なぜだかアメリカとロシアは本質的に相容れないようで、ペレストロイカ以降雪解けかという印象のあった米露間は、プーチンが大統領になって力の政策を推し進めたせいで、また元の木阿弥という感じがする。どうしても相性がよくないようだ。
とはいえ対中国やISIS対策で時にはオバマとプーチンが膝突き合わせて意見を交わす場合もあるのだから、昔ほど敵対しているというわけでもないだろう。それを考えると、両国首脳が会談するという状況事態がほとんどあり得なかった冷戦時代は、確かに敵国同士だった。
なんてったって冷戦時代は国交というものがなく、お互いにもし連絡をとりたい状況が出来しても、手の打ちようがなかった。ぎりぎりで確保している非正規のルートを通して、なんとか意思の疎通を図るしかなかった。
そういう時に、ニューヨークでソ連のスパイが拿捕される。その男アベルはのらりくらりと追及の手をかわし、西側に言質を与えない。そうこうしている間に今度は米軍のスパイ機のパイロットがソ連上空で撃墜され、こちらも拘束される。どちらもそのまま敵国に置いておくにはあまりにも危険な存在だ。そして彼らの存在自体が公けになってしまった今、できることなら被害が大きくなる前に、彼らの身柄を交換することができるなら、それに越したことはない。辣腕弁護士のドノヴァンは、最初誰も弁護する者のいないアベルの弁護士として指名され、敵国を擁護するのかと白眼視され、さらにベルリンで捕虜交換のための交渉を行うことを要請される。
とはいえいかに敏腕といえども、まだまだ治安に不安の残るベルリンで、しかも交渉する相手探しから始めなければならない。案の定カツアゲ食らって真冬というのにコートを脅し取られるし、滞在場所には満足な暖房もない。自分自身だって立場は微妙なもので、いつ拘束されるか知れたものではない。家族にだってどこへ行くかを偽って来ているのだ。
さらにドノヴァンがベルリンに滞在しているまさにその時、ベルリンの壁が建てられる。東と西に分断され、たとえドイツ人でももはや簡単には行き来できない。その混迷の時に、脱出の時宜を逃した留学生が東側で拘留される。その話を聞いたドノヴァンは、その留学生も解放するよう東側に接触する。
映画を見ての率直な感想は、すべてにおいて物事は相対的、あるいは曖昧なものであるということだ。結局、国や政治、理想や正邪の概念は、時と場所が違えば異なってくるもので、絶対的なものではない。元々スパイというのはそういうものだろうし、それはどの国のスパイであろうと一緒だ。
飄々としていながら意志堅固で絶対にボロを出さないアベルには、結構好感を持ったりする。一方、敵に拿捕された時は速やかに死を選べと言われ、自分もそれを納得して諜報活動に従事したはずのパワーズは、みすみす捕虜となって生き長らえ、何も話さなかったと自己弁護する。どちらかというと心証はアベルの方に傾く。既に敵味方は曖昧みたいな印象を受ける。
そしてドノヴァンはさらに、敵味方の一対一の捕虜交換のはずの舞台に、新たにもう一人、捕らえられていた留学生もこの捕虜交換に加えるよう要求する。異国の地で右も左もわからず右往左往している人間が、相手に対して頼むではなく要求するという姿勢を崩さず、しかもなぜだかそれが通ってしまう。しかし一対一の捕虜交換の場にさすがによけいな人間がいるのはいかにもまずい。というわけで3人目は一対一の交換の場にはいず、同時間に別の場所で釈放するという手筈になる。
正直言って、なんでこんな展開になるのかよくわからない。例えば、西側に脱出しそびれた人間は他にもまだいると思われるのに、なぜだか留学生が一人だけ選ばれてしまう。その交換をごり押しし、それが通ってしまう。どこに東側のメリットがあるのかもよくわからない。さらには、留学生の解放はまったく関係ない場所でされるという手筈で、それを確認したら本来の捕虜交換となる。よくわけのわからない無理、無駄、ムラが横溢した挙げ句、舞台は整い、そして無事人質交換は実現するのか‥‥。
呆っ気にとられるというのが正直なところだ。誰も筋道立てて理知的に行動しているようには見えず、それなのに遅々ではあるが一応物事は前進する。道理ではなく意志の力の方が強いのか。
ちょい前に見た「コードネーム U.N.C.L.E. (The Man from U.N.C.L.E.)」では、「ブリッジ・オブ・スパイ」と時代は数年しか変わらないが、やはりベルリンの壁が登場する。しかしこちらの武闘派のスパイは、結構簡単にその壁を乗り越えていた。一方、まだ壁はできてなかったが、「あの日のように抱きしめて (Phoenix)」では、検問所を通過するのにドイツ人といえども厳しくチェックされていた。それにしても同じ民族同じシティで、ある日いきなり、朝起きてみたら街中に壁ができていて、昨日までは簡単に行けたところに行けなくなっている。この時代のベルリンって、本当に不思議。と、今も昔もベルリン市民も思っているに違いない。