Brooklyn


ブルックリン  (2015年12月)

「ブルックリン」は、アイルランドの作家コルム・トビーンが書いた同名著作を、ジョン・クロウリーが映像化したものだ。前作のアクション、「クローズド・サーキット (Closed Circuit)」とは異なり、かなりノスタルジックな作品だ。


アメリカのニューヨークやボストン等のニュー・イングランド地方は、伝統的にアイルランドからの移民が多い。これがイタリアとか他のヨーロッパの小さな国くらいなら、同胞が集まったコミュニティが形成されたろうと思うが、かなり移民の数が多いアイルランドくらいになると、どこにでもいるのでわざわざアイリッシュ・コミュニティを作るまでもない。


とはいえ建国の主体である英国民ほど数が多いわけでもない。さりとてマイノリティというほど少ないわけでもない。一方で、歴史的に常に英国に頭を抑えられてきたアイルランドは、英国ほど裕福な国でもない。アイルランドを舞台とする映画というと、真っ先に思い出すのは「アンジェラの灰 (Angela's Ash)」であり、「マグダレンの祈り (The Magdalene Sisters)」であり、「ワンス (Once)」であり、あるいはアイルランド人が主人公の、ニューヨークに移住してきた一家を描く「イン・アメリカ (In America)」だ。なんか、やっぱり、アイルランドってお世辞にも裕福とは言い難い。


その、特にコミュニティを持たないアイリッシュであるが、場所を聞くと思わずアイルランド? と連想してしまう土地がある。それが上記のボストン、およびニューヨークではブルックリンだ。特にブルックリン=アイリッシュという構図だと、私の年代の人間ならかなり多くの者がピート・ハミルの名を思い浮かべると思う。要するに、金はあまりないが酒好きで情に厚い、という辺りが、私を含めての一般的なアイリッシュ評になるかと思う。


「ブルックリン」の主人公アイリーシュは、母と姉の3人家族で、つましく暮らしていた。しかしアイルランドには働き口がほとんどなく、アイリーシュもグローサリー・ストアで店頭に立っていたが、先は見えていた。それでブルックリンに住む知人の神父の紹介で、アメリカに渡る決心をする。


最初は色々と戸惑うアイリーシュだったが、やがて慣れ、仕事もうまくこなせるようになり、ボーイフレンドもできる。そこへ実家から訃報が届き、アイリーシュは一時的に帰郷する。今や手に職があるアイリーシュは地元で仕事のオファーを受け、しかも裕福な家の青年からも交際を求められる‥‥


と、後半は二人の男性の間で揺れるアイリーシュを描く。となると思い出すのは、ほぼ同時に3人の男性から求婚され、間違った選択をしてしまった女性を描いた「ファー・フロム・ザ・マッディング・クラウド (Far from the Madding Crowd)」だ。こういう、二人の異性から同時に求愛され、その間で揺れる感情を描く、なんてのは、立場を逆にしてみるとほとんどない。


男が同時に二人の女性から迫られるなんて状況は、二股かけている状況くらいしか思い浮かばないが、それってちょっと違うと思う。一方、「ファー・フロム‥‥」では、主人公バスシーバは領主であり、人を使う立場だ。とすると、逆に彼女の方こそ求められるではなく、求める立場となりそうな気もする。それでも、やはり女性は基本的に受け身になるのだろうか。


実はアイリーシュは、故郷の男性には、自分が既に公的には誰かの妻であることを伏せている。これは、最初は、もしかしたら母にこのことをいきなり知らせてショックを与えるのではなく、折を見てという配慮であり、友人たちにはわざわざ自分が結婚していると知らせて距離を置くのを避けただけとも言えなくもないが、やはり浅知恵という印象は拭い難い。要するに故郷では自分はまだシングルのままで家族や友人と気兼ねなく接したく、そうこうしているうちに結婚していると発表する機会を逃してしまう。もちろん、そういう浅慮は遅かれ早かれ露呈する羽目になる。そこでアイリーシュが選択するものは‥‥という風に話は進む。


