放送局: PBS

放送日: 12/5/2004 (Sun) 20:00-22:00

プレミア放送日: 3/31/1957 (CBS)

監督: ラルフ・ネルソン

音楽: リチャード・ロジャース(作曲)、オスカー・ハマーシュタイン2世(作詞)

出演: ジュリー・アンドリュース (シンデレラ)、ハワード・リンゼイ (王様)、ドロシー・スティックニー (女王)、アイルカ・チェイス (継母)、ケイ・バラード (ポーシャ)、アリス・ゴーストリー (ジョーイ)、イーディ・アダムス (妖精)、ジョン・サイファー (クリストファー王子)


物語: シンデレラは父親亡き後、継母とその二人の娘からほとんど召し使い同然の仕打ちを受けて暮らしていた。二人の娘は、王子が妃を見つけるために催す舞踏会に出るための準備に忙しく、何かにつけてシンデレラに辛く当たる。塞ぎがちなシンデレラの前に現われたのが魔法使いのおば。夢と勇気を持てばかなわないものはないと、魔法を使ってシンデレラに新しい服と馬車を誂えてくれる。しかし、魔法が効くのは夜中の12時までで、その時刻を過ぎるとすべて元通りの姿になってしまうと念を押されてしまう‥‥


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リチャード・ロジャース作曲、オスカー・ハマーシュタイン作詞というブロードウェイの黄金コンビが製作した、今ではクラシックの「シンデレラ」は、過去3回TV映画化されている。最新 (とはいえもう7年以上も前の話になってしまったが) のTV映画であるブランディとホイットニー・ヒューストン主演の「シンデレラ」は、主演の二人がシンデレラが黒人で王子はアジア系と人種が入り乱れたこと等からだいぶ話題になり、日本でも放送されているはずだから、覚えている者も多いだろう。


その前に製作された「シンデレラ」は、1965年まで遡る。既に40年前の話になってしまったわけだが、その時のシンデレラに扮したのがレスリー・アン・ウォレンだ。この時のウォレン演じるシンデレラは、それまでのブロンドに青い瞳が相場だったシンデレラと異なり、茶髪できゃぴきゃぴの下町娘という感じだったそうで、当時毎年何度も何度も再放送されたために、いまだにウォレン演じるシンデレラが強烈に記憶に残っているベイビー・ブーマー層が圧倒的に多いということだ。


そしてそのシンデレラに先立つ8年前、初代シンデレラとして当時22歳のジュリー・アンドリュースを起用して製作されたのが、このCBS版「シンデレラ」である。ロジャース&ハマーシュタイン版「シンデレラ」の最初の作品であり、当時ブロードウェイの「マイ・フェア・レディ」の大成功により一躍スターとしての地位を確立しつつあったアンドリュースが主演、さらに、ヴィデオがまだ発明されてなく、基本的にほとんどすべてのTV番組が生放送だった時代の番組であり、つまり、この「シンデレラ」も生放送であったなど、様々な話題を提供した初代「シンデレラ」は、当時、アメリカの1億7千万国民のうち1億人が見たという驚異的なヒット番組となった。


しかも録画テープがないため、この「シンデレラ」は、これまで放送されたのはこの時のたった一回だけで、再放送もなく、そのまま伝説と化してしまった。とはいえ、この「シンデレラ」は、実は、当時のキネスコープの技術を使って、ヴィデオではなく、フィルム媒体に録画自体はされていた。放送する番組を保存しておくためというもっともらしい理由もさることながら、アメリカの場合、土地が広く、東海岸と西海岸では時差があり、東海岸でプライムタイムに生放送したものを西海岸でまた放送しなければならなかったためというお家の事情があったことも大きい。


そのため「シンデレラ」は、東海岸では当時の最新技術であるカラー放送が行われたが、西海岸では残念ながら画質の落ちたモノクロのキネスコープ放送となっている (しかし、たった3時間で現像、焼き付け、その他諸々の修整まで行ったのだろうか?) もっとも、東海岸ではカラー放送されたからといって、当時、カラーTVは一般にはまだほとんど普及しておらず、実際にカラーで「シンデレラ」を見たのは、ほんの数える程度しかいなかっただろう。因みにアメリカ最初のカラーTVシリーズである西部劇「ボナンザ (Bonanza)」が放送を開始するのは1959年のことである。


いずれにしても、当時のほとんどの番組はキネスコープでフィルム録画していたらしいのだが、同様にそれらのすべての番組がそうだったように、「シンデレラ」も最初から生放送ただ一回だけの番組として考えられていた。そのため、一度放送された後は、画質の劣るキネスコープの保管に頭をめぐらす者はほとんどおらず、その後、その他の記録フィルム共々、流出/紛失、あるいはTV局のどこかに埋もれて忘れ去られるという運命を辿ることになった。そのため、現在では「シンデレラ」を記録したフィルム/テープが残っているとは誰も考えてもいなかったらしい。おかげでアンドリュース演じるシンデレラは、現在60歳以上の視聴者の胸の中にのみ、伝説として存在し続けてきた。たった今までは。


今回発見された「シンデレラ」は、当然とはいえ、残念ながらキネスコープ版のモノクロ映像をリマスターしたもので、いくら処理を施しても画質も荒ければ音もかなり割れており、デジタルCD音源なんていうのに慣れ切った今の視聴者の肥えた耳を満足させることができるほどの質ではない。それでも、初代「シンデレラ」をまたもう一度見ることができるというのは、ファン冥利に尽きると言えよう。これまで3本の「シンデレラ」のどれが最もいいかという議論で、オールド・ファンがアンドリュース版が最高と胸を張って言っても、それに応答する術を持たなかった若いファンも、これで同じ土俵に立って発言することができるのだ。


