放送局: アニマル・プラネット (AP)

4/16/2007 (Mon) 20:00-20:30

製作: RIVRメディア、モンクス・オブ・ニュー・スキート

製作総指揮: ディ・バグウェル・ハスラム、ロバート・ラングレン

製作/監督: キンバリー・ワン

ナレーション: サム・ロバーズ


内容: 素行の悪い犬と共同生活を送りながら矯正を試みる修道院をとらえる。


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犬好きのアメリカ人は多い。そのことは街中を歩いていればよくわかる。特に一人暮らしで犬を飼っている者にとっては、犬はペットというよりもほとんど家族同然であったりする。むろんパリス・ヒルトンみたいに、小型犬を行く先々に一緒に連れて行くということをファッションの一部と考えて犬を飼うやつのせいで、一部に悪しき風潮が広まってしまったということはあるが、あくまでも少数派だ。


一方、本当に家族の一員として飼われているため、ほとんど自分を犬と認識せず、人間と同等と考えている犬も多い。因みに私んちは犬ではなく猫を飼っているのだが、やはり甘やかせて育てたため、明らかに我々夫婦を食事を供給する召し使い以上のものとは認識していない。朝なんか、自分が腹へっているのにこちらが起きてこないと、隣りのリヴィング・ルームから助走つきで走ってきて思い切ってジャンプしてこちらの無防備の腹の上に飛び乗る。げぼげぼして一瞬で目が覚める。猫ですらこれだから、それよりも頭のいい犬が放任で育てられれば、かなり図に乗るだろう。


そういう甘やかされた犬のしつけがかなり問題になっている証拠として、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネル (NGC) の犬のしつけ番組、「ドッグ・ウィスパラー」こと「さすらいのドッグ・トレーナー」の人気がかなり高いことが挙げられる。「さすらいのドッグ・トレーナー」は、調教師のシーザー・ミランが問題のある犬を抱える家にお邪魔してしつけ直して帰っていくという、いわば犬版「ナニー911」、あるいは「スーパーナニー」とでも呼べる番組だ。この番組がかなり注目されたことは、昨年のエミー賞にもリアリティ・ショウ部門でノミネートされたことからもうかがえる。さらに犬と一緒になってのエクササイズ番組「K9カーマ」、および犬小屋作り方指南の「バーキテクチャー」という番組まで登場するにいたっては、やりすぎとすら思わせた。


ところで話は横道に逸れるが、この「さすらいのドッグ・トレーナー」という邦題はうまくない。だいたい、番組ホストのシーザー・ミランは、要請に答えて結構色んなところに行くけれども、本人はちゃんとLAに自分の犬の矯正施設を持ち、地に根を張って生活している。まったくさすらってなんかいない。たぶんよくパブリシティに使われる、荒野だとか砂漠のようなところを何頭もの犬を従えて歩くミランのイメージからの連想だろうが、かなり違和感ある。


さらに、犬をトレーニングするというよりも、本人 (犬) が持って生まれた本来の資質を目覚めさせるという感じのミランの犬に対する接し方は、やはりトレーナーというよりもウィスパラーという言葉こそがしっくり来る。なんで「ドッグ・ウィスパラー」ではダメだったのか。たぶんまだこの単語を知らない人の方が多いから、くらいの理由づけだと思われる。「ザ・ホース・ウィスパラー」が「モンタナの風に抱かれて」になっちゃったわけだし。しかし原作の方は「ホース・ウィスパラー」という原題がカタカナに置き換えられたままで発売されている。「ドッグ・ウィスパラー」で行けないことはあるまいと思うが。


いずれにしても、自然科学系のチャンネルであるNGCが「さすらいのドッグ・トレーナー」を放送することは我々視聴者にとっては別に何の問題もないが、しかし、たぶん動物番組専門チャンネルのアニマル・プラネットにとっては、非常に切歯扼腕ものだったに違いない。自分たちのチャンネルにこそ相応しいと思える番組が他のチャンネルで人気を獲得していくのを見るのは、それは悔しいだろうと思う。もし「ドッグ・トレーナー」の話が先にアニマル・プラネットに来ていて、それを蹴った結果、話がNGCに流れたのだとしたら、その時の編成責任者はクビが飛んでも文句は言えまい。アニマル・プラネットが、「ドッグ・トレーナー」に対抗することのできる番組の企画を頭を絞って考えたことは想像に難くない。


たぶんそうやってでき上がったと思われる「ディヴァイン・ケイナイン」は、しかし後続番組としては、「さすらいのドッグ・トレーナー」と同様の番組だと思われたり、その二番煎じと見られることは避けたかった。そのための新機軸は、「ディヴァイン・ケイナイン」で犬をしつけ直す役目を請け負っているのが、ニューヨークの北方に位置するニュー・スキーツという小さな町、というか村の、とある修道院の僧侶だということにある。なんでもこの修道院は、僧侶の日々のお勤めの一環として犬の世話が行われており、広大な敷地の中、神に祈りを捧げながら犬をしつけ直すのだ。こいつは‥‥なんか知らないけど面白そうだ!


