Crank High Voltage


アドレナリン: ハイ・ボルテージ (クランク: ハイ・ヴォルテージ)  (2009年5月)

ヘリコプタから落ちて瀕死のシェヴ (ジェイソン・ステイサム) はチャイニーズ系のマフィアに拉致される。気がついたシェヴは心臓を取り出され、代わりに人工心臓を埋め込まれていた。バッテリーのパワーがなくなると死んでしまうため、常になんらかの電源を探し求めてチャージしながら、自分の心臓を持って逃げ回る男を追いかけるシェヴ。果たして彼は無事自分の心臓をとり戻すことができるのか‥‥


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やっと昨年末からずっとずっと予告編が流されっぱなしだった「路上のソリスト (The Soloist)」が今週から公開だ。「ソリスト」は主演の一人が「アイアンマン」で昨年の映画界を席巻した旬のロバート・ダウニーJr.で、その上、作品自体もオスカーを狙える作品とかなんとか言われていたものだから、スタジオもその気になったんだろう、最初、オスカー狙いの作品が続々と公開される年末に公開が予定されていた。


しかし年末になってその他の強力なライヴァル作品が公開され始めると、これで本当に大丈夫かとスタジオ側が段々弱気になったようで、確か公開日が発表になっていながら、突然公開が延期になった。とはいってもそれまでずっとTVでも劇場でも予告編はばんばんかかっていた。そのため、公開を遅らせるとはいっても既に盛り上げ始めていたプロモーションをいきなり全部取り止めるわけにもいかなかったようで、公開の予定はまったく立ってないくせに、予告編だけは相も変わらず延々とTVで流されるという事態がこの半年ほどずっと続いていた。


それがやっと公開が決まったわけだが、それまで延々と予告編ばかり見させられた身としては、既に本編を何度も見たような気になっていて食指が動かない。これまでコマーシャルを見た回数は少なくとも100回は下らないんじゃないか。たぶん頭の中で既に捏造されてしまっている映画のストーリーも実際に当たらずとも遠からずだろう。意地で放送され続けたTVコマーシャルの回数とそのコマーシャル料を慮るに、映画がどれだけ当たっても、既に到底元はとれないレヴェルに達していると思われる。


それどころか、公開初週の成績を見るに、普通に公開されていても元がとれたかどうか疑わしい成績でしかなかった。あれだけしつこくコマーシャル見せられ続けると、やっぱり誰でももういいと思うのだ。最初、これは当たると誰もが思っていたはずの作品が、今年最も呪われた作品になってしまった。ダウニーJr.もジェイミー・フォックスも演出のジョー・ライトも、この作品のことは早く忘れたいと思っているだろう。


で、結局、どうしても「路上のソリスト」を見る気にはなれなかった。うちの女房に訊いても、やはり「ソリスト」はもういいとまったく私と同じ意見だったため、その「ソリスト」もやっているマルチプレックスの隣りのハコで、ほとんど方向性としては正反対の、「アドレナリン (Crank)」の続編、「クランク: ハイ・ヴォルテージ」を見た。反動ってやつだな。


「ハイ・ヴォルテージ」は冒頭、主人公シェヴが取っ組み合いをしながらヘリコプタから落ちてくるというシーンから始まる。気を失ったシェヴが目が覚めると自分の心臓が人工心臓と取り替えられており、本物の心臓を取り返しに奔走するという人を食ったストーリーだ。これは映画を見た後帰ってきて内容をチェックして知ったのだが、前作「アドレナリン」が、シェヴがヘリコプタから落ちるというシーンで終わっていたらしい。要するに「ハイ・ヴォルテージ」は、パート2というよりも完全にその続きだ。「カジノ・ロワイヤル (Casino Royale)」「慰めの報酬 (Quantum of Solace)」、あるいは「マトリックス・リローデッド (The Matix Reloaded)」「レボリューションズ (The Matrix Revolutions)」と同じ関係が、「アドレナリン」と「ハイ・ヴォルテージ」なのだ。


とはいっても「ハイ・ヴォルテージ」の場合、007や「マトリックス」のように前作を見ていないとストーリーがよくわからないということはまるでない。ヴィデオ・ゲームでステージ1をクリアしないでいきなりステージ2から始めるというような唐突さはないではないが、同様に、ステージ2から始めてもそれはそれで面白く見れる。実際、冒頭のシーンは昔のヴィデオ・ゲームよろしくピクセル画で描かれており、製作者の意図もまさしく、ヴィデオ・ゲームのように楽しんで下さいということにある。


