Changeling


チェンジリング  (2008年11月)

1928年LA。電話会社でスーパーヴァイザーとして働くクリスティン (アンジェリーナ・ジョリー) は、母一人子一人という一軒家の暮らしで、一人息子のウォルターを目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた。ある日、職場から帰ったクリスティンはウォルターが家にいないのを発見する。警察に通報するクリスティンに、警察は、失踪は24時間以上経たないと調査できないとけんもほろろの応対に終始する。結局ウォルターは帰ってこないまま何か月かが過ぎた。そして待望の息子が発見されたという知らせが入る。駅でウォルターと再会するクリスティンは、警察の者に対して、この子はウォルターじゃないと言い張るのだった‥‥


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近年、年末になるとクリント・イーストウッドの新作がかかる確率が非常に高い。しかもそれまでは特に噂を聞いたというわけでもないくせに、いきなり劇場にかかり、オスカーをさらったりノミネートされたりして今度は話題を独占する。「ミスティック・リバー」以降は本当にそんな感じだ。


今回も年末になってアンジェリーナ・ジョリー主演の「チェンジリング」が公開、ふーむ、やはり強力なやつを撮ったんだろうなと思う間もなく、世間の注目は既にこの「チェンジリング」の後に公開されるイーストウッドの次作「グラン・トリノ」に向いていて、またアカデミー賞かと取り沙汰されていたりする。


一昨年は「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」と2か月間で2本を連続公開して我々を驚かせたが、今回は同様に2本連続とはいえまったくの別作品だ。たぶん「チェンジリング」の方は結構前にできていたのを公開時期を年末に持ってきただけだろうとはいえ、ほぼ毎年新作を発表し続けるイーストウッドの旺盛な創作力には本当に感心してしまう。


イーストウッドの近年の諸作品は、視点がどんどん弱者寄りになってきているというのは、「硫黄島」でも書いた。そして弱者寄りが徹底した挙げ句、「硫黄島」では主人公が消えてしまうほどになってしまい、イーストウッドが今後いったいどういう風に作品を撮っていくのだろうかと、ほとんど期待よりも不安になってしまったりもした。今、イーストウッドを超える演出家は世界に存在しないと断言できるが、イーストウッド自身がイーストウッドというくびきの下で身動きができなくなってやしないか。


なんて私の杞憂なんかはものともせず、イーストウッドは相も変わらず自分の撮りたいものを撮りたいように撮っているのだった。その才能もさることながら、自分の撮りたいものをスタジオに納得させて金を出させる力をも合わせて、やはりイーストウッドは唯一無二の存在だと思わざるを得ない。


今回の舞台は1920年代のLAだ。電話会社で働くクリスティンは、一人息子のウォルターと二人だけで郊外の一軒家に住んでいた。クリスティンはウォルターのために生きていると言っても過言ではないほど息子を溺愛していたが、そのウォルターがある日行方不明になる。警察に電話するクリスティンに対し警察は、だいたいこういう事件はすぐに自然に解決するため、行方不明者の調査は通常通報から24時間以上経たないと始めないとけんもほろろの応対に固執する。


結局ウォルターは帰ってこず、警察も調査を始める。しかしウォルターは発見できなかった。しかし数か月後、ついにウォルターを発見したという連絡がクリスティンの元に入る。喜び勇んでウォルターを引き取りに駅に赴いたクリスティンは、しかし、警察が引き渡したウォルターに対し、この子はウォルターではないと言って周りを仰天させる。一応その場はその子を引き取って家に帰るクリスティンだったが、その後も警察に頻繁に顔を出してはあの子はウォルターではない、本物のウォルターを探してくれと懇願するのだった‥‥


むろん観客は最初にウォルターを見ているから、警察が発見したと言って連れてくるウォルターが本物のウォルターではないことは最初から知っている。ついでに言うと、たぶん本当の親から捨てられたウォルターを詐称する少年が、安定した食い扶持を得るためにいかにもウォルターのように振る舞っているという事情も知っている。


しかしもちろん映画の中のクリスティンとウォルター以外の人間はそのことを知らない。だからクリスティンがこの子はウォルターではないと言い出すと、特に少年を探してきた警察を中心とする周囲は仰天して、さもクリスティンが気でも違ったかのような反応を見せる。実際、観客はクリスティンのいうことが正しいというのを承知していても、彼女の執拗な態度に、もしかしてウォルターは本当のウォルターで、クリスティンは最初のショックで精神のたがが外れたのかもとつい思ってしまう。それほど彼女の息子を思う気持ちは強い。


何度も何度も足繁く顔を出されるため、警察の担当のジョーンズ部長はだんだんクリスティンを苦々しく思ってくる。彼は一計を案じ、彼女の気がふれたことにしてクリスティンを精神病院に強制入院させる。院長は、彼女がウォルターが自分の息子であると認める書類にサインしたらいつでもここから出られるというが、クリスティンは頑としてサインしなかった。