番組第1回のそもそもの最初の態度の悪い犬として選ばれたのは、ステラと呼ばれる雌のキャバリア・キング・チャールズ・スパニエル (こんな犬の種類があったことを初めて知った) で、この犬、やはり甘やかされて育てられた。それも徹底してお嬢様扱いで育てられた。散歩に行くのに歩いているのは一緒の人間だけで、自分は人間の赤ん坊用のベイビー・カーに乗って座りながら散歩するのだ。そんなの散歩と言わない! 当然ステラはわがままになる。飼い主の言うことなんてまるで聞く耳持たない。そりゃそうだろうと思う。しかし飼い主夫婦に子供が生まれることになり、ついにステラはその玉座から追われる時が来た。その暁には人間の赤ん坊がベイビー・カーに乗り、ステラは自分の4本足で歩かざるを得ない。そんなの当たり前だ。


そこで、甘やかされたステラは、訓練し直すために僧院に預けられる。なんか、最初から飼い主がある程度しつけておくことこそが大事だよな、これじゃ犬の方が可哀想だ、なんて超わがままの自分ちの猫のことはおいといて感想を持ったりしたわけだが、やはり、外で遊ばせることが大事な犬の場合、猫に較べていっそう最初のしつけが大事であることは言うまでもないだろう。


そこで番組は本題のステラの再教育の方に移るのだが、実は、「ドッグ・トレーナー」では見せ場の一つであるその訓練の模様が、「ディヴァイン・ケイナイン」ではあまり面白くない。要するに「ドッグ・トレーナー」では、シーザー・ミランという唯一無二の存在が、それまでは絶対に言うことを聞かなかったわがまま犬を瞬時にして言うことを聞かせるようにするという、その劇的な変化が番組の醍醐味の一つだった。しかし、よりオーソドックス (実際この僧院は東方正教会の一派だ) な犬の訓練法に頼る「ディヴァイン・ケイナイン」では、犬を一と月なり6週間なりと預かり、その間に地道に、ごく真っ当な訓練法で教育し直すことがポイントとなっている。つまり、やっていることは他のどの犬の調教師ともほとんど変わらない。そのため、そこにあまり妙味はないのだ。結局、僧侶に訓練し直されるといっても、犬も一緒になって神に祈りを捧げるわけではない。犬がクリスチャンになるわけではないのだ。


また、僧侶だって、犬をしつけている時に僧服でいるわけではない。当然動きやすい私服、要するにジーンズ姿だ。そのため、ジーンズをはいている、一見ごく普通の人間がごく一般的な基本的なしつけを犬に教え込んでいる様を見ても、特に面白い点があるわけではない。単調とすら言える。もちろん、広大な自然の中で、毎朝同じ時間に起こされ、散歩を欠かさず、規則正しい生活を送るようになったステラは、見違えるようによくなる。シーザーのように一瞬で劇的な変化を起こすわけではないが、効果は抜群だ。むしろ、シーザー以外の者が同じことをやろうとしてもできないことを考えると、長い目で見るとこちらの方が効果的と言える。ただその変化が緩慢だから、ドラマとしては単調に見えるわけだ。



アニマル・プラネットは、「ディヴァイン・ケイナイン」と抱き合わせで、もう一つの犬のしつけ直し番組「イッツ・ミー・オア・ザ・ドッグ (It's Me or the Dog)」の放送も始めている。ただしこちらはオリジナル番組ではなく、既に英国で放送されている番組の放送権を買ってきてアメリカで放送しているだけだ。調べたところ、番組の放送開始が「ドッグ・トレーナー」が始まったほぼ1年後になっているので、たぶんこれも「ドッグ・トレーナー」に触発されて始まったものと推測される。


「イッツ・ミー・オア・ザ・ドッグ」の場合は、イヌのしつけに携わるトレーナー兼ホストがヴィクトリア・スティルウェルという女性で、これがなかなか性格がきつい。当然甘やかされた態度の悪い犬の矯正に奔走するわけだが、彼女の場合、犬を再教育するというよりも、そういう風にさせてしまった飼い主側の方にも問題が多いということで、飼い主の犬に対する態度を改めようと、飼い主にずけずけと忌憚なく意見を述べる。というか、文句を言うという感じに近い。


これは一理ある。態度の悪い犬ができてしまった理由の多くは飼い主側にあるのであって、こちらの態度を改める方が先決というのは理に適っている。ただし、その飼い主の考え方を改めようとスティルウェルがとる方法はかなりスパルタで、実はそれが結構面白い。私が見たエピソードでは、犬の態度が一瞬よくなったように見えてもまたすぐ元の木阿弥に戻ってしまうことに業を煮やしたスティルウェルは、飼い主を犬のシェルターに連れて行く。そこではたぶん、やがて処分されてしまう運命を待ち受けるしかない捨て去られた犬たちが、哀しい目をして檻の中に閉じ込められている。


これを見て心を動かされない犬好きはいまい。そこでスティルウェルはとどめの一言を飼い主に囁く。あなたが率先して犬を指導して矯正しなければ、自治体はあなたの犬を近所に迷惑をかける犬としてとり上げてここに連れてくるしかないですよ、と。かなり怠惰者だった飼い主は、ここで泣かんばかりになって自分の態度を改めることを誓うのだ。なんか、さすが「スーパーナニー」を生み出した本家が作る番組だという気がする。こうやって、大西洋を挟んだこちら側とそちら側で、また一つ、態度を改めた飼い主と犬の仕合わせなファミリーが誕生するのだった。 







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ディヴァイン・ケイナイン: ウィズ・ザ・モンクス・オブ・ニュー・スキート   ★★1/2

 
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