Broken Horses


約束の馬 (ブロークン・ホースズ)  (2015年4月)

世の中は「ワイルド・スピード Sky Mission (Furious 7)」一色で持ち切りという感じなのだが、最近のシリーズはカー・アクションというよりもCGアクションという感じで、どうも乗り気になれない。クルマが 空を飛んでビルからビルに飛び移るという描写は、なるほどエキサイティングであるのは確かだが、予告編で一回見ると既にもう満腹という感じで、確かにCG は凄いよね、でも、こういうのはマイケル・ベイの作品だけで充分かなと思ってしまうのは如何ともし難い。


さらに、結構よく出番があるように見えるポール・ウォーカーまでもが、その多くがCGによる後付けと聞いて、かなり違和感を覚える。一応本人のフッテージがこれまでの作品を含めてかなり残っており、それをちょっと加工することで充分使えはするが、実は合成で首から下は他人というシーンがわりとあるそうだ。 そうじゃなければ逆に故人に敬意を払う意味でも見ないとと思うところだが、これではほとんど見る気をなくす。


とはいえ、公開初週で全マルチプレックスの半分を使って「Sky Mission」をやっているという印象があるため、他の映画に光が当たらず、他に特に見たいと思う作品が見当たらないのも事実なのだった。そこで YahooとIMDBを目を皿のようにしてチェックして見つけたのが、盲点というか、最も家から近いマルチプレックスでやっている「ブロークン・ホースズ」だ。聞いたことないなと思いながらネットで予告編を見てみると、ジェイムズ・キャメロンが出てきて映画を誉めている。スタインベックの小説のようだと言っているのを聞いて、ふむ、オーケイ、今回はこれと即決する。


移民の国アメリカでは、チャイナ・タウンやリトル・イタリーのように、所によってある人種が固まっているという場所がある。私の住むジャージー・シティは 現在インド系移民が多く住んでおり、駅に近い一角は路上に各種スパイスの香り溢れるインド人食品街で、インド以外でこれだけ各種スパイスが揃うのは世界でもここくらいじゃないかと思えるくらい異郷の趣がある。


そのためこの近辺の、経営もたぶんインド人に違いないマルチプレックスでは、よくインド映画がかかる。そこで「ブロークン・ホースズ」もやっている。キャメロンがコメントしていてヴィンセント・ドノフリオが出ていて舞台はアメリカ南部のようだが、監督の名を見てみるとインド風で、どうやらこれまでインド映画を撮ってきたヴィドゥ・ヴィノード・チョプラの初海外進出作かとあたりをつける。インド映画はほとんど注意を払ってなかったため、このマルチプレックス は死角になっててこれまで気づかなかった。


実際にマルチプレックスに行ってチケットを購入しようとすると、「ブロークン・ホースズ」というタイトルの後に、あろうことか「ヒンドゥー」という単語が明滅している。なに、もしかして、これ、ヒンドゥー語の吹き替えだったりする? と窓口で訊くと、彼女もよくはわからない様子で、でも、もしヒンドゥー語なら英語の字幕はつくと請け合う。ここまで来て手ぶらで帰るのも癪なので、しゃーないとチケットを買って中に入る。そういやかつて、スペイン語字幕つきのとんでもない「トランスフォーマー/リベンジ (Transformers: Revenge of the Fallen)」を見せられたのもこのマルチプレックスだった。道理でここ、ほとんど白人客がいない。


しかも中に入って目指す小屋に入ると、中は真っ暗だ。緊急灯すら点いてなく、これははっきり言って消防法違反のはずだが。これは何かの間違いかと思って いったん廊下に出て確認するが、ドアの上にはちゃんと「Broken Horses」の文字が明滅している。やはりこれは単に劇場側の怠慢であるようだ。しょうがないのでもう一度中に入り、何にも見えないのでスマートフォンを取り出してフラッシュ・ライトにして辺りを窺う。人の気配がないと思っていたら本当に誰もいないようだ。私の持つスマートフォンのライトの届く範囲しか見えないが、しかしやはり人がいれば気配でわかる。


時間が来てスクリーンに投影が始まり、場内全体がぼんやりと明るくなって、本当に私以外人っ子一人いないことを確認する。しかもさらに驚いたことには、その後、実際に上映が始まって終わるまで、誰も入って来なかった。つまりこの映画、観客が私一人の貸し切り状態だった。これまで観客が数人しかいなかったとか、場内に入った時は誰もいなかったというのはなくもないが、それでも後から誰か入って来たりするもので、最初から最後まで一人っきりだったというのは、 近年では記憶にない。この映画、たぶん公開初週だと思うんだが、こんな人の入りでいいのか。


いざ本編が始まると、登場人物はちゃんと英語をしゃべっている。どうやら電光掲示にヒンドゥーと出ていたのは、配給がハリウッド大手ではなく、ヒンドゥー系の配給会社ということを意味していたようだ。インディペンデントの配給だと、たぶん興行収入の配分が変わってくるため、チケット代が通常より割り増しになる。道理でチケット代が高くなっているなと思った。


演出のチョプラは、経歴を調べてみると特にアクションが得意という印象を受けないが、たぶんこういうのがやりたかったんだろう。なかなかガン・アクションがい い。特にバディの最初の仕事と、中盤、地元に帰ったジェイキーがバディに代わりに仕事を請け負ってジュリアスと対立するギャングのボスにインタヴュウという名目で会いに行く時に起きるガン・アクションのリズムは、かなり快感。アメリカのギャング映画と西部劇から大きく影響を受けているのは間違いない。


そのアメリカ・ギャング/西部劇が海を渡ってインドの映画人に影響し、そして本卦還りとなってインド人映画監督によって作られた現代版西部劇が、「ブロークン・ホースズ」なのだった。時々、例えばどうしても鏡に反射する絵が撮りたくてリズムを逆に壊したりしているが、しかし思い入れたっぷりで微笑ましいとも言える。クライマックスもちゃんと盛り上げる。なかなか頑張っている。近年、東欧出身の映画監督が特にアメリカのギャング・アクション映画に影響を受けたと思える作品でハリウッド・デビューを果たしているのをよく目にするが、インドからもそういう例が現れてきたか。


しかしこの映画、私もやっていることに気づかず、ほとんどミスる可能性もあったが、それはインド系に限らず他のほとんどの者にとってもそうだったようだ。 公開初週に私一人で貸し切り状態で見たということからでもそれはわかるが、なんと翌週には劇場から消えていた。私はこの映画を劇場で見るという特権を獲得することのできた数少ない人間の一人だったようだ。なかなか得難い体験だった。











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バディとジェイキーの兄弟の父は南部の町のシェリフだった。バディは多少知恵が遅れていたが射撃には天性のものがあり、ヴァイオリンを習っている弟を守ってやるのは自分だと思っていた。その父がある日何者かに撃たれて殺される。町のギャングのジュリアス (ヴィンセント・ドノフリオ) は、洗脳しやすいバディに犯人を指摘して銃を渡す。バディは男を撃ち殺し、以来町の実力者となったジュリアスの片腕として弟を支えてきた。約10年後、 ニューヨークでヴァイオリン奏者として芽が出ようとしていたジェイキー (アントン・イェルチン) には、婚約者のヴィットリア (マリア・ヴァルヴェリデ) がいた。ジェイキーは長い間町に帰っていなかったが、結婚式ではバディ (クリス・マークエット) が挨拶を予定していることもあり、過去を精算するためにも町に帰るが、それは新たな血で血を洗う闘争の幕開けでもあった‥‥


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