だいたい、自分の心臓が人工心臓と入れ替えられており、それをとり戻すために奔走するという設定が、もうヴィデオ・ゲームだ。実際には心臓移植をして目が覚めたばかりの人間が、心臓が盗まれたことに気づき、本物をとり戻すために走り回ることができるわけがない (一瞬、FOXの「24」のジャック・バウアーならやりかねんと思ったことは認める。) 第一、心臓を盗むことが目的なら、心臓を取り出したらわざわざ人工心臓を埋め込むことなどせずに、そのまま放置して死んでもらえばいい。なにもわざわざ人工心臓を入れてやることもあるまい。さらに、本当にそういう手術をしたなら、それだけでまるまる一昼夜はかかる大手術だ。それをほとんど殺菌設備すらありそうもないしもた屋で、下卑た医者や看護婦がこなせる技じゃなかろう。


なんて突っ込みどころ満載だが、むろん映画はそんなこと百も承知で作っている。ポイントはその、自分の心臓をとり戻しに奔走する主人公シェヴの八面六臂の大活躍にあり、それを描くために作っている。要するにシリアス・タッチのギャグなのだ。「アドレナリン」を見てないから、もっとシリアスなアクション・ドラマかと思っていたので最初は面食らったが、そうとわかればこっちも心構えができる。


今回の話の最大のキモは、人工心臓に据え替えられたシェヴが、その心臓を機能させ続けるために、常に心臓を充電し続けなければならないということにある。心臓が止まれば当然死んでしまうのだ。ある時はババアにくっついて身体をこすり合わせて静電気を起こそうとするし、クルマのジャンプ・ケーブルを舌に挟んで充電したり、最後にはそれこそ発電盤に両手を突っ込んで電気ショックを与えようとする。本当にキャラクターにあれこれ力を与える裏技を駆使しながらロール・プレイング・ゲームをしているようなのだ。「バイオハザード (Resident Evil)」「トゥーム・レイダー (Lara Croft Tomb Raider)」のように、ヴィデオ・ゲームを映画化した作品というのはいくつもあるが、しかしわざわざヴィデオ・ゲームのように撮った作品というのはそうはないだろう。逆転の発想の妙と言うか、確かにこれはこれで面白い。


とはいえ、ギャグのセンスの乗り、特にセックス・ジョークは今一つ野卑過ぎて特には笑えない。リン・ベイは単にかまびすしいだけだし、競馬場で、興奮したシェヴとガール・フレンドのイヴが大観衆の面前の馬場のど真ん中で馬が走っているというのにセックスし始めるのは、これはヴィデオ・ゲームかあるいはマンガなら効果あるかもしれないが、実写の映画だとほとんど悪趣味と言われるのがオチという気がする。


そのシェヴのガール・フレンド、イヴに扮しているのがエイミー・スマートで、実は私は3年前にCBSが製作して3話放送しただけでキャンセルした「スミス (Smith)」でなかなかスマートのことを買っていたので、うーむ、今はこういう役をやっているのかと感じ入るものがあった。スマートは、きれいな肌と白い歯が必須のハリウッド女優の中で、いつ見ても顔に吹き出物痕がいくつか残っており、そのことが特にいいわけでも悪いわけでもないが、少なくともその点で印象に残る。本人も多少は気にしてないわけはないと思うが、そのことが大衆におもねらないとでもいうような独特の印象を形作っていることは確かで、「スミス」ではそういう印象と役柄がうまくマッチしていた。


一方、主人公のシェヴに扮するジェイソン・ステイサムは、表の顔が「トランスポーター (The Transporter)」、裏の顔が「クランク」という印象で固まりつつあるようだ。特に「ミニミニ大作戦 (The Italian Job)」から「トランスポーター」の流れを汲むカー・ドライヴァーという印象が定着しており、おかげで「デス・レース (Death Race)」もあるなど、なんか本職のカー・ドライヴァーが余暇に映画にも出ているみたいな印象すらある。「ザ・バンク・ジョブ (The Bank Job)」みたいなドライヴァーではない作品ですら、ガレージを経営していたりする。あとはステイサム主演で「ザ・ドライヴァー」か「ブリット」のリメイクを作るしかあるまい。演出は前作のマーク・ネヴェルダインとブライアン・テイラーが今回も共同で当たっている。








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