Born into Brothels   
未来を写した子どもたち (ボーン・イントゥ・ブロセルズ)  (2005年2月)

実はキアヌ・リーヴス主演の「コンスタンティン」を見ようと思っていたのだが、土曜日に郊外のマルチプレックスに車で乗りつけると、やけに車の数が多い。なんか嫌な感じと思ったのだが、案の定、切符売り場に並ぼうとしたら、「コンスタンティン」は売り切れとのアナウンスが流れる。ほらみろ、それなりの注目作なのに一館でしか上映しないからこんなことが起こる。


いずれにしても次の回まで待つ余裕なんてないから、今日のところは諦める。たぶん今週末は「コンスタンティン」はダメだな、他のにするかと考えるも、見るつもりでいたのは「コンスタンティン」と「誰も知らない」の2本だけで、単館上映でこちらも今日からの「誰も知らない」は、これまでの経験から言ってこちらの方こそ混んでいるのは間違いないという確信があるため、ちょっとこちらもパスだ。それで家に帰って、今週末、他に何か見るべきものはなかったかと慌てて探した結果、見つけたのがこの「未来を写した子どもたち (ボーン・イントゥ・ブロセルズ)」だ。


近年、マイケル・ムーアに代表されるドキュメンタリー作品が注目されているのを受け、劇場にかかるドキュメンタリー作品の数が増えた。とはいえドキュメンタリーが一般の劇場にかかり始めたのは、ムーアの貢献というよりも、大がかりなフィルム撮影をせずとも、大きなスクリーンに投影しても画面のアラが目立たないHDTV技術の発展がより大きくものを言っていると思う。実際、ムーアがいなくても、アメリカにおけるドキュメンタリー作家の裾野は広かった。


実際の話、私があまり劇場でドキュメンタリーを見ようという気にならないのは、圧倒的に多いヴィデオ撮影において、フィルム撮影に較べて粒子が粗く、細部に陰影のないヴィデオ映像をスクリーンで見る気にはなれないからというのが最大の理由だった。TVではかなりの数のドキュメンタリーを見ていると思うのだが、自宅の32インチのTV画面では気にならない程度の粒子の粗さも、大きなスクリーンでは見るに堪えなかったりする。


もちろんフィルムメイカーもそういう観客の嗜好はわかっているから (というか、本人たちだってできればいつもフィルムで作品を撮りたいだろう)、敢えて難しいヴィデオ撮影のドキュメンタリーを劇場で一般公開することに固執するよりは、PBSのような公共チャンネルの電波に乗せて放送してもらう方を選ぶ。したがって、ドキュメンタリーはこれまでは、劇場で見るものというよりは、PBSか、ペイTVのHBOの「アメリカ・アンダーカヴァー」シリーズで目にするものという印象が強かった。


実際、近年のドキュメンタリーはPBSかHBO経由で世に出る作品が多く、特にこの分野におけるHBOの貢献度は大だ。近年話題になった「スペルバウンド」や「キャプチャリング・ザ・フリードマンス」は共にHBOが金を出して製作した作品の質が高かったため、これは劇場公開でも行けると判断したHBOによって配給されたものだし、実は、「ボーン・イントゥ・ブロセルズ」だって、なにあろうHBO出資作品である。それが劇場公開され、話題になっているのだ。


「ボーン・イントゥ・ブロセルズ」は、まず昨年、インディ映画の登竜門、サンダンス映画祭で上映された。それでHBOは様子を見たわけだ。そしたらこの作品、この映画祭で毎年注目されている観客賞を受賞してしまった。サンダンス映画祭の観客賞の受賞はある程度の興行成績の成功を約束しており、ここで昨年一緒に上映され、ドラマ部門の観客賞を受賞した「マリア、フル・オブ・グレイス」は、昨年の全インディ映画のみならず、ハリウッド映画をも含めた全映画で最長ロング・ランを記録する、最も成功した作品の一本になった。


と、そうこうしているうちに「ブロセルズ」は、今年のアカデミー賞のドキュメンタリー賞まで受賞してしまった。ここまで来たら、ドキュメンタリー作品としてはこの上ないくらいの栄誉を獲得していると言っても過言ではなかろう。そこで満を持してHBOは作品を一般公開したわけだ。ドキュメンタリーの売り方をよくわかっているなあ。実際それでこちらも釣られて劇場に足を運んでいるわけだし。


