Dark Shadows


ダーク・シャドウ  (2012年6月)

18世紀。英国からメイン州の港町に移民してきたコリンズ夫婦は事業に成功し、自身の名を冠したコリンズポートを興す。一粒種バルナバス (ジョニー・デップ) はプレイボーイとして成長するが、魔女アンジェリーク (エヴァ・グリーン) を振ったことで彼女の怒りを買い、ヴァンパイアにさせられた挙げ句、生き埋めにされてしまう。200年後、偶然にも工事中に発掘されて復活したバルナバスは邸宅に戻る。そこでは女性当主のエリザベス (ミシェル・ファイファー) 以下、長女キャロリン (クロイ・グレイス・モレッツ)、長男デイヴィッド、居候のロジャー (ジョニー・リー・ミラー)、精神科医のホフマン (ヘレナ・ボナム・カーター)、使用人のウィリー (ジャッキー・アール・ヘイリー) という、一癖も二癖もある面々が、落ちぶれながらもまだ大邸宅に暮らしていた。そこへデイヴィッドの家庭教師と雇われたヴィクトリア (ベラ・ヒースコート) が到着し、そしてまた、アンジェリークもまたこの世界に生きていた‥‥


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特にティム・バートンと相性がいいとは思わないしファンというわけでもないが、バートン作品は結構見ている。定期的に新作が公開されるところを見ると、私以外にも固定ファンもかなりいるようだ。近年は自分の撮りたいものが撮れるようになったため、ほとんどがジョニー・デップと、夫人のヘレナ・ボナム・カーターを起用したダーク・ファンタジーもの一辺倒となりつつある。バートン独自の美意識が最も発揮されるジャンルなんだろう。


そういう特性を生かす企画として、最近のバートン作品は、ほとんどが既によく知られた話、原作を映像化している。「チャーリーとチョコレート工場 (Charlie and the Chocolate Factory)」然り、「スウィーニー・トッド: フリート街の悪魔の理髪師 (Sweeney Todd: The Demon Barber of Fleet Street)」然り、「アリス・イン・ワンダーランド (Alice in Wonderland)」然りだ。そしてまた、「ダーク・シャドウ」もその例外ではない。


オリジナルの「ダーク・シャドウズ」は1966年から71年にかけてABCで放送されたTV番組だそうだが、私は見たことがなく、まったく知らなかった。最初の1シーズンだけ白黒で、あとのシーズンはカラーで放送されたそうだ。その辺もまた、バートンのイメージを膨らませた一因と思える。


ちょっと調べてみると、「ダーク・シャドウズ」はTV番組はTV番組でも、プライムタイム放送の番組ではなく、日中に放送されていた、いわゆるソープ・オペラのゴシック・ホラーだった。バートン作品と切っても切り離せない捻ったユーモアがあるわけでもない、シリアスなソープ・ゴシックだったようだ。


最初IMDBをチェックしていて、5シーズンしか放送していないのに、主人公バーナバスが登場しているエピソード数が594話となっているのを見た時は、タイプミスかと思った。600話になんなんとするエピソード数なんて、プライムタイム・ドラマならどんなに早くても25年はかかる。本当にヴァンパイアじゃないと同じ見かけのまま続けてなんかいられない。ソープ・オペラか。道理で聞いたことがないと思った。


想像だが、たぶん「ダーク・シャドウズ」は、NBCが2000年代に放送していたファンタジー・ホラー・ソープの「パッションズ (Passions)」に近いのではないだろうか。「パッションズ」は、とある地方の旧家を中心に、魔法とか呪いとか不死の魔女とかが登場するゴシック・ホラー・ソープで、私はこんな番組が昼日中に放送されていることに驚いたものだが、実は「ダーク・シャドウズ」というカルト的人気を得た前例が既にあったのだ。なるほど、そういう水脈もあったのか。考えれば、日中の暇な奥様方を対象にするソープに、ゴシック・ホラーという一ジャンルがあっても、確かにおかしくはない。いかにも子女向きとすら言える。


「ダーク・シャドウズ」は、1971年には最終回を迎えているが、今回のバートン版「ダーク・シャドウ」は、1972年と時代が明確に設定されている。わざわざほんの数年だけ時代を後ろにずらした理由は、ファッションと音楽にあると思われる。要するにバートンの趣味だ。


