たぶん世界同時配信の新「セーラームーン (Sailor Moon)」みたいに、人気がある和製アニメはいまだにあることはあるが、一時のように右を向けば「ポケモン (Pokemon)」、左を向けば「遊戯王 (Yugioh)」、他にも有象無象うじゃうじゃという感じであったアニメも、近年は影が薄くなった。
そういう時代に、今さら「ドラえもん」?という意識があったことは事実だ。クラシックであることは認めるが、私がティーンエイジャーだった時代に、内容はともかく絵柄は既に古いという印象が否めなかった作品を、わざわざ今アメリカで放送する意味があるのだろうか。あるいはそのキッチュさが受けるというマーケティング結果が出たとか。
報道された記事を読んでみると、どうやら今回のアメリカ放送は、ディズニーが力を入れているというよりも、番組、というかキャラクターを売り込みたい日本側が、放送自体に関しては収益度外視で展開しているようだ。政府も後押ししてとにかく今は露出度を高め、その後のキャラクター・グッズ等の関連分野で収益を上げようと考えているらしい。
その「ドラえもん」、小学生の頃は無類のマンガ好きだった私だが、それでもほとんど読んでいない。どっちかっつうと藤子不二雄なら「プロゴルファー猿」、もしくは「魔太郎がくる」の方だった。あるいは、逆にもっと時代を遡って「オバケのQ太郎」か「パーマン」でもいい。要するに、1960年代前半生まれの者にとって、「ドラえもん」はリアルタイムで読むには幼な過ぎ、かといってキッチュに感じたり逆受けするほど古くさいわけでもない、中途半端な位置にあるマンガだった。
それでも、あれはいったいいつだったか、中学生だったような気がするが、その「ドラえもん」のいくつかある最終回の一つ、「帰ってきたドラえもん」をたまたま読んで、不覚にも思わずもらい泣きをしたことがある。「ドラえもん」侮り難しと思ったことを覚えている。ただし、それでも1979年から放送の始まったTVアニメの「ドラえもん」は、これまで一度も見たことがない。マンガはまだ読んでいたが、その頃は高校の部活や東京の大学生生活に忙しく、TVはTBSの「ザ・ベストテン」とスポーツ中継とニューズ以外はほとんど見てなかった。
その「ドラえもん」をアメリカに持ってくることに関しては、色々と問題や制約があるだろうということは想像に難くない。同じ日本人の目から見ても時代を感じるし、なんといっても「ドラえもん」は、「ポケモン」や「セーラームーン」とは乗りが違う。アメリカ人の子供に受けるだろうか。ということで、今回の「ドラえもん」のアメリカ放送に関しては、多くの部分でマイナー・チェンジが施されている。やはり畳の生活には馴染みのない国なのだ。
元々アニメを海外に輸出する場合は、日本語の看板が英語に直されたり、というようなことは以前から頻繁に行われていた。しかし、今ではそういう知らない文字がクールに思われる風潮もある。意味を理解しているかどうか疑わしい漢字をタトゥーにしている者は結構いる。どうせ一見すりゃ舞台がアメリカじゃないことなぞ一目瞭然なのだ。今回はそれよりも、単に文字ではなく、ストーリーの上でどうしてもこれは馴染まないと思える点に手を入れる方がいいと考えたに違いない。
特に気にしたのが、ヴァイオレンスや子供のヘルシーな食事だ。日本のヴァラエティ・ショウ、特に漫才は、ボケがツッコミにはたかれるというのは日常茶飯、というか、それなくしては漫才が成り立たない。しかし、ちょっとしたことから発砲、殺人事件へとエスカレートしやすいアメリカでは、そういうちょっとしたはたき合いもご法度だ。特に露出度の高いTVは、すぐに目をつけられる。そのため、基本的にそういう部分はすべてカットされた。
また、ミシェル・オバマ、ファースト・レイディが肥満の多い子供の食生活改善に力を注いでいる時に、主人公がばくばくどら焼き (ヤミー・バン (Yummy bun)) を口の中に突っ込む「ドラえもん」は、やはり収まりがよくない。それでその部分も大幅に削られた。因みに食事の時に登場人物が手にしているのは箸ではなく、ナイフとフォークだ。お金の通貨も円ではなく、ドル札を持っている。その他、主人公のび太の名はノビー (Noby) となり、しずかちゃんはスー (Sue)、ジャイアンはビッグG (Big G) スネ夫はスニーチ (Sneech) に改められた。
因みにジャイアンの決めゼリフ、「オレのものはオレのもの、お前のものもオレのもの」は、What's mine is mine. What's yours is mine. と、これはほとんど直訳だ。ドラえもんのガジェットは、四次元ポケットがFourth Dimensional Secret Gadget Pocket、タケコプターがホプター (Hopter)、メカ-メイカーが Mecha-Maker と、これもだいたいそのままか直訳になっている。
番組第1回は机の引き出しの中からドラえもんとノビーの子孫であるソビーが登場し、ノビーが将来結婚するのは、ビッグG (ジャイアン) の妹のリトルG (ジャイ子) だという。そんなバカなと慌てるノビーに対し、ドラえもんとソビーは、大丈夫だ、本人の努力次第で未来は変えられると慰める。しかし、それでもし未来が変わるなら、子孫であるソビーは存在しなくなる理屈だ。
ノビーもそれに気づいて、ソビーにそれだと将来君たちはいなくなってしまうんじゃないのと訊くのだが、ソビーはそれに対して、あまり深く考えたらダメだとたしなめる。未来から来た者が、現在を変えることによって消えてしまうというタイム・トラヴェルものの永遠の命題が、あっさりと、深く考えたらダメだで解決されてしまう。「ドラえもん」怖るべしと思ってしまうのだった。