ディーナ (ビヨンセ・ノウルズ)、ローレル (アニカ・ローズ)、エフィ (ジェニファー・ハドソン) の3人は幼い頃からずっと一緒に歌を歌ってきたが、アポロ・シアターのオーディションで落とされる。がっかりした3人だったが、中古車販売業の傍ら音楽プロデュースを手がけるカーティス (ジェイミ・フォックス) の目に留まる。カーティスは人気シンガーのジェイムズ・アーリー (エディ・マーフィ) の前座につけることで、3人の知名度を上げることを考えるが‥‥


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近年、完全復活とは言えないながらも数は僅かながら定期的に製作され、それなりに客を集めているミュージカル、感謝祭からクリスマスという年末という時期に公開されるのもほぼ定位置となった感がある。いかにも華やいだ雰囲気を持つミュージカルは、確かにこの時期に見るのが最も相応しいという気がする。


その最新作「ドリームガールズ」は、やはり「レイ」「ウォーク・ザ・ライン」「ビヨンド the シー」の列に連なる近年の流行りの実録もの、さらに「シカゴ」「オペラ座の怪人」を範にとった人気ブロードウェイ・ミュージカルの映像化、その上主演が今をときめくビヨンセ・ノウルズに「レイ」のジェイミ・フォックスと来れば、ほとんどヒット間違いなしという気がする。オールド・ファンは、オリジナル・ブロードウェイのそもそもの範となった、ダイアナ・ロスとシュープリームズと比較して楽しむという見方もできよう。


通常、アメリカでは新規公開映画は金曜から公開される。ただし「ドリームガールズ」に至っては、この華々しさに合わせようという腹か、全米公開はクリスマス当日、月曜から始まった。その翌日はもう平日であり、通常公開初日を含む週末に最も稼ぐ新規公開映画の場合、こういう風に週末以外の日から新規映画が全米公開されるのは非常に稀だ。いきなり週末にまとめて稼いで全米興行収入第1位、なんてはったりを利かせにくくなるからだ。それでもあえてクリスマス当日拡大公開に踏み切ったのは、よほど映画の成功に自信があったんだろう。


実際、新年となって何か新鮮な、華やいだ気持ちになるものを見たいなと考えている者が「ドリームガールズ」を選ぶのはほとんど自然な成り行きのように思える。私もそう思ったわけだし、劇場が観客でほとんど埋まっているのを見てもそのことが窺える。しかも、ただでさえ年末にジェイムズ・ブラウンなんてソウル界の大御所が他界している (来年また今度はブラウンのドキュドラマの製作か?) となれば、なおさら人は「ドリームガールズ」を見ようという気になるんじゃないかと思う。


オリジナルがブロードウェイ・ミュージカルだから当然とも言えるが、「ドリームガールズ」の場合、作品中、歌の占める割合が高い。当たり前のようにも聞こえるが、同じブロードウェイ・ミュージカルの映像化である「シカゴ」よりも、明らかに「ドリームガールズ」の方が音楽の占める比重が高いのだ。さらに、基本的にサクセス・ストーリーである「ドリームガールズ」は、私の人生は、とか、こうやって生きてきた、とか、私にはこれしかない、みたいな歌い上げるタイプの曲が多い。ばーんと一曲一曲で盛り上がって終わり、フェイド・トゥ・ブラック、なんて最近ではあまり見られなくなった場面転換の技法を用いる。舞台ではそこでスポット・ライトが消えて満場喝采なんて瞬間なんだろう。


特にその印象が強烈なのが作品の中盤、今後のグループの売り出しのために実力はピカ一だが態度がでかく口も悪いエフィ (ジェニファー・ハドソン) をクビにしてメンバーを入れ替えるという場面で、一人ステージ上に残されたエフィが今の気持ちを歌う。ここでは切々と心情を吐露するという感じで歌わせる演出も可能だと思うが、もちろんそういう風にはならない。高らかにあんたに私のことを愛していると言わせてみせると歌い上げる。もちろんクビになった理由は自分にこそあり、他人を責めることはできない。単純に自業自得でしかないわけだが、そうなっても反省の色を見せず、周りのことなんか頓着せずに前向きに生きようという姿勢には、これは道徳的によくないのではという疑問を差し置いて、ほとんど感動させられるのも事実だ。ここまで自分勝手に生きられるのは、才能というものだろう。生き馬の目を射抜く有能ビジネスマンであるフォックス演じるカーティスが甘ちゃんに見える。