冒頭、いかにもといった感じの衣装に身を包んだヴィクトリアがコリンズポート目指して汽車に乗る。バックに流れる音楽はムーディ・ブルーズの「サテンの夜(Nights in White Satin)」だ。ほとんど英国人と化して英国人のボナム・カーターと共に英国に住んでいるバートンがプログレッシヴ・ロックのムーディ・ブルースを聴くのは当然という気もし、また一方でプログレはプログレでも、ピンク・フロイドやイエスといった有名どころではなく (まあムーディ・ブルースだって知られてはいるが)、ムーディ・ブルースといったところがポイントだ。


調べてみると、「サテンの夜」発表は1967年で、じわじわと人気が出てヒットしたのが1972年だそうだ。サウンド・トラックを見ると、「サテンの夜」と、こちらは1966年発表のドノヴァンの「シーズン・オブ・ザ・ウィッチ (Season of the Witch)」以外はほとんど1971年か72年発表の曲で占められているから、やはりこの年に思い入れがあるんだろう。


私も「サテンの夜」を聴いた途端、いきなりこの曲がよく巷に流れていた当時の記憶が甦ってきた。ちょうどその頃小学生の私は、南国育ちの癖になぜだかアイス・スケートにはまっており、日曜によく友達と連れ立って町に一軒しかないアイス・スケート場にバスに乗って出かけていた。その時によく場内に流れていた曲として覚えているのが、「サテンの夜」と、なぜだかミッシェル・ポルナレフの「愛の休日 (Holidays)」だった。


どちらも大仰な音楽で、それがなぜだかスケート場のBGMとして雰囲気に非常にマッチしていたのをよく覚えている。「サテンの夜」を聴きながらスケート場の休憩時間にラーメンを啜っていたのだ。あのラーメン、具はほとんど入ってないインスタントなのに、身体を動かして汗かいた後の冷えた身体に染み入るようで、やけにうまかった。


いずれにしても音楽は流行った当時の記憶と密接に結びついている。音楽が鳴り出した途端、それまでは何十年も思い出しさえせず、あることすら覚えていなかった記憶がいきなり鮮明に甦ってくるのは自分でも驚くくらいで、こんな記憶、いったい今まで自分の頭のどこに仕舞われていたのかとまったく不思議だ。数年前にデイヴィッド・フィンチャーがサンタナを使って「ゾディアック (Zodiac)」を撮った時も、NBCの「サタデイ・ナイト・ライヴ (Saturday Night Live)」の30年前のシリーズ・プレミア・エピソードを見た時も、同じような記憶のフラッシュ・バックを体験したのを思い出す。


考えるとどちらも時代は1970年から75年といったところで、今回の「ダーク・シャドウ」と重なり合う。要するに、多感なこの時期に聴いた音楽が細胞に染みついているため、曲を聴くと記憶も甦るのだろう (実際には私がサンタナを聴いたのはそれより後のことだが、まあそれはそれとして。)


バートン作品はこういう音楽や時代設定、衣装等、本人の嗜好が前面に出てくる。というか、本当は時代云々より、なによりもまずジョニー・デップという存在イコール・バートン作品みたいな印象がある。近年はデップ・プラス・ボナム・カーターがセットという印象が強く、この二人に思う存分奇天烈な衣装を着せて動かすのが楽しくてしょうがないみたいだ。


こういう特質が頑としてあるため、バートン作品は、結構世の評価が高かったり評判になる頻度が高いわりには、わりと見る人を選ぶ。私もバートン作品が好きか嫌いかと訊かれると、気になることは事実なので劇場に足を運びはするが、実は特にファンというわけではない。私の女房なんかははっきりと、バートン作品とは合わないと断言している。それでも、やはり評判になったりすると気になると見えて、今回一緒に見たのだが、帰ってきてから、寝ちゃった、やっぱりバートンはもう見ない、とのたまった。


実はこれは私も感じたのだが、バートン作品はまったくつまらないわけではない。積極的に面白いとさえ言えるが、しかし、今回、私も途中で一瞬眠くなった。別に睡眠時間が足りてないわけではない。前夜充分寝ている。それでも眠気を催すのは、たぶん絵作りとリズムの問題だろう。要するに、安心して快適なのだ。だから寝れる。つまらなくて眠いのではなく、まったくその逆で、作品世界で充足させてくれるがために満足して眠くなる。映画のリズムが睡眠時の呼吸のリズムと合っているんじゃないだろうか。どんな題材で撮っても眠くさせるとは、ある意味バートンの力を証明しているとすら言える。










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