私の意見を言わせてもらうと、アンドリュース版「シンデレラ」は、なんといっても生ということがその印象を決定している。さすがにアンドリュースをはじめ、出演者の歌は聴き所満載、かつ演技としてもかなり見てて楽しい。特に二人の異母姉妹が実によく、この「シンデレラ」を見ると、ロジャース&ハマーシュタイン版「シンデレラ」がコメディとして企画されたというのがよくわかる。その他にも、主要なセットは、王宮、シンデレラの家、王様の部屋の三つしかないという、現代の基準/規模からいうとはっきり言ってちゃちいセットなど、追及したくなる点はままあるが、しかし、やはり全体を覆う印象は、生番組であるというその緊張感にある。


特にその緊張感は、当然のことながら大勢の人間が一斉に画面に登場するシーン、つまりは舞踏会のシーンがピークであることは論をまたない。しかも銘々が思い思いに踊っているのではなく、同じ振り付けをわざわざシンクロさせて踊っていたりするのだ。なんでわざわざそんなに難しくするーっ!! これが生だってことがいったいわかってんのか。シンクロさせなければならないダンサーの数が増えれば増えるほどほとんど難易度は倍々で膨れ上がっていくというのに、一斉に2、30人くらいのダンサーが同じ振りで踊り始めると、ほとんど呼吸が止まりそうになる。かと思うと、階段の上から女性が男性の腕の中にジャンプ、失敗したらどうするつもりなんだーっ!!!!


この種の緊張感は当然番組全体を通じて持続する。実際に、ダンスの途中で女王役のスティックニーがついカメラ目線になってしまって慌てて目をそらしたり、王子役のサイファーがシンデレラを追いかけて階段を上ろうとして、躓いてこけそうになるなど、一瞬ひやりとさせるシーンは随所にある。また、ほとんどCGのない時代、唯一の特殊効果は妖精に扮したアダムスが魔法を使う時の花火のディゾルヴくらいで、今時、そんなの特殊効果とすら言うまい。


それでも、ディゾルヴやカメラの切り返しの一瞬でかぼちゃは立派な馬車に変わっていなければならず、シンデレラも粗末な衣装から豪華なパーティ・ドレスに変身していなければならない。かぼちゃと馬車はそれぞれ用意しておいたものを映すだけで事足りるだろうが、シンデレラに扮しているアンドリュースの場合、本人が歌舞伎並みの早変わりをしなければ始まらない。この変化は魔法を使って一瞬で行われるからこそ意味があるのだからして、ここでコマーシャルを挟んでそのうちに着替えるなんてのはもってのほかだ。


で、アンドリュースがどうやったかというと、ただ靴を履き替え、大きめのシルクのようなガウンを粗末な衣装の上から羽織っただけ、しかし、原始的な手段とはいえ、それがなかなか効果的だ。そしてカメラはアンドリュースの足元から段々チルト・アップしていき、まだ足を映している間に、衣装担当がアンドリュースの頭の上に小さな王冠を被せてセットしていたそうだ。とにかく一時はそれで凌ぎ、コマーシャルに入った後、次に登場してきたアンドリュースはちゃんと着替えてドレス・アップしているという寸法である。


こういう緊張感が番組を支配しているため、実は、当然それが本職のアンドリュースの歌だって見事なものなんだが、歌よりもどうも枝葉末節的な細部に目が行ってしまうのはいかんともしがたい。しかも、一応無事終わった番組であるわけだから大きな問題はなかったことは確かなんだが、それでもどこかでミスるんじゃないかとひやひやしてしまうというのは、自分で言うのもなんだが、変な視聴者心理だ。たぶん、ミスらないようにと緊張している俳優の気持ちが、ブラウン管を通してこちらに伝わってくるからないじゃかと思う。思えば、いつぞやCBSが生放送した「未知への飛行」でも、内容そのものよりも、俳優がいつとちるんじゃないかという、そちらの方ばかり神経が行っていた。


一方、こちらも2度ばかり生放送をしていたNBCの「ER」の場合は、実はそれほど緊張して見たわけではなかった。たぶん群像劇の「ER」は、たとえとちってもアドリブでごまかすことができるだけのストーリー展開上の余裕があるからだと思う。「ER」は色々なストーリーが並行して進むから、俳優個々の責任やプレッシャーはそれほど大きくない。逆に言うと、俳優の緊張感がそれほど大きくないため、たとえ生放送とはいえ、視聴者も気楽に見れるのだ。歌の途中で咳き込めばそこで全部がおしゃかになってしまう「シンデレラ」や、核戦争勃発かどうかという背景で、俳優の一挙手一投足に視聴者の神経が集中する「未知への飛行」のような、一字一句おろそかにできないセリフ回しが決まっている番組と「ER」では、生放送という言葉の重みが違う。


そういう、失敗の許されない「シンデレラ」で大役を無事果たしたアンドリュースは大したものだと思う。思うが、実は、私はアンドリュースの歌う、いかにもブロードウェイのミュージカル的な濁りのない歌い回しよりも、ホイットニー・ヒューストンとブランディの歌う、パワーに満ち溢れた歌の方が好きだったりする。たとえば、「シンデレラ」で最も有名な歌であろう「インポッシブル」だが、アンドリュースとイーディ・アダムスの掛け合いになる「インポッシブル」はさすがに見事なもんだが、しかしヒューストン/ブランディの「インポッシブル」は、本当に鳥肌立つほどぞくぞくしながら見たことを思い出す。私にとってはやはりクラシックよりも、同時代的な歌手や歌い方や解釈の方が身近に感じるなあと思ったのであった。





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シンデレラ   ★★★1/2

 
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