ブラックアウト2003


2003年8月14日

ひゅうううん、という感じの音を立てて、コンピュータの画面が消えた。あれ、おかしいな、と思った。うちのオフィスは古いビルで、これまでにも真夏にエアコンをフル稼働させるとブレイカーが落ちたことが何度もあり、いきなり電源が落ちること自体は何度も経験済みで、別に珍しいことではない。

しかし、今回は、電源が落ちる感じがいつもとは違った。容量を超えた電力を使い過ぎてブレイカーが落ちる時は、ばちっ、という感じの音がして、いきなりすべてのパワーがダウンする。それで、ああ、またか、と思うわけだが、今回は、パワーがいきなり落ちるというよりも、数秒かかって、大元のパワーが落ちたために、こちらまでパワーを失った、という感じがした。実際、ブレイカーが落ちる時は、電力を使い過ぎの、オフィスの一角のブレイカーのみが落ちるだけなのだが、今回はオフィス内すべてのパワーが落ちた。これは停電か。

そう思って道を挟んだ向かいのオフィス・ビルを見てみると、そちらのオフィスでも、すべての階で同様に窓際に人が立って、こちらを見てたり下の通路を見下ろしたりしている。ああ、やはり。この辺一体の電力供給がストップしているようだ。窓から顔を突き出して6番街の信号を見ると、やはり作動してなく、車がのろのろとクラクションを鳴らしながら徐行している。まいったな、パワーがないと仕事にならないぞ。第一、うちのオフィスは6階建てのビルの最上階で、でかい採光窓がついている。エアコンをフル稼働させても、いつも暑い暑いといっているのに、雨が多く涼しい今夏、華氏90度に達したのはこれでやっと二度目という、その滅多にない暑い日に停電なんてするか。

とはいえ、そういう日だからこそ電力の需要が供給を上回り、過負荷で停電になったということは言える。しかし理屈はわかっていても、エアコンが止まった途端、いきなり温度が上がったようで、じわりと背中から汗が吹き出す。これじゃコンピュータを使わない仕事をしようにも、集中力が持たず、仕事になんかならない。

そのうちに廊下に出て、他のオフィスの人間との情報交換に出かけていたうちのボスが帰ってきて、これはどうも一時的なものではなく、大がかりなブラックアウト (停電) で、当分復旧の見込みがないようなことを言う。他のオフィスでは電池で聞けるラジオを持っているそうで、その話だとかなり広域にわたって電力供給がストップしており、今のところ回復の見込みはまるでわからないらしい。外を見ると、なんだなんだとばかりに歩道に人が溢れ出し、いきなりオープン・カーが大音量でラジオを流し始め、それを聞こうと周りに人だかりができている。道行く人々がそれぞれ一斉に手に手に携帯を持って電話をかけながら歩いている様が、なにやらおかしい。

いずれにしてもこうなるともう仕事にならないので、今日はこれくらいにして、帰る算段をした方がよかろうということになった。とはいえサブウェイも動いてないらしいし、どうしたらよいものか。仕事はこれ以上やってられないが、帰ろうというのも無理がある。しかしうちのボスは、77年のブラックアウトを経験しているのだが、その時、たまたまハーレム近辺の知り合いの家にいて帰れなくなった。そしたら暴動騒ぎとなって、近所のショウ・ウィンドウが暴徒に破られたりするのを目の当たりにしており、とにかく帰れるうちに帰った方がいいと提案する。

それは確かにその通りなんだが、しかし、交通手段が‥‥。多分バスは走っているだろうが、私の住むクイーンズからマンハッタンに通勤している者が何十万人もいるものを、どう考えてもバスだけでさばけるわけがない。方向としては同方向になる、その向こうのロング・アイランドから働きに来ている者、さらにブルックリンも含めると、イースト・リヴァーを渡ってマンハッタンまで毎日働きに着ている者は、少なく見積もっても50万人は下るまい。いったい、それらの人々はどうやって家に帰ればいいのか。ロング・アイランドなんて、マンハッタンに最も近いところでも、歩いたらまず7、8時間はかかるぞ。本当に歩くしか方法がないのか。

