放送局: ABC

プレミア放送日: 3/8/2005 (Tue) 22:00-23:00

製作: スティーヴン・ボチコ・プロダクションズ、パラマウント・ネットワークTV

製作総指揮: スティーヴン・ボチコ、ビル・クラーク、マット・オルムステッド、ニコラス・ウットン

製作: ジェフリー・ダウナー、デイナ・ボチコ

共同製作: ジェレミー・ビーム

クリエイター: スティーヴン・ボチコ、マット・オルムステッド、ニコラス・ウットン

監督: ゲイリー・フレダー

脚本: マット・オルムステッド、ニコラス・ウットン

撮影: クレイマー・モーゲンソー

美術: ポール・イーズ

編集: ジョナサン・ショウ、ファレル・ジェイン・レヴィ、コンラッド・ゴンザレス

音楽: マイク・ポスト

出演: ロン・エルダード (ジム・ダンバー)、マリソル・ニコルズ (カレン・ベタンコート)、レナ・ソファー (クリスティ・ダンバー)、レノ・ウィルソン (トム・セルウェイ)、フランク・グリロ (マーティ・ルッソ)、マイケル・ガストン (ゲイリー・フィスク)


物語: 刑事のジム・ダンバー (ロン・エルダード) はある事件で犯人を追跡中、銃撃戦に巻き込まれ、なんとか犯人を逮捕したものの、両眼に被弾して失明する。誰しも彼の刑事生命は終わったものと思っていた。しかしある日、盲導犬ハンクを従えたジムは職場に復帰する。しかし、目の見えないジムと好んでパートナーになろうと思う同僚は誰もなく、結局、ほとんど外れくじを引かされたかのように、カレン・ベタンコート (マリソル・ニコルズ) が相棒を仰せつかる。ジムは目が見えなくても自分がまだ刑事としてやれることを見せようと躍起になるが、しかし彼が奮起すればするほど、事態はこじれていくばかりだった‥‥


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ヴェテラン・プロデューサー、スティーヴン・ボチコのアメリカTV界における貢献を疑う者はいない。群像刑事ドラマの「ヒル・ストリート・ブルーズ」や、このほど終わったばかりの「NYPDブルー」がいかにネットワーク・ドラマの可能性を広げたかについては、異論をさし挟む者はいまい。


その「NYPDブルー」が終わったばかりのABCの火曜夜10時枠にボチコの次回作が編成されるのは、ほとんど当然のことのように思えた。ABCとしてもボチコの次の番組に期待しているだろうし、ボチコとしても自分の次の番組が編成されるのは当然と思っていたろう。そして我々視聴者も、当然ボチコの次回作に期待していた。また「NYPDブルー」のような番組を見せてくれ。


その番組、またもやニューヨークを舞台とした刑事ドラマの「ブラインド・ジャスティス」が期待と不安と相半ばする気持ちを視聴者に喚起させたのは、主人公の刑事ジム・ダンバーが盲目であるという一点にかかっていた。もちろん、これまでにもアクション・ドラマや小説で盲目の人間が主人公であったという例は少なくはない。目の見えない脇役なら、それこそ枚挙に暇がないくらいあるだろう。最近の代表的な例としては、ベン・アフレックが盲目のスーパーヒーローに扮した「デアデビル」をすぐに思い出すし、我らがたけしの「座頭市」だってあった。


目の見えない主人公を設定した場合に最も不都合な点は、主人公の視点から見た映像を描けないことにある。つまり、第一人称の視点を映像として提供できないことで、そのことが特に本人の視点から見たアクションという映像がしばしばシーンの要になるアクション・ドラマの場合、そのデメリットはかなり大きいと言わざるを得ない。むろん、そのことは逆に製作サイドにとっては腕の見せ所となるわけで、見えないものをいかにうまく視聴者に見せるかということが求められるこういう設定は、むしろ視聴者にとってというよりも、製作する側にとって楽しいものなんじゃないかという気がする。


実際、そのことを逆手にとって、目の見えない主人公の目の前に立つ女性の姿を、雨がその人に当たって跳ね返る音で立体的に感じ、それを映像でとらえて見せた「デアデビル」の1シーンなんか、そういう弱点を逆に長所として反転して見せたうまい例だったと言える。こういうふうに視聴者をあっと言わせることができるなら、もしかしたら「ブラインド・ジャスティス」もいい線いくことができるかもしれない。


