Bolden
ボールデン (2019年5月)
Bolden
ボールデン (2019年5月)
ジャズが1900年頃のニュー・オーリンズで発祥したというのはよく知られている事実だが、一つのムーヴメントとして誰もが知っていても、特定の個人にその嚆矢の栄誉を求めるのは無理がある。
それでも、誰か一人を挙げるとすると、チャールズ・「バディ」・ボールデンをジャズの創始者とする意見はそこそこあるようだ。ケン・バーンズの、ジャズの歴史を俯瞰するミニシリーズ「ジャズ (Jazz)」でも、当然ボールデンの名は登場する。ただし、録音が今に残っているわけではないボールデン自身の演奏が聴けるわけではない。
また、ボールデンは、ジャズの創始者と言われながら伝承や伝聞が先行して、明確な伝記や業績が残されているわけではない。そのボールデンの生き様や時代を描くのが、「ボールデン」だ。
ボールデンは才能はあったようだが、どうもハイパー気味で、しかも酒と女に目がないという、音楽をとったらどうしようもない性格だったようだ。おかげで周りの者はボールデンに振り回されるが、しかしコルネットを吹かせると一流のゴールデンは、ミュージシャンとして一目置かれる存在だった。
しかしボールデンは、アルコールや精神的疾患で、30歳という若さで精神病院に収容され、そこでそのまま残りの一生を終える。「ボールデン」は、その後時が経ち、既に自分を見失っているボールデンが、ほとんど檻のような病室で、その時人気絶頂を迎えていた、かつては自分の弟子筋であったルイ・アームストロングがラジオでプレイするのを聞いて一時自分を取り戻し、これはオレの音楽だと過去を回想するという構成になっている。
人間としてのボールデンはともかく、「ボールデン」がジャズという音楽の変遷から見ると大層面白いのは事実で、この辺を趣味にしている者にはかなり楽しめるだろう。ラグタイムのバンドにブルーズを持ち込み、裏のリズムを取り入れ、ホーンを採用して大音量で吹き鳴らし、ソロで即興をとるという初期のジャズ・バンドの形態を確立する。段々ジャズが音楽としても洗練されていく過程がよくわかる。
個人的に最も私が興奮したのは、アームストロングがトランペット (コルネット?) を演奏しながら段々分解していきながらそれでも吹きまくるというシーンで、最後はマウスピースだけになりながら、それでも音楽を奏でている。最後は単音というのも憚れる、音でしかないが、それでも音楽になるところがすごい。
惜しむらくは、もちろんボールデンその人の演奏そのものは、既に聴く機会は永久に失われているということだ。その頃、徐々に蓄音機が普及し始めていたとはいえ、音楽はやはりまだ生で楽しむものであり、貧困層まで蓄音機が普及するのはまだまだ先の話だ。とはいえ、映画の中でも蓄音機が登場してレコードに吹き込む云々の話がある。ボールデンが録音にうんと言ってたらなと思うのだった。
映画の中で演奏される音楽はむろん楽しいのだが、特に最後のシーンに被さる音楽なんて、すげえなあ、誰が吹いているの、これ、と思ったら、現代ジャズ・トランペットの第一人者、ウィントン・マルサリスだった。道理で。マルサリスは映画のプロデューサーも兼ねている。
実は私は東京に住んでいる時、あれは確か中野サンプラザでマルサリスの公演を聴いたことがある。なぜだかはよくわからないがステージの袖にウルトラマンのフィギュアを置いて、それを指差して、ウルトラマン、ウルトラマン、と言って受けてたのを覚えている。今考えると、なぜどうしてそこにウルトラマンがいたか、その目的や意味は不明だが、音楽そのものよりもそのシーンだけをまだ鮮明に覚えていることが、なんとなく歯がゆいのだった。
1900年ニュー・オーリンズ。コルネット吹きのバディ・ボールデン (ゲアリ・カー) はひと角のミュージシャンとしてこの辺りでは知らぬ者がないほど人気があったが、言動が派手で酒と女に目がないボールデンは、仲間以外からは煙たがれもしていた。ボールデンはそれまでのビッグ・バンド的ミュージックに独創と即興を持ち込み、新しい音楽を創造しようとする。一方でボールデンのプライヴェイトの不行状はさらに度が増していき、段々アルコールはボールデンの身体を蝕んでいこうとしていた‥‥
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