それにしても情報が少なすぎる。うちは商売柄、小さなオフィスでもTVが3台、VCRが6台もあるのだが、電気が来てなければただの箱だ。それだけでなく、電話すら使えない。大昔のダイアル式なら停電なんか関係なく使えるはずなんだが、今風のやつはすべて電力を使用するので、こちらもダウンしており、電話がかけられない。私は携帯を所有してないので、ボスの携帯を借りて、家と、こちらは携帯を持っている、ミッドタウンで働いている女房に連絡をとろうとしたんだが、まったく繋がらない。会社の電話にも女房の携帯にもまったく繋がらないのだ。携帯自体がうんともすんとも言わない。外で一斉に電話をかけようと試みている人々の群れを見たら、こりゃ確かに回線がパンクして繋がるまいと思う。

しかし、ただじっとしているだけというのも能がないので、5ブロック先に住んでおり、徒歩10分で家に帰れるボスを残し、私一人が先にオフィスを後にする。明日のことは、もし電話が繋がったらその時点で相談、パワーが回復してなかったら、無理に出社しようとは試みずに、家でできることをするということにする。9/11以降、こういう感じで物分かりのいい上司というのは増えた。時計を見るとちょうど5時。停電になったのは4時15分頃だった。この感じでは確かにすぐ復旧する見込みはなさそうだ。少なくとも今日一日分の予定していた仕事はだいたい片づいていたことだけが唯一の安心材料か。

オフィスを出ると、当然のことながらエレヴェイタは動いていない。いきなり6階分歩きか。まあ、最近運動不足気味で、普段からできるだけ階段を使うようにしているから、それはそれでいいんだが。でも、なんとなく先が思いやられる。外では信号が停止しているので、人がほとんど車道にはみ出さんばかりで列をなして歩いている。車をそれをなぎ倒して進むわけにも行かないので、こうなると車よりも人の方が強い。しかし道行く人々のほとんどが、周りに目をやるのではなく、それぞれ自分の携帯で誰かと連絡をとろうとしている。それでも繋がらないので、ボタンを押したり、携帯を耳に当ててはいるが誰も喋っている者はないというところが、不思議な光景だ。

まずサブウェイの駅に寄ってみるが、案の定ストップしている。ダメか。9/11の時でも走っていたのに。今回は電力そのものが止まっているからな。私の働いているオフィスは21丁目なのだが、それで、とにかく女房の勤めている会社のある、45丁目まで歩いてみることにする。もしかしたらまだオフィスにいるかもしれないし、そうしたら一緒に帰れるだろう。それに、9/11の時に、もし働いている時に何か非常事態が起こったら、42丁目のブライアント・パークで待ち合わせようと、以前に相談したこともある。彼女が一人で待っていたらことだ。

途中、歩道に設けられている、地下鉄へ通じる非常口のようなところの鉄のドアが持ち上げられて、地下から疲れたような顔をした人々が次々と吐き出されているのを目撃する。いきなり送電が止まったわけだから、サブウェイは運行途中に止まったわけであり、その結果、前にも進めず後ろにも引き返せず、電気がないため真っ暗で、空調も止まった中を1時間近くも閉じ込められていたのが、やっと救出作業が始まったのだ。後で新聞記事を読んだら、そういう、サブウェイに閉じ込められた人の談話が載ってて、真っ暗だし誰も状況は説明してくれないし助けにも来てくれないし、蒸し暑いし呼吸困難になるし、このまま死んでしまうんだと思ったと言っていた。可哀想に。

