Cassandra’s Dream   

ウディ・アレンの 夢と犯罪 (カサンドラズ・ドリーム)  (2008年1月)

ロンドンに住むイアン (ユワン・マグレガー) とテリー (コリン・ファレル) は仲のよい兄弟で、ついに二人で共同して長年の夢だったボートを手に入れる。イアンはハリウッドのホテル・ビジネスに参入を考えており、自動車修理工のテリーはギャンブル好きという欠点はあるが最近はついており、ガール・フレンドのケイト (サリー・ホウキンス) と一緒に新居も手に入れた。しかしそういうツキが長く続くわけはなく、気がつけばテリーは首が回らなくなるほど借金にどっぷり浸かっており、一方のイアンも金のかかる女優のガール・フレンドのアンジェラ (ヘイリー・アトウェル) とつき合い始め、しかも新ビジネスのために至急大きな資金を必要としていた。二人は金回りのいい叔父ハワード (トム・ウィルキンソン) がロンドンに来たのを幸い、金策をもちかける。ハワードはその代償として彼らにしてもらいたいことがあるという‥‥


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世に映画作家は多けれど、現代の映画作家でウッディ・アレンほど多作はめったにいない。ただ多作というだけならそれなりに探せばいるだろうが、その頻度を長年にわたって維持しているという点で、やはりアレンは唯一無二の存在だ。自分で書いて自分で演出しているため、彼の頭の中では撮影に入る前から既に作品ができ上がっているだろうということや、作品自体に簡潔性を最も尊び、よけいな夾雑物を挟み込むことを何よりも嫌うという作風も、撮影の早さに関係しているものと思われる。アレンやクリント・イーストウッドのような大御所が実際の撮影にあたっては最も早撮りでまず予定撮影日数や予算を超過しないという話を聞くと、さもありなんと思う。


アレンの場合は、それにシリアスものとコメディという両端の作品を、交互とは言わないまでも定期的に撮る。時にシリアスものの作品の中に爆笑させるシーンが挟まることもあるが、シリアスで押し通すこともある。いずれにしても、慣れるとどちらの作品を撮っても絵柄、というかなによりもアレンの場合は話の進むテンポやリズムからいかにもアレンと一発でわかる。


むろんそのいかにもアレンという作風が気に入るか気に入らないかはまた別の話で、私の女房なぞはたとえどんなにアレンの新作が誉められようと、アレンはもう見ないと宣言している。彼女は、例えばティム・バートンあたりとも相性が悪く、これまでどんなに誉められていようとも、SFだろうとコメディだろうとシリアスだろうとミュージカルだろうと、バートンの作品を面白いと思ったことはほとんどないそうだが、それでも話題になって私が見るというと一緒についてくる。そして見ながらやはりつまらないと思って寝るそうだが、アレンの場合は本当に、ただの一度も面白いと思ったことはないそうだ。


そしてここがまた不思議だが、つまらないとも思わないらしい。おかげでバートン作品のように見ながら寝ることもないが、おかげで寝ることもできないため、よけい憤懣が募るらしい。一時見たすべてでそう思ったため、もうアレンは見ないと決心したそうだ。面白いとも思わせないが寝かせることもしない。案外アレンの本質ってその辺にありそうだと思わせられる。簡単に撮っているように見えて実はそうじゃないから観客に集中を要求するが、それが面白い話であるかどうかという地平とは別のところで作品を撮っているということか。


実際、アレン作品は特にそのカメラが話題になったり注目されたりすることはないが、それでもその的確な構図や繋ぎ方、背景の選び方など、実は細心の注意を払っていることもわかる。できるだけミニマリズム的手法で最大の効果を得ようとするのがアレンの作品の数々であり、特に近年はその傾向が顕著であるように思う。うちの女房は掃除が苦手というか、あまりしないが、その辺もアレンが苦手なことと関係があるような気がする。どうせなら私のように掃除が嫌いだからしないという人間の方がまだむしろアレンにとっつきやすいのかもしれない。


