放送局: コートTV

プレミア放送日: 9/10/2000 (Sun) 22:00-22:30

製作: コートTV

製作総指揮: キャロリン・クレスキー

クリエイター/製作: リチャード・クローリング、エリック・ナドラー

監督: ジョン・レクヤー

編集: デボラ・バーコウ

音楽: J. D. フォスター


内容: マンハッタンの地方検事局オフィスで記録用として撮影された犯罪者のインタビュー/告白を編集。


第1話「Money to Eat」

1989年にベルヴュー・ホスピタルで女医を殺害、レイプした黒人のスティーヴン・スミスの告白を収録。スミスは最初、共犯の男が女医を殺害したと主張していたが、後に自分の犯行を認める。


第2話「Every Seed Makes a Difference」

1989年、イースト・ヴィレッジでルームメイトの女性を殺害してばらばらにしたダニエル・ラコヴィッツの告白。女性の姿が見えなくなったことから段々噂になり、ラコヴィッツに嫌疑がかかった。ラコヴィッツは当初犯行を否定していたが、後に犯行を認める。


第3話「The Day I'll Never Forget」

チェルシーで足の不自由な客をナイフで突き殺した男娼デイヴィッド・ガルシアの告白。ガルシアは足の不自由な客のアパートに呼ばれ、そこで犯行に及んだ。


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視聴者を獲得するために、少しくらいはあざとい真似をしても話題になる番組を製作しなければならない番組製作者の苦労はわかる。しかし「コンフェッションス」は、流石にFOXのリアリティ・ショウに慣れている視聴者の度肝をも抜いた。なんてったって登場するのは正真正銘モノホンの殺人者、その殺人者がどのように殺人を犯したかという告白(コンフェッション)を、公共の電波で放送してしまおうというのだ。


この番組「コンフェッションス」を放送するコートTVは、読んで字のごとく裁判(コート (Court))関係の番組だけで構成するチャンネル。95年、アメリカ中で話題となったO. J. シンプソン事件の裁判を一日中中継して一挙に知名度を得たが、いかんせんそういう大事件がいつも起こるわけもなく、近年は低視聴率に喘いでいた。去年辺りから持ち直しているが、実は「コンフェションス」は結構力を入れた今秋の同局の目玉番組だった。


「コンフェッションス」は、マンハッタンの地方検事局オフィスで記録用として撮影された犯罪者のインタヴュー/告白を編集したものである。もともと公開を前提としているものではないから、画像は荒く、音声も聞きづらく、画面構成やライティングなどまるでなってないが、もちろん、そんなの事実が持つ重みが吹き飛ばしてしまっている。というか、そのことが逆にこれは本当に起こったことなんだと思わせてくれる。それでもこれでは芸がないと思ったか、ところどころで犯行の舞台となった場所を再訪してそのフッテージを織り混ぜたり、画面を二分割して片方にアップ、片方にロングをはめ込んだりして工夫している。


いや、もう、これはすごいね。本物の殺人者が実際の殺人を告白するのだ。最初の男スミスは当時ホームレスで喋る言葉もスラングだらけ、はっきり言って聞き取れない部分の方が多く、ほとんど何言ってるかわからなかったりする。最初尋問者に食ってかかり、ホームレスのくせに急ぎの用事があるから帰してくれと言わんばかり、犯行も第三者がやったことで自分は止めようとしたと反論するが、それが結構な役者振りなのだ。しかしスミスは被害者が身につけていた品物を所有しており、また、スミスの目撃者はいても第三者の目撃者はいなかったことを突かれ、最後には犯行を自供する。


第2話に登場するラコヴィッツはもっとすごい。この男、見かけは長髪のまったくのやさ男で、喋り方も柔らかく、人当たりのよさそうな、誤解を怖れずに言えばイエス・キリストみたいな風貌の持ち主なのだ。それがなんと同棲していたルームメイトを殺害、ばらばらにして鍋で煮た上、しかもそれを食ったんではないかと匂わせる。日本でも昔、パリで同様の事件を起こして巷を騒がせた男がいたが、ニューヨークではこのくらいの事件ではあまり話題にもならなかったらしい。


3番目の男娼ガルシアは、呼ばれていった家で身体の不自由な客をナイフで滅多刺しにして殺す。どうやって殺したのかと聴かれ、そのポーズを実演するのだが、いや、もう、私は流石にこの辺になると気分が悪くなってしまった。胃の辺りがむかむかしてきて、気持ち悪い。私は表現の自由は守られなければならないと思っており、どんな意見であろうとその意見を発表したいのならそれは止められるべきではないと基本的に思っているのだが、やはりものには限度があるというのがこの番組を見た正直な感想である。いやあ私もごく常識的な人間だったようだ。


先だってもベイシック局のFXで「デリベレイト・インテント (Deliberate Intent)」というオリジナル映画を放送しており、この番組のテーマがずばり、言論の自由はいついかなる時も守らなければならないかというものだった。これは暗殺者が出版された暗殺の手引きに書かれてあることをほとんどそのままなぞって殺人を行ったことから、たとえ憲法で守られていようとも、そのデリベレイト・インテント(内包された意図)によって自ずからその自由にも限界があると定めた歴史的裁判を再構築したものである。私は「コンフェッションス」を見ながらこの番組のことを思い出した。「コンフェッションス」のデレイベレイト・インテントは果たして何か。番組を放送するコートTVは、この番組を見て殺人者の心理を勉強するのに役立つ教育的意義があると主張しているが、そうかねえ。私はいたずらに世間を騒がせるだけだと思うのだが。この番組のデリベレイト・インテントにはあまりよくないものを感じるなあ。


結局「コンフェッションス」は放送前から放送関係者以外をも巻き込んだ非難の嵐に巻き込まれ、コートTVは番組を2回放送しただけでキャンセルを余儀なくされた。当然でしょう。いくらなんでもこんなの放送されたら、殺された被害者も浮かばれないというものだ。被害者の家族の立場になってみたら、どう考えてもこの番組、人を怒らせこそすれ教育的意義や娯楽性があるかは疑わしい。私がそういう立場だったら、はらわた煮え繰り返るに違いない。そういう時に番組の意義について的確な判断をするためにこそ、常識というものはあるのだ。 






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コンフェッションス   ★

 
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