サブウェイだけじゃなく、エレヴェイタの中に閉じ込めれられた者もおり、こういう経験をすると、確かにパニック・アタックにやられるようになるよなと思ってしまう。しかしこれはマンハッタンだからまだすぐに助け出すことができたのであり、イースト・リヴァーの真下のトンネルを走っていて止まったサブウェイなんかは、一番近い出口でも真っ暗な中を手探りで歩いて30分はかかっただろう。「ドラゴンヘッド」だな、こりゃ。

歩道に設置されているペイ・フォン (公衆電話) には、長蛇の列ができている。こういう場合は携帯よりペイ・フォンの方が確実に繋がるみたいだ。しかし、NYのペイ・フォンは、作動するペイ・フォンよりも壊れているペイ・フォンの方が多かったりするため (それでも一時よりだいぶ改善されたが)、必然的に使えるペイ・フォンには長い列ができる。私も女房の会社にまず電話をかけてみたかったのだが、列に並んでも進まない。一人一人が何人もの知人の安否を確認するために、電話を使う時間が長いのだ。5分くらい待って一人しかはけないので、諦めて列を離れる。これじゃ電話の順番待ちをするよりも、歩いた方がよほど速いし確実だ。

というわけで、30分ほどとことこ歩いて、女房の会社の入っているオフィス・ビルにたどりつく。しかし、セキュリティに来意を告げても、インタフォンが麻痺しているので、女房の会社を呼び出してもらえない。エレヴェイタも当然動かないから、様子を知りたいなら自分で階段を上がって見てこいと言われてしまう。女房の会社が3階でよかった。

しかし、いざ3階にたどりつくと、電気が来てないから当然なのだが、廊下が暗い。なんとなく不安になって女房のオフィスのドアを叩くが、うんともすんとも言わず、返答なし。ドアに耳を当てて様子を窺うも、まるで人のいる気配がしない。これはやはり、皆既に帰った後か。いくら旅行代理店に勤めているといっても、外部と連絡がとれないんじゃ、誰かがオフィスにいる意味はないし。

さて、そこで問題となるのは、果たしてうちの女房がどこにいるかということである。とっとと歩いて帰っているのならそれはそれでいいんだが、しかし、へなちょこの彼女が簡単にうちまで歩こうと決心するかという疑問が残る。もしかしたらブライアント・パークにいる可能性は非常に高いかもしれない。これは本気で公園の中を探してみなければならなさそうだ。しかし、実は女房のオフィスに向かって歩いている時に、ブライアント・パークのそばを通ったのだが、こういう状況である、ちょっと見でも、わりと広い公園に、休んだりしている人が鈴なりになっていたのが見てとれた。あの中を人探ししなければならないのか。ああ、せめて正確にどこにいるかということまで打ち合わせしておくべきだった。

しかし、まずやらなければならないことは電話である。これはもう、何分並んでも、まずは女房の携帯に電話をかけてみなければならない。繋がりますように。それで、公園の周りをてくてくと歩き、一番並んでいる列が短そうなペイ・フォンの最後尾に立つ。それでも10分くらい待たされて、やっと順番が回ってくる。そしてコインを投入し、プッシュ・ボタンを押し、そして‥‥「現在、電話に出られません、ヴォイス・メイルにメッセージをお残しください」というお決まりの録音の声が流れてくるではないか。そんな、ヴォイス・メイルになるということは、電話は繋がっているはずなのに、あいつ、もしかしたら、こんな非常事態だというのに携帯の電源を入れ忘れているんではなかろうな、と暗澹たる気持ちになる。とにかく私がどこにいるかということと、また後でかけ直すとメッセージを残し、電話を切る。だいたい一人頭、最低でも数分は電話をかけているのに、私に限って30秒で終わったので、後ろに並んでいた女性なんか、もう終わりなの、と驚いていた。

さて、こうなってくると、どうやら長期戦を覚悟しなければならないようだ。いつ女房と連絡がとれるかまったく予想がつかない。そうなると、必要なのは水である。一応念のために、デリで1.5L入りの水を買っておく。もしかしてこれを持って歩かないといけなくなるとすると、1.5Lはちと重いが、しかし、後で水が足りないと思う事態になるよりは、多めに持っていた方がましだ。