たぶん、エフィがビヨンセ演じるディーナのように美人でスタイルもいいと、そういう展開にはならないと思う。エフィが見かけの上では体重過多でお世辞にも可愛いと言えない造形になっていて、たぶん昔からおいしいところは人に横取りされてきたような人生であり、そういう逆境に持ち前の前向きな姿勢で戦ってきたという含みがあるからこそ、そこでこういう風に彼女にスポットが当たって歌い上げるというシーンにまだ観客が感情移入できるんだろう。しかしハドソンのすごいところは、たとえそういう背景を知らなくとも充分観客に訴えかけることのできるだろう歌唱力にある。あるいは、観客の目を自分からそらさせない存在感と言えるか。


実は後半にも、ビヨンセが気持ちのたけを歌い上げるという盛り上がるシーンがあるのだが、しかし、中盤のこのハドソンのソロのシーンこそが、物語としては最も盛り上がるシーンであることは間違いない。彼女が高らかに歌い終わってスクリーンが暗くなった瞬間、場内から拍手喝采が起きたのだ。これじゃほとんど実際にブロードウェイで舞台を見ているのと変わらない。黒人ミュージカルで、乗りのいい黒人観客が多かったというのもあるだろうが、しかし、長い間映画を見てきて、上映している最中にたぶんほとんどの観客がスクリーンに向かって拍手するなんて光景を初めて見た。いきなり場内が明るくなって途中休憩が挟まる錯覚を起こしかけた。


「ドリームガールズ」は、ネイム・ヴァリュウの点から見てもポスターを見ても、主演はビヨンセとフォックスだろうが、作品を見た後、観客に最も印象に残っているのはハドソンだろう。彼女はFOXのかの「アメリカン・アイドル」の2004年の第3シーズンのファイナリストのうちの一人だ。当然このシーズンで最も印象に残っているのは優勝したファンテイジアで、彼女の歌った「サマータイム」は、これまでの全エピソードでも上位を争うのは間違いないくらいのできで、いまだによく覚えている。ハドソンは途中で落とされて、実は彼女が何を歌ったかはほとんど覚えてないが、性格がまったく「ドリームガールズ」のエフィと寸分違わず、歯に衣着せず思ったことをずけずけと言い、いつもジャッジのサイモンと対立していた態度の悪い女という印象しか覚えていない。それがこうやって復活してきたというのは、映画顔負けのドリームガールである。


次に印象に残るのがジェイムズ・アーリーを演じるエディ・マーフィで、芸人としてのマーフィの本領を遺憾なく発揮している。こういう癖のある脇の方が印象に残る生きたキャラクターを与えられている場合、残念ながら主演であるはずのビヨンセとフォックスはあまり印象に残らない。主演というトップ・ビリングにもかかわらず、二人とも貧乏くじを引いたという感がするのはいかんともし難い。


とはいえ「ドリームガールズ」は、いかにもブロードウェイ・ミュージカルらしい華やかさ、ラージャー・ザン・ライフ的なはったりに満ちたサクセス・ストーリーだ。甘過ぎもせず辛過ぎもせず、適度にスパイスも利いたストーリー展開、聞かせどころ満載のチューンと、まったく飽きさせない。演出は「キンゼイ」のビル・コンドンで、音楽映画も撮れるのか。たった一つ、私の側の問題を言うと、私はどうしても「アイドル」でハドソンを自尊心過剰のいけ好かない女、と思った印象から抜け切れず、100%彼女に感情移入して見れなかったことにある。「アイドル」さえ見てなかったらねえ、本当に心からハドソンを応援しながら見れたと思うんだけど‥‥






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Dreamgirls    ドリームガールズ  (2007年1月)

 
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