さて「カサンドラズ・ドリーム」は、長年住み撮り慣れたニューヨークを離れ、ロンドンを舞台にしている近年の最新作で、巷ではロンドン3部作の掉尾を飾るものと言われているらしい。本当にこれでロンドンを舞台とする作品は一応の終わりを告げたのかは知らないが、いわゆるニューヨーク派の筆頭と目されるアレンが、一時的にせよニューヨークを離れて新作を撮りたくなるというのもなんとなくわからないではない。どんなに愛着を感じている場所でも、そこばかりを舞台にして撮っていればやはり煮詰まるだろう。


作品の内容 -- とある兄弟が金に困ってやってはいけないことに手を染める -- という展開ですぐに思い出すのは、昨年のシドニー・ルメットの起死回生の一作「ビフォア・ザ・デヴィル・ノウズ・ユアー・デッド」だ。方やこの苦境を乗り切るためにはどんなことも辞さないという決心を固め、もう一方は実は小心者で、自分がこれからやろうとしていること、あるいはやったことの責め苦から逃れられない。「カサンドラ」では兄弟がボートを買って海に出るというシーンが何度か出てくるため、ダークなクライム・ドラマという印象も合わせ、「太陽がいっぱい」を連想する者も多いと思う (因みにタイトルの「カサンドラ」は、兄弟が手に入れるボートの名だ。) いずれにしても、ルメットは「ビフォア・ザ・デヴィル」で再注目されたが、アレンの場合は、同レヴェルの作品を撮っても誰も騒がない。特に大きなスランプもなく一定レヴェルで作品を撮り続けると、こういう弊害もある。


主演のマグレガーとファレルでは、どちらがこうと決めたら引かない兄でどちらが意志の弱い弟かというと、一般的には兄をファレル、弟をマグレガーが演じていると予想する者が多いのではないか。少なくとも私はそう思っていたが、実は逆だ。そしてそれが実は結構はまっている。こういう俳優の意外な側面を見せるというキャスティングをやらせると、アレンは本当にうまい。特にファレルが、ともすればすれすれでギャグになりそうな気の弱い弟をうまく演じている。


兄弟の裕福なアメリカの叔父さん的役柄で登場するのがトム・ウィルキンソンで、彼は「フィクサー (Michael Clayton)」での弁護士役がオスカーの助演男優賞にノミネートされて注目されているが、私はそれよりもここでの兄弟に後ろ暗い相談を持ちかけるウィルキンソンの方を買う。ファレルのガール・フレンドを演じているのがサリー・ホウキンスで、彼女もいかにもロンドンの下町の女の子という感じがしていい。というか、イギリス出身の女優ってああいう役をやらせるとみんなうまく演じたりする。自分のよく知っていることを自然に演じられるからだろう。


アレンの場合、多作なのでわりと気分じゃないと見逃したりしていて全部見ているわけではない。一昨年の「マッチ・ポイント」には非常に感心させられたのだが、だからといってその半年後に封切られた「タロットカード殺人事件 (Scoop)」は見ていない。もうちょっと間を開けてくれーっと叫びたい気分だった。ではあるが、見るとまず必ずと言っていいほど感心させられる。コメディだろうがドラマだろうがそうだ。そしてまた「カサンドラ」もまさしく同様の印象を受ける。


この映画、実は巷ではほとんど話題になっていない。劇場にだって人はほとんど数えるほどしか入っていなかった。しかしユワン・マグレガーとコリン・ファレルという主人公二人の人選、一瞬のティーザーだけでも、私の目には充分面白そうに映った。だからこそ見に行ったわけだが、実際、見た後の印象を言うと、これはすごい、である。アレンが撮っているからこそ、これくらいのレヴェルでは人、特に批評家はそれほど話題にしないが、これをまだ若い演出家が撮っていたりしたら、傑作として絶賛されたのは間違いないと思う。このくらいの作品を撮って誰も気にもしないって、これは不幸なことか、それとも毎年これくらいの作品を撮ることを許されていることを幸福と思うべきなのか、よくわからない。







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