「ボーン・イントゥ・ブロセルズ」は、ザナ・ブリスキとロス・カウフマンという二人のフィルムメイカーが、インド、カルカッタの売春窟レッド・ライト区域に生まれ育った8人の少年少女を追うドキュメンタリーである。こういうところに生まれているわけだから、当然彼らは教育を受けてなく、女の子として生まれた子は、そろそろ自分もお母さんと一緒に商売を始めると、さも当然のように述べる。実際、教育のない彼女たちには、他に生きていく術はあるまい。


こういう現状を見かねたブリスキとカウフマンは、子供たちにカメラを与えてみる。外部の者から撮影されることを極端に嫌うこういう社会の人たちでも、身内の者には甘い。そうやって子供たちが切り取ってくるレッド・ライト区域の写真は、プロのカメラマンがでも撮ることのできないヴィヴィッドな魅力に満ちていた。子供たちの撮った写真は海外でも発表されることになり、注目と援助が集まり始めた。ブリスキ/カウフマンはこの機を逃さず、子供たちを学校に行かせようと奔走する。


とはいえ、既に自我が固まり始めている子供たちにとって、学校へ行くということは大きな環境の変化であり、必ずしも全員が全員新しい環境に適応できるというわけではなく、ドロップ・アウトする子も出てくる。アムステルダムで開かれる写真展に少年を送り出そうとしたブリスキは、その遠大な道程に絶句してしまう。こういう場所で生まれてきた子には戸籍のようなものはなく、つまり、彼らはパスポートのとりようがなかった。ありったけの書類を集めて役所で押し問答を繰り返すブリスキ。これでどうやって子供たちを海外に連れていくというのか。


映画はそういう障害に一つ一つ立ち向かっていくブリスキとカウフマン、そして子供たちをとらえるわけだが、そういう人道的な援助が、必ずしもレッド・ライト地域に住む人々にとってありがたいことだとは限らない。むしろ大人たちはありがた迷惑と感じている者の方が多いのがありありだ。今後の家計の担い手となる女の子たちに教育という名のよけいな知識を与えられても、彼らとしては困るだけなのだ。


結局、ブリスキとカウフマンのそういう人道的な援助活動がどこまで実を結んだかというと、それはよくわからないと言わざるを得ない。学校へ行かせようとしてもドロップ・アウトしてしまう子の方が多いし、明らかにこのうちの何人かの子は、やはり成長しても外の社会に飛び出していくことはなかろうと思われる。井の中に安住して外の世界を知らなければ、それはそれで彼らはある程度満足して生きて死んでいけるのではないかと思える時、私は、多少は押しつけがましくてもそれでも活動を辞めようとはしないブリスキとカウフマンの飽くなき努力、ヴァイタリティの方に感心してしまう。


しかし、それでも、学校に残る子供たちもいる。実際、彼らが教育を受け、卒業し、知識と行動力を備えた社会人となって戻ってきた時、将来、レッド・ライト区域はどう変貌するのだろうかという問いかけには圧倒的な魅力がある。一人、たった一人でもそういう子がいれば、あと10年、いや20年経てば、レッド・ライト地帯は大きく変わるに違いない。もしかしたら現在そこに住んでいる者たちにとってはいいとは思えない方向に向かって変化する可能性もなきにしもあらずだが、たぶんその変化がもたらすであろう興奮の前触れを、「ボーン・イントゥ・ブロセルズ」は確かに与えてくれる。


実はこの作品の公開とほぼ同時期に、やはりインドの少女売春をテーマにした「ザ・デイ・マイ・ゴッド・ダイド (The Day My God Died)」というドキュメンタリーが、PBSの「インディペンデント・レンズ」(「ドキ-ドキ」を放送した枠だ) で放送予定になっていた。しかし「ザ・デイ・マイ・ゴッド・ダイド」は、番組放送予定が発表になったのに、なぜだか今でも放送されていない。おかげで私はこの2本が同じ作品で、ただ劇場公開に合わせてタイトルを変えただけだと思っていた。


しかし、調べてみるとこの2本はまったく別作品で、しかも「ザ・デイ」の方が製作時期は「ブロセルズ」よりちょっと早いらしい。しかも「ザ・デイ」も「ブロセルズ」同様かなり誉められている。実際PBSのホーム・ページを覗くと、「ザ・デイ」の詳細は今でもアップされているのに、放送予定欄だけが空白だ。たぶんいきなり話題になってしまった「ブロセルズ」とバッティングすることを嫌ったPBSかプロデューサーが、私のように作品を混同してしまう慌て者がいることを見越してこの時期に放送するのを急遽取り止めたんじゃないかと想像するが、しかし、もったいぶらずにそっちもとっとと放送しろよ。







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