ウィリー・ウォンカ (ジョニー・デップ) が作るチョコレートは美味しいことで定評があったが、レシピを盗まれることに嫌気がさしたウォンカは製造工程をすべてロボット化し、従業員を皆解雇してしまう。ある時、ウォンカはチョコレートの中に挟み込まれたゴールデン・チケットを手に入れた5人の子供とその親をチョコレート工場に招待すると発表する。世界中の子供たちは皆我先に争ってゴールデン・チケットを手に入れようと狂奔するが‥‥


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実はあまり大きな声では言えないのだが、アメリカでは (たぶん英国でもそうだと思うが) 実は「秘密の花園」や「小公子」やアンデルセン童話あたりよりよほど知名度があると思われるロアルド・ダール原作の「チョコレート工場の秘密」の最初の映像化である「夢のチョコレート工場 (Willy Wonka and the Chocolate Factory)」(71) を、私は見ていない。


子供向け作品というよりも、ミュージカルの話をしていた時に、「夢のチョコレート工場」に話が飛ぶことが多かったような気がする。とはいえダール原作であり、子供向け作品とはいってもディズニーのような甘口作品になるわけもない。この作品をよく記憶している者、特に子供の時にリアルタイムにこの作品を見ている者は、子供向け、ミュージカル、といったキー・ワードよりも、実は「悪夢」に近い印象でこの作品について話すことが多いのが特徴だ。


この作品について話をしたある男は、「夢のチョコレート工場」を見て、あろうことかしばらくはチョコレートを食う気になんかとてもなれなかったそうだ。別の女性はミュージカル・シーンがとても怖くて夜寝られなかったと言い、ある者はウィリー・ウォンカを演じたジーン・ワイルダーがとても怖かったと言っていた。むろんそういう作品が、子供向けクラシックと言われて大人から賞揚されるわけはない。しかし、この強烈な印象のおかげで、 これを見た子供たちは「夢のチョコレート工場」を忘れることはなかった。


そのためこの作品は、表立って誉められたりすることはないが、裏のクラシックとして、アメリカ人ならほとんど誰でも知っている。子供向け作品と表向きはうたわれていても、実は決して子供向きではないというすごい作品なのだ。原作 (こちらなら読んだことがある) では、まだそれほど皮肉や悪意が表立って現れることはなく、むしろグリム童話みたいなチョコレートでできた家のイメージや、ダール得意の駄洒落めいた言葉遊びなんかの方が印象が強かったのだが、同じ顔をしたウンパ・ルンパが大挙して踊り狂うシークエンスが実際に映像として提示された場合、かなり強烈だったであろうことは想像に難くない。これをティム・バートンが再映像化したかったというのは非常によくわかる。そして当然のことながら、バートン版の「チョコレート工場」は、そういうキッチュな印象が全編を支配する、やはりどう見ても子供向けとは思えない、めくるめくイメージの世界が展開する。


実際、ダールの原作は、「チョコレート工場」に限らず、実は子供向け作品にありがちなお仕着せの勧善懲悪的な展開を見せない。その点では、本当は怖い話であるということが今では定説になっているグリム童話や日本の昔話にかなり近いと言える。ただ面白い話という点だけに集中して展開するのがダールの子供向け作品なのであり、そのため、時に主人公以外の人間は、それが一見していい奴であってもかなりひどい目に遭ったりする。物語は予定調和的にめでたしめでたしで終わるのではなく、かなり唐突という印象を与える場合も多い。


チョコレートが大好きな男の子がチョコレートでできた家に招かれ、そのチョコレートが溶け出したために奔流に飲み込まれるという悪夢は、間違いなく面白いが、しかし、彼は特に悪い子とも思えない。食い意地が張っている子が皆悪い子だとしたら、アメリカ人の半数以上は懲罰の対象になってしまうだろう。ダール作品ではよい子も悪い子も普通の子もおしなべてひどい目に遭ったりするのだが、この辺、さすが「あなたに似た人」を書いた人と思わせる。実の話、「チョコレート工場」で最も印象に残らないのは、なんのひどい目にも遭わない、誰あろう主人公のチャーリーなのだ。


結局、最終的に「チョコレート工場」では、貧しくとも家族のことを思いやるチャーリーが一番幸せなのでしたという、ハッピー・エンドというよりは、ほとんど投げやりで唐突に幕を降ろすのだが、こんなの、書いた本人だって納得しちゃいないだろうし、ましてやバートンが本気でそう思ってなぞいないことは明らかだ。結末は、作品としていつかは終わらなくてはならないから一応最も問題がなさそうな結末を付け加えてみましたみたいな印象が濃厚である。


実際、映画を見て家に帰ってからしばらくすると、覚えているのは子供たちが様々な仕掛けで虐待されるシーンと、不気味なウィリー・ウォンカと彼のテーマ・ソング、そしてウンパ・ルンパばかりで、チャーリーが最後に幸せになろうがなかろうが、そんなのほとんど覚えてないし、気にもならない。しかしウンパ・ルンパが全員あの強面で群舞を繰り広げるシーンは、やはり「悪夢」という言葉が最も似つかわしかろうと思うほど印象に残る。つまり、「チョコレート工場」は、今回も本当は子供には見せちゃいけない大人向けのファンタジー作品なのだ。子供が見た場合、心に大きなトラウマを残してしまうのがオチだろう。


主演のウィリー・ウォンカに扮するデップと、チャーリーに扮するフレディ・ハイモアは、実は既に昨年、「ネバーランド (Finding Neverland)」で共演している。その時はハイモアが完全にデップを食う印象的な演技を見せたのだが、今回はハイモアは名目は主人公だが実質は脇でしかないため、逆に貧乏くじを引いてしまった。一方、デップの方は「パイレーツ・オブ・カリビアン」よりさらに癖のある役を好演している。元々デップは、本人に特別な色のないところが重宝されてきたという印象があるが、こういう、微妙に癖のある役にひねったユーモアを加えさせると当代随一という評価が定着し始めている。それにしてもバートンとデップは本当に相性がいい。やっぱりデップも実はヘンな人なんだろう。


とまあ、私は久しぶりに、最近は滅多に食べなくなったハーシーのチョコ・バーをばりばりと齧りながらこの文章をつらつらと書き連ねているのだった。横を見ると、チョコレート大好き人間のうちの女房が、チョコレートはやはり日本製が一番と、グリコだかのチョコ・バーをばりぼりと食い散らかしている。「チョコレート工場」を見てチョコレートが食えなくなるほどのピュアな感受性は、もう我々大人にはないんだなあと思いながら、私はそれでももう一口チョコ・バーを齧ったりなぞしているのだった。






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チャーリーとチョコレート工場  (2005年8月)

 
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