アイリーシュに扮するシアーシャ・ローナンは、昨年「グランド・ブダペスト・ホテル (The Grand Budapest Hotel)」に出ているのを見た時、「ハンナ (Hanna)」からいきなり大きくなったなと思ったが、今回はさらに成長して大人の女性になった。成長が早くてびっくり。それにしてもシアーシャ (Saoirse) といいアイリーシュ (Eilis) といい、アイルランド語は最初から知らなければ到底発音できない。映画公開に合わせて最近深夜トークのCBSの「ザ・レイト・ショウ (The Late Show)」「ザ・レイト・レイト・ショウ (The Late Late Show)」にゲスト出演しているのを続け様に見たが、両方で名前の発音の仕方を言わされていた。


アイリーシュに想いを寄せる二人の男性を演じているのが、エモリー・コーエンとドーナル・グリーソンで、コーエンは「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命 (The Place Beyond the Pines)」で、グリーソンは「エクスマキナ (Ex Machina)」で、それぞれ印象を残した。二人共腹に一物みたいな、何考えているかわからなさそうなところがよかったのに、ここでは純情と言ってもいいくらいの役柄だ。


この映画、いかにも引退した者たちが住んでいる典型的な郊外の住宅地という土地柄の映画館で見たのだが、結構人が入っているのに、それでも明らかにその中で私が最も若かった。50を超えて観客の平均年齢を下げるのに貢献したのは、これがたぶん初めてだ。最初で最後の経験かもしれない。


ほとんどの者が二人連れ以上で、かなりの確率で杖をついている。娘か息子が介助しているように見える者も結構いるが、それとて私より歳上に見える。普段は是非老若男女が揃って映画館に足を運んでもらいたいものだと思っている私だが、しかしこれだけじじばばばかりだと、ある種圧倒される。今日は御老体半額デイか。


そこで、ああ、この映画、たぶんここにいる観客のほとんどの者にとって、思い入れがあるというか、似たような経験をしたご当地映画なのだと思い至った。この中の何人、何十人かは、実際にアイリーシュと同じように1950年代にアメリカに来て、しかもブルックリンに住んでいたことのあるアイルランド人かもしれない。それが今、歳をとって80、あるいは90くらいになって、こうやって過去を偲んでいるのだ。


上映が終わってロビーに出ると、外のコンセッション・スタンド前で騒ぎが起きており、見るとたぶん車椅子から落ちたと思われる老男性を、人々が助け起こしていた。この人もたぶん「ブルックリン」を見ていたか、これから見るところだったんだろう。ブルックリンに限らず、案外と似たような経験をしている移民は、アメリカ中のどこにでもいても不思議はない。











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1950年代。アイルランドで母と姉の3人で暮らしていたアイリーシュ (シアーシャ・ローナン) だが、地元では働き口がほとんどない。アメリカ、ニューヨークのブルックリンに住むフラッド神父 (ジム・ブロードベント) が保証人となってくれるというため、アイリーシュはアメリカに渡る決心をする。下宿先では同様にシングルの女性が何人もいて落ち着かず、働き始めたデパートでは、口下手なアイリーシュはうまく客をあしらえない。それでもなんとかアメリカに馴染み始め、ダンス・パーティでイタリア系のトニー (エモリー・コーエン) と出会う。二人は次第に仲を深めて行くが、そんな時故郷から訃報が届く。一時的にアイルランドに帰ったアイリーシュは、そこで裕福なジム (ドーナル・グリーソン) からも交際を求められる。ブルックリンで実はトニーと簡略な結婚式を挙げていたアイリーシュだったが、そのことを黙っていたのだ。トニーのことを愛しているが、それでも家族や昔からの友人がおり、勝手知ったる故郷へ戻ってくる誘惑も捨て難かった。アイリーシュの心は揺れる‥‥


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