルバーグの「クリスタル・スカルの王国」等、若手では最も注目されている一人のシャイア・ラブーフとなれば、これはやはり食指をそそられる。ついでに共演のミシェル・モナハンも「ゴーン・ベイビー・ゴーン」でなかなかいい表情を見せるなと思っていたので、ここは評はともかく買いだ、と劇場に足を運ぶ。


ラブーフが演じる主人公ジェリーは町のコピー店で働いているしがない店員の一人だった。ある日一本の電話が入って、ジェリーの双子の兄が死んだことが知らされる。ドロップアウト組のジェリーと違ってできのいい兄は、政府の重要なポストで将来を嘱望されていた矢先の死だった。


故郷での葬式から帰ってきたジェリーは、ATMから金を引き出そうとして、稼いだ覚えもない巨額が口座に振り込まれているのを見て驚愕する。さらに自分のアパートに帰ると、小さな国くらい消してしまうのに充分に思えるくらいの様々な軍事機材が所狭しと積まれているのを見て驚愕する。直後に謎の電話があり、ジェリーにすぐそこを脱出せよ、FBIがすぐそこまで来ていると伝えるのだった‥‥


話はその後、否応なく謎の電話の言いなりになって行動するジェリーと、同様に息子を人質にとられたため、やはり謎の電話の指示に従ってジェリーを助けるシングル・マザーのレイチェルを絡めて展開する。


で、結局ポイントはこんな話を信じられるかどうかという点に絞られると思う。情報社会であり、街の至る所に監視カメラがとりつけられている現代においては、ジェリーの行く先々が監視されているという設定にもそれなりの説得力はあると思う。その謎の女性の正体については、 それまで真面目にリアル系のサスペンス・スリラーと思って見ていた者には気の毒だが、SFと思えば別に特に気にはならない。これまでにもこういう設定の作品は結構あった。むしろそうだろうという気配は最初からかなりぷんぷんに匂っており、信じれる信じれないはともかく、これで騙されたと思う観客はそんなにいないんじゃないか。


それにジェリーとレイチェルが最初に会うシーンのカー・チェイスは文句なしに面白い。プロのドライヴァーでもないのに、信号を自在に操作できる謎の人物によって、プロ・レーサー顔負けのまた新しいタイプのカー・アクションが展開する。こういう作り方もあったのか。その後も謎の人物の指示に従うまま話は加速度を増して進む。単にアクションを楽しむだけだったら文句を言わせないハリウッドらしい作品で、私はかなり楽しんだ。



(注) 以下結末に触れてます。ご注意。


実は私見ではこの作品が一番弱いというか違和感があったのは、結末である。話がリアルかというよりも、最後の、主人公二人のあり方がちょっとひっかかった。最後、ジェリーは一か八かの賭けに出て自分に注意を引き寄せることでレイチェルと彼女の息子を助けることに成功するが、自分自身は撃たれてしまう。ハリウッド映画だからそれでも助かるかとは思ったが、次のシーンでは吊り包帯しているだけでぴんぴんそのもの。


さらに、ここが一番難しかったのはわかるが、まだまだ若造のラブーフは、熱血漢役にははまっても、恋愛ものの主人公とはなりにくい。定石なら逃避行を共にした主人公二人は最後にはできて当然なのだが、ラブーフはどうもそういうイメージにしっくり来ないのだ。当然作り手もそう思っただろうし、試写を見せられた観客もそう思っただろう。かといってあれだけ感情的にシンクロした二人になんの発展もなく終わるというのもヘンな気がする。さらにレイチェルの子供の存在は、大人向けならともかく、家族向けアクションにおいては不倫や浮気を匂わせ、うまくない。


それで最後のあのほっぺにキスというさらりとした演出になったものと思われるが、たぶん大元は二人は最後にはできるという筋書きだったものが、試写を見た者たちの反対によって至急撮り直されたんではないかという、いかにも便宜的に付け足されたものという感じが濃厚にした。あるいは、キスもなくさらっと二人は別れたのかもしれないが、それにも反対は多かったろう。私としてはここはジェリーに潔く名誉の戦死を遂げてもらって終わりというのがもっともしっくり来るが、ハリウッド映画としてそれも不可だったのもわからないではない。


結局、アクション一辺倒で来てその辺のとってつけたような幕切れの切れ味の悪さがどうしても引っかかるのだった。戦争ものではないスピルバーグ製作だからしょうがないかとも思うが、サミュエル・フラーならちゃんとジェリーにとどめを刺してくれるぞという一抹の欲求不満が、内容の理不尽さなんかよりももっと私が不満に思う点なのであった。ラブーフは今後、いかに恋愛ものをこなして死に際を飾れるかという点が、彼のキャリアの分かれ目になると思われる。







< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system