Dawn of the Dead   ドーン・オブ・ザ・デッド  (2004年3月)

病院で看護婦としての勤めを終え、くたくたになって帰宅してベッドに入ったアナ (サラ・ポーリー) がふとした気配を感じて目覚めると、様子のおかしい娘が立っていた。と思ったのも束の間、娘は夫に飛びかかり、噛みついて咽喉を食いちぎってしまう。やがて絶命したかに見えた夫は、すぐに立ち上がり、今度はアナを襲おうとする。必死に車で逃げ出したアナは、街中の人間がいつの間にかゾンビと化した中、運転を誤り、事故を起こす。そこに現れた警官のケネス (ヴィング・レイムス) と共に行動するアナは、同様にゾンビから逃げるアンドレ (メカイ・ファイファー) やマイケル (ジェイク・ウェバー) と出会い、街外れのショッピング・モールに立てこもるが‥‥


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ホラー映画のクラシックとして名高いジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」のリメイク。最初、本当に何から何までそっくりの単なるオリジナルの焼き直しになっていたらどうしようと思っていたのだが、街中の人間がなぜかいきなりゾンビ化し、生き残った人々がショッピング・モールに立てこもるという基本的な設定を借りている以外はかなりオリジナリティの高い話で、ほとんどブランド・ニューの作品と言っても通用する。これならリメイクする意味もある。


今回、オリジナルと最も変わっているのは、ゾンビが走ることにある (ホラーというジャンル全体を見渡すと、走るゾンビはたとえギャグにせよ既に現れているが、今はそれは置いておく。) オリジナルの「ゾンビ」では、何かの目的を持っているのかも知れぬゾンビが、ゆるゆると、いまだゾンビ化していない普通の人間が立てこもるショッピング・モールを取り巻くというシチュエイションが、得も言われぬぞくぞくする恐怖感を煽っていた。


前回ではゆるゆると動くゾンビをはっきりとカメラがとらえることができたため、そのおどろおどろしい形相をじっくりと拝見することができたが、今回は全力で走るゾンビが、ある一定時間以上スクリーン上に留まることがなく、さらに彼らの動きが速いため、視覚上常にはっきりと把握できるわけではない。そのため、予定外のことであるが、今回のゾンビは、どんなにメイキャップ技術が進み、実際にはおどろおどろしい姿形をしていようとも、彼ら自身の容貌はそれほど怖くない。というか、恐ろしいと感じさせるほど、観客が彼らの姿を目にじっくりと焼きつける時間がないのだ。


また、前回では、ゆるゆるとではあるが、あとからあとから際限なく現れては人間に向かってくるゾンビに対して、不毛の戦いを挑んでいるという、しょせん負ける勝負を戦っているという絶望感が作品全編を支配していた。しかし今回はそのスピード感もあり、どちらかと言うと、あとからあとから現れるヴィデオ・ゲームの敵役を撃ち殺すというゲーム感覚の方が濃厚だ。


ゾンビが走って襲いかかってくるのは、確かに怖いは怖いだろうが、そういう運動に対しては人間もとっさに反応できたりするもので、やはりどちらかというとこれは、ホラーというよりもアクションである。「ジュラシック・パーク」で、絶滅したはずのT-レックスが主人公たちの乗った車を走ってくるのを見て、ぎゃー、早く逃げろーっと叫び、あとでああ怖かったと言っているのと、走ってくるゾンビから逃げて一息つくのとは大差ない。


その点、この作品でやはり一番ぞくぞくするのは、冒頭の5分間、それまでは平常だった町がいきなりゾンビの町と化すところで、要するに、まだ娘や夫が普通の人間だと思っており、無防備のままのアナに対して、いきなり後ろから何かが飛びかかってくるのではと、観客が勝手にどきどきするところにある。やはり見える相手に対してのアクションよりも、こちらの想像力に訴えかけてくる方が怖い。


また、ゾンビが走るという設定が、昨年公開された「28日後」とよく比較されていたりするが、もちろん両者は別物だ。少なくとも「28日後」のゾンビもどきは、謎のウィルスに冒された、一応いまだ人間 (直る見込みはまずないが) であり、死者が甦ったわけではない。ただし、自分らとは別の生き物 (死者に対し、この比喩はヘンだな) という点に関しては両者は共通しているが、それでも、主人公が一か所に立てこもり、ゾンビの包囲に対して抵抗する「ドーン・オブ・ザ・デッド」と、逆に、主人公の道行きが中心の、ロード・ムーヴィ的匂いを発していた「28日後」は、まったく別物と断言して差し支えあるまい。