その水をかばんに入れ、今度は公園の探索である。もし女房が公園にいるとして、向こうも私を探して歩き回っていたりすると、広い上にやたらと人のいる公園である、会える確率は非常に小さいだろうが、とはいえ探し回らないわけにも行くまい。

まず公園を一周。公園の内部だけでなく、5番街のパブリック・ライブラリ側までぐるりと回るが、当然会えない。今度は芝生の上もジグザグに歩きながら、ゆっくりと歩く。やはりいない。と、こう書くと簡単だが、広い公園である、軽くゆっくりと2周しただけで、既に30分ほど消費している。そろそろまた電話をかけなくては。

また先程と同じペイ・フォンの前に並び直し、また10分ほどで順番が回ってくる。そして、また‥‥ヴォイス・メイルのメッセージが。そういえばこないだ、携帯のバッテリが少なくなったとか何とか言ってたようなことを思い出す。もしかしたら電源入れ忘れではなくて、携帯までパワー不足か。だいたい、こんな状況で私から電話が来ることがわかっていて、電源を入れ忘れるなんてことはないだろう。いずれにしてもこうなると、私はいったいいつまで公園にいるべきか。

少し疲れてきたので、公園内に大量に置かれている折り畳み式の椅子に座って少し休みながら、これからどうしようか考える。時刻は7時。しかし夏時間なので、まだまだ明るい。もう少しして陽が翳ってきたら、今、公園で休んでいる大勢の人も家路につき始めるだろう。そうしたら人探しも少しはやりやすくなるに違いない。それまではとにかく体力を温存するか。

結局、私はその後、とにかく、多分またダメだろうと重いながらも電話をかけ、それから公園を一周するということを2度繰り返す。それで8時。段々陽が翳り、人の姿も少しずつではあるが減ってきた。今度は、これ以上待つと、暗くなりすぎて人の顔が判別できなくなる。なんてったって街灯はつかないのだ。それで、これで最後と決めて、今度は本当に公園の芝の上から隅から隅まで舐めるようにして隈なく探す。これでダメなら諦めもつく。そして案の定いないのを確認、さて、これで今度は私自身、どうやって家まで帰るか考えなくては。

まず、クイーンズ行きのバスが出ているマンハッタンの60丁目の東の端にあるクイーンズボロ・ブリッジの袂まで行ってみるか。いずれにしても、歩くにしても橋を渡らなければならないわけだし。もし運がよければ、バスに乗れないこともないかもしれない。しかし、その前にまずはトイレだ。汗もかいたが水分もたっぷりとっているので、出るものは出る。というわけで公園内のトイレに行くと‥‥閉まっている。そんな。この辺って、公衆トイレって、確かここしかなかったような気が‥‥。ぐるりと見渡すと、道の向こうに大型書店のコロシアムが。あそこならトイレもあるだろうと行ってみると、いきなり店内に長蛇の列ができており、店員が、トイレは2時間待ちだと怒鳴っている。なんだ、これは。そうか、非常事態だとこういうことになるのか。

しかし、できないとなるとよけいしたくなるのがこういう生理現象の不思議なところだ。しかし、たかだか小便をするのに2時間待ちなんて、とてもじゃないがやってられない。どうしようと思ってまた外に出ると、人をシャットアウトした7番のサブウェイの入り口が。ピンと来るものがあって階段を下りていくと、鉄格子で行く手を挟まれた陰に、既に私と同じ考え方をしたと思われる者たちが立ち小便をした跡がついている。皆、考えることは同じなようだ。それで私もそこで用を済ます。まさかマンハッタンのど真ん中で立ち小便をすることになるとは思ってもいなかったが、一生に一度くらいはこういうこともあるだろう。しかし、私は男だからこういうこともできるが、こういう事態になると、女性は本当に大変だろうなと思う。恥が残っている限り、2時間待つか、他の場所を探さなければならない。女性には悪いが、男でよかったと思ってしまう。