それにしてもボチコは、リアリティ重視のドラマを製作した後に、こういう、どちらかというとアンチ・リアリスティックな番組を製作する場合が多い。「ヒル・ストリート・ブルーズ」や「L.A. ロウ」で一つの時代を画した後に製作したのが、ミュージカル刑事ドラマ「コップ・ロック」という、本気なのか冗談なのかまったく理解に苦しむ番組であったわけだし、今また「NYPDブルー」の後に、どう見ても現実的とは言えない「ブラインド・ジャスティス」だ。たぶん本人の頭の中では、こういう現実的、非現実的な番組を交互に製作することでバランスがとれているんだろうと想像するのだが、それでも一般的視聴者の立場から言うと、受ける印象があまりにも違うために面食らう。


「ブラインド・ジャスティス」では、ロン・エルダード演じるジム・ダンバー刑事が銃撃戦によって失明し、本来ならその功労でもって引退してもかまわないところを、まだ一線でやれると主張して現場に復帰してくる。しかし、本人の意志はともかく、それが現場で通用するかは別だ。特に「デアデビル」のように基本的に一匹狼ものならともかく、必ずパートナーを組まされ、二人一組での行動が基本の刑事活動においては、相棒にされた方こそいい迷惑である。なんてったって相手は目が見えないのだ。盲導犬のハンクがいないと全然動けない。これじゃまるで2歳児と一緒に行動しているのとほとんど変わらない。その面倒を見ながら調査活動をするというのはどだい無理な話なのだ。


当然相棒にされたカレンは胸の中ではそう思っているし、同僚のマーティに至ってはジムに反感を持っていることを隠そうともしない。あんたの存在は職場のチームワークを乱しこそすれ、なんのいい影響も及ぼさないのだ。あんたがヒロイックな手柄を立てたことは認めるが、今はうちに帰って我々の邪魔をしないでもらいたい。


多かれ少なかれ周囲が皆そう思っている中で働くわけだから、ジムは針の筵の中に座っているようなものだ。しかし、骨の髄まで染み込んだ職業意識は簡単に捨て去ることができるものではなく、ジムはあくまで刑事という職業に固執する。何か一つ手柄を立てることができれば。どんな小さなものでもいい、目が見えなくてもかつてのように働けるということさえ示すことができれば、同僚の意見を翻すことができるだろうに。


とまあ、ここまでは予測できた展開で、さて、これからどうなるんだろうと思っていた矢先、ジムのカンとカレンとの捜査活動が実を結び、二人は連続殺人犯の自宅を突き止める。しかし、そこでカレンは犯人の逆襲にあい、頭を撃って昏倒、ジムが一人、殺人犯と相対する。銃を構え、動いたら撃つと威嚇するジム。こいつは本当に撃てるのか、狙いは正確か、いや、正確でないからこそ、逆にこちらの急所に当たる可能性もなくない。どうする? ゆっくり動けば気づかないのでは? いきなり飛びかかればどうか? こういった仮定が一瞬のうちに犯人の胸の中を去来したのは間違いなく、結局、ビビってしまった犯人は動けず、逮捕されてしまうのだが‥‥


これは無理がありすぎる。第一、たとえ刑事といえども、目の見えない奴に銃を渡す上司なんていない。一つ間違えればすぐに責任問題だ。目の見える普通の刑事の誤射がこれだけ社会問題になっているというのに、いくらなんでも危険すぎる。社会の公僕が銃を抜くのと、個人のスーパーヒーローとしてのデアデビルが銃を撃つのとはわけが違うのだ。それまではなんとかすれすれでリアルな刑事ドラマという路線をうまくバランスをとりながら綱渡りしているという印象があった「ブラインド・ジャスティス」であるが、ジムが銃を構え、撃とうとした瞬間、思わず私はああ‥‥というため息が口をついて出てしまった。この一瞬に、それまで保っていた微妙なバランスが崩壊してしまったと言っていい。これじゃダメだ‥‥