小道具として最も効果的だったのは犬の使い方で、そういえばゾンビは、なぜ人間だけがゾンビとなり、他の動物はゾンビ化しないのかという疑問点、いや、そもそも人間とゾンビ以外はまったく他の生命体が登場しない「ゾンビ」において、視点を逆転した捻りを導入している。それと、果たしてゾンビが子供を産むことができるかという新しい問題提起は、どちらかというとギャグになってしまっていたが、狙いとしては面白い。また、モールから離れたところに他の生き残った人間がいて、その人間と双眼鏡を用いてボードに文字を書いてやりとりしたり、暇な時間をチェスをして過ごすなんて緩急を入れてギャグを挟む展開は、いかにも現代的と言うべきか。


実際、今回のスピード感のある設定のためか、その疾走感が時に哄笑を誘うシーンが多々あるのも今回の特色。特に冒頭、ゾンビと化したアナの夫が全力疾走してアナの車を追っかけている途中、そばに別の人間を見つけて、いきなり方向転換して新しい獲物に飛びかかっていくという場面は、爆笑を誘う。あるいは、無法の町を走る車がガス・ステーションに突っ込んで爆発炎上するというシーンを俯瞰でとらえたショットは、まさしくヒッチコックの「鳥」を彷彿とさせ、その笑いを誘うシーンと共に、もしかしてこの映画はヒッチコック版「ゾンビ」になるのかという思いを抱かせもする。もちろんそんなことはないんだが。


それと、今回、主要な舞台となるショッピング・モールが、前回よりも建物が低い。そのため、前回ではモールの中をエレヴェイタに乗って上下に移動する回数が多く、そのたんびに、エレヴェイタのドアが開いた途端、何が出てくるかとドキドキした展開が今回はなかった。「ゾンビ」で最も有名な、それまでは人間だった主人公の一人が、ゾンビと共にエレヴェイタに閉じ込められ、次にエレヴェイタが開いた時、ゾンビとなって現れるというショッキングなシーンが目にこびりついている身としては、そういう点では、今回のモールの使用は、前回ほど効果的だったかについては一歩譲る。当時の文明の最先端の象徴として存在し、その無機質性がたゆたうゾンビの群れとシンクロして、存在自体が文明の墓標的意匠となっていた前回のモールに較べ、今回は、ただ、閉じ込められた主人公たちが、外に出なくても水や食料や着替え等の、生きていく上で必要最小限の準備を提供しているという、話を矛盾なく展開させること以上に作品に貢献しているわけではない。


ただしこれはもちろん、撮影隊がうまく見つけることのできた解体寸前のモールが、こういうものだったからという但し書きをつける必要があろう。製作陣の最初の考えでは、「ゾンビ」同様のモールを使用し、生き残った人々がその中を上下左右右往左往するはずだったのが、見つかったモールが低層構造だっただけなのかもしれない。実際の話、都心で人が住む住宅が近年どんどん高層化しているのに対し、郊外で新しく建設されるモールは、アウトレットを意識した、低層の、横に面積が広がるタイプが多い。もしかしたらどんどん肥満化しているアメリカ人に対応するため、いざという時でも階段の上り下りの必要のない低層モールが流行っているのかもしれない。いずれにしてもこういう現実が今回の映像化にも影響を与えているわけで、「ドーン・オブ・ザ・デッド」において、視覚的に大きな差異を産むことになった。


しかしあのエンディングは、はっきり言って気が滅入る。今回、最も賛否両論分かれそうなのが、ゾンビが走ることでもなく、エンド・クレジットと共に現れる、ほとんどおまけ的な結論なのだが、その前で一応話としては終わっていたわけだから、別にわざわざこんな後付けを必要ともしなかっただろうに。あるいは、あんなふうに終わるくらいなら、もう最後の最後までやっちゃって、最後まで見せて終わってくれよと思ってしまった。今回もそれなりに面白いが、あれでは怖いというよりは不快で、そこまで見せずとも、怖いまま終わったオリジナルの「ゾンビ」の方が、本当に人を怖がらせるという点では上だろう。







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