一方、とある家出少年が警察に捕まり、ついでに思わぬ事件を告白する。彼は連続殺人鬼の片腕として何十人もの子供殺しを手伝わされており、その中にはウォルターと呼ばれている子供もいたというのだった。半信半疑で少年の告白した場所を掘ったところ、そこから告白通り何人分もの白骨が出てきた。ウォルターは果たして既に殺された後だったのか‥‥


話の前半だけを見ると、息子にいなくなられた母親の悲しい話に見えるが、ようやく帰ってきたはずの息子をこの子は私の息子じゃないと言い張って偏執的に警察に日参しどうにかしろと訴えるクリスティンは、彼女がまだ自制を保ちながら、それでもしつこく警察に毎日顔を出すだけに、よけいストーカー色が強まってしまう。この辺りはどちらかというと、イーストウッドの初期の「恐怖のメロディ (Play Misty for Me)」の神経症的なサスペンスを思い出させる。イーストウッドはこういう味も出せるのだった。ウォルターと新しい息子は身長も違うしおちんちんに割礼してあったという決定的な事実を提出されても、クリスティンがあまりにもしつこいものだから、なんかもしかしたら彼女もおかしいのではないかとつい思ってしまうのだ。


そして事態はそこからさらにもう一ひねり加わる。補導されたある少年が、自分は連続殺人鬼の手伝いをして何十人もの子供たちを殺して埋めたと証言するのだ。あまりもの話の突拍子もなさに最初は話を信じない調査官だったが、彼が目撃した少年の一人がウォルターであり、そして彼の言葉通りに大量の少年の白骨死体が出土するにあたり、連続殺人鬼の存在は間違いないものになる。そしてウォルターは既に殺人鬼の毒牙にかかって死んでしまった後なのか‥‥


どこに着地するかわからない話の後半はこの、連続殺人鬼の登場によってにわかにスリル&サスペンスが高まり、息もつかせない。流行りの短いカットの連続によって観客を煽るのではなく、正当な演出によってじわじわと緊張感が高まって行く。これができるのはやはりイーストウッドと、最近では「ゾディアック」を撮ったデイヴィッド・フィンチャーくらいのものか。


ただしこの、見応えのある「チェンジリング」が今一つ批評家受けしていないのは、作品の前半と後半でかなり受ける印象が違うことに由来していると思われる。話の軸がどこにあるかがわからないのだ。その点でいうならば、やはり前半スポ根ドラマ、後半尊厳死テーマと印象ががらりと変わった「ミリオン・ダラー・ベイビー」がある。しかし傑作として後世に名を残すほど強烈な印象を残した「ベイビー」と比較すると、やはり「チェンジリング」はそこまでのレヴェルには達していないとは言えるかもしれない。


それでも見所は多いし、特に今更いうまでもないが、主演のクリスティンに扮するアンジェリーナ・ジョリーをはじめとする演技陣は見応えがある。ジョン・マルコヴィッチやコーム・フィオレなんて大御所も出ているが、私が特にあっと思ったのは、「ゴーン・ベイビー・ゴーン」「その土曜日、7時58分 (Before the Devil Knows You're Dead)」に続いてまたまた反体制的というか、自分の思い通りに生きるというタイプの女性キャロルを演じたエイミー・ライアンと、ジョーンズ刑事部長を演じた、現在ケーブルのUSAでコメディ・サスペンス・ドラマ「バーン・ノーティス (Burn Notice)」に主演中のジェフリー・ドノヴァン、そして連続殺人鬼役のジェイソン・バトラー・ハーナーだ。


ハーナーはつい最近FOXで放送の始まったJ. J. エイブラムス製作の「X-ファイルズ」的超常ドラマ「フリンジ (Fringe)」のプレミア・エピソードで、旅客機内の乗客をウィルスによって皆殺しにする謎の悪役として登場したのを見たばかりだ。あちらでもこちらでも大量殺人犯か。よほどそういう顔に見えるようだ。実際どちらも合ってたけど。


イーストウッドの視点はどんどん弱者寄りになっていると書いたし、実際、「チェンジリング」は、当時としてはアメリカといえどもまだ社会的地位は確立していなかったシングル・マザーの女性を主人公としている。そしてなによりも、作品は途中からいなくなる誘拐された息子ウォルターが、スクリーンには登場しないながらも話の中心にいる。やはり「硫黄島」同様、いなくなってしまった弱者が実質上の主人公だというのは、言い過ぎだろうか。そしてまた、今度も虐げられたものの視点からの話のような「グラン・トリノ」は、果たしてどうなっているのだろうか。今から大いに気になるのだった。







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