Dawn of the Planet of the Apes


猿の惑星: 新世紀 (ライジング)  (2014年7月)

マイケル・ベイ演出の「トランスフォーマー」シリーズ最新作、「ロストエイジ (Transformers: Age of Extinction)」が公開され、しかもかなりいい興行成績を上げているようなのだが、いかんせんこちらとしては既にもう興味がほとんど持てなくなっている。それでも前回の「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン (Transformers: Dark of the Moon)」までは見ており、見ると確かに最先端のCG技術に驚かされはするのだが、しかし、だからそれで、と思ってしまうのも事実だ。元々CGより生身のアクションに惹かれる体質であり、腰が重い。 

 

ガキの頃からフィギュアにも興味がなく、最初の「トランスフォーマー」を見るまでタカラのトランスフォーマーというフィギュアの存在も知らなかった。ヴィデオ・ゲームも初代ニンテンドーのスーパーマリオ・ブラザースで止まったままだ。因みにそのスーパーマリオも、最終ステージの最後の画面まで達しはしたものの、ついに全部クリアすることなく終わってしまった。以来ヴィデオ・ゲームとはとんと無縁だ。 

 

案の定アメリカのメディアもシリーズにいい加減飽き始めており、総じて意見が辛い。この低評価を見るに、見る価値はあまりないと判断、今回は「トランスフォーマー」はパスすることにする。それで他の候補が同様にCG使いまくりの「猿の惑星」というのがまた痛し痒しという気もしないでもないが、CGのロボットよりはまだCGのサルの方に惹かれるのだった。 

 

その「猿の惑星: 新世紀 (ライジング)」は、主演はシーザーを演じるアンディ・サーキスということになっている。むろんその他のサルたちもそれぞれ基本的に一匹のサルを一人の俳優が演じている。とはいうものの、では、誰が誰だかを事前に知らずに俳優名を当てることは事実上不可能だ。サーキスは実際にすべてのシーザーを演じているだろうが、だからといって、視覚的にどう見てもサルはサルでしかなく、人間ではない。 

 

一方、「エレファント・マン (The Elephant Man)」のように、誰が見てもエレファント・マンを演じているジョン・ハートが、一見しただけではハートと見分けがつかないにもかかわらず、アカデミー賞にノミネートされた例もあった。確かに演技というものは顔の表情だけではなく、全体の身体の挙措動作にも関係するものだろうが、しかし、誰が誰だかわからないものをいったいどうやって評価するという考えもある。今後CG技術が進むに連れて、こういった境界の概念はますます曖昧になっていくだろうが、そこに明確な線引きは可能になるだろうか。 

 

さて、今回の「新世紀 (ライジング)」は、前回の「創世記 (ジェネシス) (Rise of the Planet of the Apes)」から10年後の世界を描く。ウイルスの蔓延によって多くの人間が死亡した後、生き残った人間と知恵をつけたサルとの間で、生存をかけた戦いが繰り広げられる。 

 

「ジェネシス」は、人類絶滅の危機を描くどちらかというとホラー的要素の強い作品だったが、「ライジング」はバトル・シーンの多い、よりアクション映画という印象を与えるものとなっている。オリジナルの「猿の惑星」シリーズも2作目からはよりアクション色が強まったが、1作目はホラーというよりも、すべてが明らかになるどんでん返し的クライマックスが決め手の、むしろミステリといった印象の方がより強かった。 

 

今回のようにオリジナルがホラーで2作目がアクションという体裁で思い出すのは、実は「猿の惑星」というよりも、「エイリアン (Alien)」だ。「エイリアン」も1作目はSFというよりもホラーで、2作目はかなりアクション色が強まった。どちらも人間対別の種という構図も似ている。 

 

今シリーズで面白いのは作品タイトルで、今回の邦題は「ライジング」だが、これは原題では第1作のタイトル (「Rise of the Planet of the Apes」) だ。その第1作は邦題では「ジェネシス」になり、今回の「Dawn」が「ライジング」になった。つまり原題では蜂起 -- Riseがあって、その後に夜明け -- Dawnがやってくる。これが邦題ではまず創世 -- ジェネシスがあって、次に蜂起 -- ライジングが起こる。原題ではある鬱屈した状況があって、それをまずぶち壊してその後に新しい世界が始まるのだが、邦題ではまず何かが生まれ、それから立ち上がる、という印象を与えるものになっている。 

 

ついでに調べてみたところ、シリーズ第3作のタイトルは現時点では未定だが、まず「War of the Planet of the Apes」になるのは間違いないということだった。蜂起があって夜明けがあって戦争があるわけだが、これは邦題でも、創世があって蜂起の次には、やはり戦争になるんだろうなと思うが、さて。 

 

「ライジング」は、前回にも増してサンフランシスコという特定の場所で話が展開する。もちろんウイルスを世にばらまくことになったそもそもの原因がサンフランシスコにあり、シーザーらがサンフランシスコ周辺に居を構えている以上、舞台がサンフランシスコになるのは当然だが、生き残った人間自体は、まだまだ世界中に散らばっているだろう。まさか生き残った人類が、サンフランシスコ近辺にいるだけということもあるまい。果たして今後戦争が起こるのはサンフランシスコ近辺だけなのか、それとも世界中に飛び火するのか。その場合、私としては、スノウ・モンキーとして世界中に広く名を轟かせる、温泉に入る日本のサルたちに知性を持たせて広く活躍してもらいたいと、強く思うのだった。 










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治療法のないウイルスの蔓延によって多くの人間が死に、知性を手に入れたシーザーをリーダーとするサルたちの蜂起から10年後、シーザーには後継ぎのブルー・アイズも生まれ、サンフランシスコではサルたちの群れの生活は一応の安定を見ていた。しかし彼らの住む山に、マルコム (ジェイソン・クラーク) やエリー (ケリ・ラッセル) ら、麓 に住む生き残った人間たちの一団が足を踏み入れる。電力が枯渇しそうになったために、山の中腹にあるダムを利用できないかと考えたのだ。人間と揉め事を起 こしたくないシーザーは、山に武器を持ち込まないこと、および期限を決めた条件付きで入山を認める。しかし強硬派のコバは人間に甘いシーザーの判断を快く 思っておらず、それはまた人間側のカーヴァー (カーク・アセヴェド) にしても同様だった‥‥


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