Catch Me If You Can

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン  (2003年1月)

スティーヴン・スピルバーグ作品は昨夏「マイノリティ・リポート」を見ているし、レオナルド・ディカプリオ主演作も「ギャング・オブ・ニューヨーク」を見たばかりなので、ここは他に見たい作品も一杯あることだし、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」は後回しだな、もしかしたらたとえスピルバーグ作品といえどもこれは見ないで終わるかもしれないと、半ば諦めていた。


ところがこの作品、やたらと受けがいいのだ。批評家の受けもいいし観客の受けもいい。ディカプリオ vs ディカプリオの勝負となった「ギャング」対「キャッチ」対決では、ここまでのところ、興行成績は完全に「キャッチ」の方に軍配が上がっている。私の周辺でも「ギャング」の話はほとんど聞かないが、「キャッチ」の話はよく耳にする。このままだと、知りたくもないのに突然重要なプロットを赤の他人からばらされるかもしれない。というわけで、慌てて「キャッチ」を見に行ってきた。


16歳のフランク・アビグネイルJr. (ディカプリオ) は、理解のある父 (クリストファー・ウォーケン) と母 (ナタリー・バイ) のもとで幸せに暮らしていた。しかし、父が税金問題でトラブルを起こし、母が浮気して両親が離婚したことから家を飛び出して一人で生活を始める。元々フランクは人を騙すことに関しては天性の才能があった。学校の新聞の記者としてパンナムの取材をしたことから、父がフランクのために作ってくれたチェックを偽造してパンナムのパイロットになりすまし、まんまと大金の換金に成功する。フランクは医者、弁護士と職業を詐称、名のある弁護士 (マーティン・シーン) の娘ブレンダ (エイミー・アダムス) と結婚する段取りとなる。しかし、FBIのエージェント、カール・ハンラッティ (トム・ハンクス) が、フランクの跡を追って着実に差を詰めてきていた‥‥


シリアスだった「マイノリティ・リポート」に較べ、「キャッチ」は遊び心横溢で、肩の力を抜き、お洒落で楽しめる作品に仕上がっている。スピルバーグって、本当に観客を飽きさせないツボを心得ているという感じだ。ディカプリオも、丸い顔のくせにシリアスだった「ギャング」より、少しは体重を落とし、ちょっと泣き虫でファザコン/マザコンの気があるこちらの方が本人の資質に合っているという気がする。私はどちらかというと作り手の気合い充分という「ギャング」の方が作品としては好きなのだが、ディカプリオ作品として見ると、ファンがこちらの方に満足するのはまず間違いないだろう。今年のゴールデン・グローブ賞で、「ギャング」ではなく「キャッチ」のディカプリオが主演男優賞にノミネートされたのを見ても、こちらの方が評価されているのがわかる。


ディカプリオはこの作品では16歳の役からを演じているのだが、16歳という設定でもまったく違和感ない。ああいう童顔というか、無垢っぽい表情をさせると実にいい。そういう点では、ディカプリオはブラッド・ピットの系譜に連なるアイドル型と言えるだろう。ピットは時に間違った選択をしているとしか思えないようなマッチョな役をやりたがって失敗するが、失敗したとは言わないまでも、「ギャング」のディカプリオは、やはり自分の資質とは異なったところで勝負してしまったという気がする。もちろんいつまでもそういう路線を進むわけには行かないだろうが、あとしばらくはまだ泣き虫ディカプリオでもいいんではないか。


トム・ハンクスも、殺し屋を演じた「ロード・トゥ・パーディション」よりも、ちょっと抜けてて人のよいFBIエージェントを演じたこちらの方がずっと似合っているという感じがした。しかしそれよりもよかったのがディカプリオの父親役を演じるクリストファー・ウォーケンで、彼が非常にできがよいと感じさせてくれるのを見るのは久し振りだ。ここでは段々落ちぶれていきながらも誇りと息子を愛する心を失わない父を情感たっぷりに演じている。母親役にはフランス生まれという設定もあり、フレンチ女優のナタリー・バイが起用されている。


舞台は60年代であり、当時の世情が窺われるものとなっているが、一番印象的だったのが、当時のアメリカではパイロットが花形職業だと思われていたらしいことである。パイロットが街を歩くと人々が羨望の眼差しで振り返るのだ。ディカプリオが何あろう一番最初に職業を詐称する時にパイロットを選ぶのは、結局、それに自分自身が憧れていたからに他ならない。


しかし、パイロットってそんなに人々から羨ましがられる職業だったのか。もちろん私もガキの頃、飛行機を操縦するパイロットって格好いいなあとは思っていたが、だからといって本気でパイロットになりたいと思ったことは一度もない。パイロットという職業自体は格好いいとは思ったが、機能性がまるであるとは思えないあの帽子は好きじゃなかった。学生時代にセキュリティのバイトをしてああいう帽子を被ったことがあるが、もし何事かが起こったとしたら、この帽子は邪魔になるだけだなと思ったのを覚えている。あの手の帽子が曲がりなりにもステイタスとして機能したのは、ナチのユニフォーム以外ないだろう。それを格好いいと思って猫も杓子も真似したためにあれが氾濫したわけだが、あれは本当に機能的ではない。今ではユニフォームを着たままあの帽子を被って自宅やホテルから空港に行かなければならないパイロットって、格好悪くて可哀想だと思うくらいだ。それに現在のアメリカの航空会社のパイロットやフライト・アテンダントの勤務規定って、ほとんどブルー・カラーと変わらないと聞いたぞ。


惜しむらくはこの作品、2時間20分という長さではなくて2時間以内にまとめてくれれば、もっときびきびとまとまっただろうに。例えばジェニファー・ガーナーがフッカー役で登場するシーンなどは、それはそれで面白いけれども、思いきりばさりと切った方が作品全体のためにはよかったと思う。ガーナーが今ABCの「エイリアス (Alias)」で人気女優となっているために切るに切れなかったのだろうが、あの5分は要らない。他にも少しずつここは切れるなと思えるところは随所にあったし、第一、この話の内容とリズムに一番しっくり来るのは、やはり100分内外というところではなかろうか。


ところでこの作品、多少の誇張はあるにしても、実話の映像化である。種本は既に20年前に出版され、この、いかにも、という題材にハリウッドが興味を示さなかったわけはなく、これまでに何度も映画化の話が持ち上がっては立ち消えになっていた。フランク・アビゲイル本人はその繰り返しに飽きて、本の著者でありながら著作権を完全に売り払ってしまったそうで、おかげで今回の映像化にあたってはアビゲイル本人には一銭の金も入っていないそうだ。とはいえ本を出版した時、もし映画化された場合は宣伝に一役買うという契約にサインしてしまっていたため、今頃になって担ぎ出されて、内心面倒くさいと思いながらもインタヴュウに答えたりしている。職業詐称でアメリカの大企業を煙に巻いてきたアビゲイルも、ハリウッドには勝てなかったということか。







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