私の女房は私のようにアメリカのTVに詳しいわけではないので、「アメリカン・アイドル」のように本人が楽しみに待っている番組の時間帯以外では、だいたいいつも私が合わしているチャンネルをついでのように見ている。それで、「ブラインド・ジャスティス」も一緒に見ていたわけだが、彼女の視点はもちろん一般視聴者のそれであって、番組がアメリカTV界の功労者スティーヴン・ボチコの最新作だからといって、その批評は容赦がない。というか、そもそも最初から彼女はこの番組がボチコ番組ということを全然わかってなんかいない。それまではその彼女もまだ面白そうに見ていたんだが、私が、ああ‥‥と押し殺したため息を洩らした瞬間に、そばで彼女も同時に、無理ありすぎ、と一言口にした。当然誰だってそう思うだろう。


二人同時に、これはダメだ、と思ってしまったわけで、残念ながらアンチ・リアルな設定をあくまでもリアルに撮ろうとしたボチコの試みは、失敗してしまったと言わざるを得ない。ここで、それまで答えられずにいた微妙な疑問が噴出してしまうのだ。というか、その疑問に否定的な解答がもたらされてしまったと言ってもいい。考えてもみて欲しい。一般市民として、目の見えない刑事に銃を携帯してもらってまで我々の生活を守ってもらいたいと思うだろうか。答えは否だろう。それならまだしも自分が銃を携帯した方がましだと多くの者は考えるに違いない。そしてやはりそれが最も自然な市民の反応だと思える限り、リアルな方法論をとろうとする「ブラインド・ジャスティス」の成功は覚束ない。これはマンガじゃないのだ。


とはいえ、もちろんボチコらしい芸コマの演出も随所に見られる。特に、目が見えないせいで仕事ができないと思われるのが嫌なジムが、朝早くまだ誰も出勤していない分署で、手探りでデスクや椅子の位置を把握しておき、同僚が出勤してきてから、ハンクにも誰にも頼らず、杖もつかず、まるで目が見えるかのように机の間をすいすい縫って歩き、同僚の目を見張らせるというシーンはなかなか効果的で、それでもジムに反感を持つマーティが、わざと机の引出しを開けたままにしておき、さすがにそれは見えないジムがそれに思い切り足をぶつけてしまうという演出は、さらに効果的だ。さすがボチコ、ポイントとなる見せ方は心得ているという感じがする。


ジムに扮するエルダードは、私が記憶する限り、昔からかなり、不運な役というか、負け犬的な役が多い。古くは「冷たい一瞬を抱いて (Bastard Out of Carolina)」から最近は「砂と霧の家 (House of Sand and Fog)」まで、そういうアンチ・ヒーロー的な役柄が多く、要するにここでもそういう資質が求められており、しかもうまくはまっているが、いかんせん番組に説得力がないのが難だ。パートナーのカレンを演じるニコルズは「リザレクション・ブールヴァード」以来久し振りに見るが、ちょっとIMDBを調べてみたら、その後ABCの「エイリアス」、CBSの「CSI」、「コールド・ケース」、NBCの「ロウ&オーダー: SVU」、「フレンズ」、FXの「ニップ/タック」等、近年のアメリカを代表するTV番組のほとんどにゲスト出演していた。実際、彼女はもっと使えそうだ。


結局「ブラインド・ジャスティス」は、実際にはありえない架空の話としてならそれなりに面白い。要するにこれがシリーズ・ドラマではなく、一本の映画だったりすると、欠点にもまあ目をつむれると思うんだが、シリーズとして微妙に引っかかる点がずっと続くとなると、これは厳しいと言わざるを得ない。たぶん視聴者はそこまで寛容じゃないだろう。実際、視聴率の推移はそのことを如実に物語っており、「NYPDブルー」の後釜ということで最初はかなりいい成績で始まったのにもかかわらず、現在では視聴者が当初の半分にまで落ちているのを見ると、さもありなんと思う。ABCは一応13本をオーダーしており、ボチコのこれまでの貢献に対する礼という意味合いも含めて、たぶんその13本は最後まで放送すると思うが、番組が今秋に更新される可能性は残念ながらまずないだろう。






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ブラインド・ジャスティス   ★★1/2

 
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