Clash of the Titans


タイタンの戦い  (2010年4月)

ペルセウス (サム・ワーシントン) は神ゼウス (リーアム・ニーソン) が人間の女性に懸想して、鳥に化けたゼウスが半ば強引に関係を持った末に生まれた半神半人の子だった。ペルセウスは漁師の子として育てられるが、ゼウスの弟ハデス (レイフ・ファインズ) のために親妹は帰らぬ人となる。ハデスは、我こそはゼウスの後を継がんものと好き勝手に振る舞っていた。ペルセウスはアルゴの勇士たちと共にハデスを倒す旅に出る。ドラコ (マッツ・ミケルセン) らによって揉まれながら、ペルセウスは段々勇者としての素質を現し始める。しかし、彼らの行く手には怪物クラーケンや蛇の頭を持つメドゥーサという恐ろしい相手が立ち塞がっていた‥‥


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ティム・バートンの「アリス・イン・ワンダーランド (Alice in Wonderland)」と「タイタンの戦い」の3Dでは、どちらを見るべきか。と思いつつも、実はジェイムズ・キャメロンの「アバター (Avatar)」の3Dを見た後では、「アリス」も「タイタン」もどちらも特に3Dで見ようという気にはならないのだった。私にとっては3Dは間を置いて見るスペクタクルとしてある。たまに見るからいいのであって、毎月見るようなものではない。ありがたみがなくなってしまう。


見せ物という映画の発祥の本質に立ち返るならば、3Dを何度も楽しむのも正しい見方と言えなくもないのかもしれないが、しかしそれでも続けて3D作品を見ようという気にはあまりなれない。TVだってメガネなしで見れる3Dタイプもできるそうだが、本気で欲しいかと訊かれると、実は特にはそそられない。誕生日は一年に一度しか来ないからイヴェントとして楽しめるのであって、毎日が誕生日なら特別な日でもなんでもない。


バートンの「アリス」がキッチュな楽しめる作品であるのは確実と思うが、しかし、先頃SyFyの「アリス」を見たばかりなので、「アリス」というストーリーそのものには特に惹かれているわけではない。一方「タイタン」の方も、レイ・ハリーハウゼン作品をリメイクするなんて、リスペクトというよりも侮辱にならないだろうか。


とはいえハリーハウゼン作品も、見せ物という観点から見れば、あのキッチュなイメージは見せ物であるのは確かであったりする。そのリメイクを3Dで製作するというのは、正当な行為かもしれぬ。というわけで小考した結果、今回は「タイタン」で行くことにする。とはいっても上述のように、間を置かずに何度も3Dを見ようという気にだけはなれず、結局2D版を見ることにする。


ハリーハウゼンのオリジナル「タイタン」は、印象としてはほとんど3Dとして記憶に刻まれている。あの、コマ撮りによる独特のリズムと動きは、かなりイメージに遠近がかかって記憶されるためで、印象は立体だ。このイメージを今回の作り手も共有していたからこそ、「タイタン」の3D化という企画が持ち上がったのだろう。


今回その再映像化の演出を担当するのは、「インクレディブル・ハルク (The Incredible Hulk)」のルイ・レテリエ。「96時間 (Taken)」のピエール・モレルとレテリエという、リュック・ベッソンがプロデュースの「トランスポーター (The Transporter)」出身の二人のフランス人が、現在アメリカのアクション映画でかなり印象的な作品を撮っている。


主演のペルセウスを演じるのは、昨年から「ターミネーター4 (Terminator Salvation)」、「アバター (Avatar)」、そして今回と、ハリウッド大作の続くサム・ワーシントン。彼を助けるドラコにマッツ・ミケルセン。基本的に皆印象の似ている役のワーシントンより、「カジノ・ロワイヤル (Casino Royale)」「アフター・ザ・ウエディング (After the Wedding)」、そして今回のマッチョな戦士と、まるで印象の異なる役を演じているために、今回一瞬これが誰だったかとっさには思い出せなかったミケルセンの方が印象に残った。ゼウスにはリーアム・ニーソン、その弟ハデスにはレイフ・ファインズが扮している。


映画自体とはまったく関係ない話なのだが、確かこの作品を撮影中の昨冬、リーアム・ニーソンの妻ナターシャ・リチャードソンがカナダでスキー旅行中、不慮の事故で亡くなった。それをなぜいきなり思い出したかというと、この項を書いている最中に、リチャードソンのおばに当たるリン・レッドグレイヴが乳ガンで亡くなったという訃報が入ってきたからだ。万能の神ゼウスの力をもってしても、人間に対しては死という運命はどうにもならないものらしい。実際映画でも、ゼウスはペルセウスに対してせいぜい武器を授けるくらいの助力しかできなかった。あるいは、そのことこそ是とするべきか。


映画を見た後で調べものをしていて知ったのだが、「タイタン」は3D版もあるが、それは最初から3Dで撮影したものではなく、最新技術によって2D画像を3D化した、ほとんど疑似3Dなのだそうだ。テクノロジーの進歩のおかげでこういうことが可能になったわけだが、通によればこれは3Dとは言わないらしい。どうしても細部の迫力、立体感に欠けるそうだ。2Dだって結構迫力あったわけだし、疑似でもこれを3D化したら結構なものになったと思うが、ポスト・プロダクションで3D化した3D作品って、なんか騙されているような気は確かにしないでもない。


しかしこの映画で本当に納得できないこと、不満なのは、作品のできそのものではなく、ハリーハウゼンへのオマージュがほとんど感じられない点にある。いくらそもそもはギリシア神話だとはいえ、作品タイトルとストーリーはハリーハウゼン作品からほとんどそのまま頂いている。コマ撮り特撮ではなくCGとはいえ、これはギリシア神話を描いたというよりも、ハリーハウゼン作品のリメイクだ。だとすれば、そこにある種のオリジナルへの目配せは必要なのではないか。


特に、まだ存命のハリーハウゼンその人をなんらかの形で登場させてもよかったのではないかと思うのだ。それとも、ノー・クレジットのカメオ出演でどこかに顔を出していたりしたのか。そもそもこの作品が成り立つ理由となった先達に言及せず、どうしていったい育ての親や人々のために命を賭けて戦うという話が信じられる。まったく基盤がゆるいぞ。メデューサの目くらましかなんかで感覚が鈍ったか、なんて苦情の一つくらいは言いたくなる。


「ナイン (Nine)」にはソフィア・ローレンが出てて、「スター・トレック (Star Trek)」にはレナード・ニモイがちゃんと出てたではないか。そのくらいの筋はちゃんとみんな通すぞ。普段は特に誉める気にならないクエンティン・タランティーノでも、こういう時ならここぞとばかりに、それこそハリーハウゼンをゼウスとしてキャスティングするだろうに。


あるいは、当然作り手もそのくらいは考えたが断られたか、高齢のハリーハウゼンのことだ、無理があったのかもしれない。実際、レテリエは「インクレディブル・ハルク」の時は、ちゃんとTVでハルクを演じたルー・フェリグノを起用している。ということは、やはり今回は神々の力が弱かったか、などと、そんなことをふと考えるのだった。








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