さて、もう公園には用はない。橋に向かって歩くか。段々暗くなってくる中を、てくてくとまずは5番街を北上する。見上げるとまだ空は明るいが、地上はうっすらと闇が覆いつつある。街灯やビルからの灯りがないと、いくら天下の5番街とはいえ、寂しいもんだ。そのうちに、ほとんど完全に街は闇に覆われてしまう。それでも一応は歩いていけるのは、往来を走る車のヘッド・ライトと、自家発電システムを持っている、点在するビルの灯りのおかげだ。

ついでにまた、通り道になる5番街沿いの女房が働くオフィス・ビルに寄ってみる。一応いまだにセキュリティはいるが、もう上階に人がいる気配はほとんどしない。それでも念のためにもう一度3階まで上ってみるが、先程よりさらに暗くなって完全に人の気配がなくなっているだけだった。しかし、少なくとも今度は1階で状況が少し異なっていたのは、セキュリティ・デスクに5インチくらいのポータブルの白黒TVが置いてあって、それでブラックアウトの実況を中継していたことでである。

それにかぶりつくようにして見ているおっさんに、で、本当はいったい何があったのか訊いてみる。おっさん曰く、どうもカナダから送られてくる電力にトラブルがあったみたいで、カナダとアメリカ北東部を含めた広域で電気がストップしているらしいと言う。で、復旧の見込みは? と訊くと、首を振る。やはりダメか。それにしても、懸命に状況を実況しているTV局のレポーターには悪いが、あんたたちのその中継を実際に見ている視聴者は、多分ニューヨーク全域でも1,000人を超えることはないと思うよ。

5番街に戻り、まだ女房に連絡をとる望みを完全に捨てたわけではないので、ペイ・フォンを探しながら歩く。うまい具合に人が並んでないペイ・フォンを見つけ、壊れていないのを確認してコインを入れ、電話をかけようとすると、なんと、今度は暗くてプッシュ・ボタンの番号が見えないのだ。なんてこった。歩道を歩くくらいならまだしも、小さな文字を読み取ったりするのは、そばを通りすぎる車のヘッド・ライトだけでは間に合わない。ブッシュ・ボタンって、どういう配列になっているんだっけ? 確か下の左から右に1、2、3、と並び、上に3列に並んでいるんだったよな‥‥と考えるも、確信はない。いかに日常の生活において、人が細部に注意を払っているわけではないかということがよくわかる。

それでそこのペイ・フォンは諦めてまた歩き出す。周りを見渡すと、僅かに明るい場所にある他のペイ・フォンには、まだ列ができている。要するにこのペイ・フォンが空いていたのは、誰も電話をかけられなかったからか。明るいところにあるペイ・フォンでも、男の人がライターで灯りをつけて、ボタンを確認しながら電話している。私は最近煙草を止める方向に持っていっているので、自宅ではともかく、外では煙草を吸わないため、ライターもマッチも携帯していない。その結果がこれか。

しょうがないので、とにかく橋に向かってまた歩き始める。段々交通量が増えてきた。車も皆、橋に向かって走っているから当然だろう。しかし、問題は、その増えてきた車が進んでいる気配がまったく見えないことで、特に橋に繋がる57丁目に入った途端、車は完全に前に後ろにも身動きができないグリッド・ロック状態に陥ったようで、ほとんどの車から人が降りて、ボンネットの上に立ち上がったりして前方を凝視している。しかし、本当にぴくりとも動かない。これなら徒歩の方がよほど速い。そういえばブライアント・パークのそばを歩いていた時、私の側をラジオを大音量でかけながら走っていったオープン・カーがいるぞ。まだこんなとこにいたのか。中には早々に諦めた者もいるとみえて、歩道の上に乗り捨てられた車が停まっていたりする。あとは歩いて帰ったんだろう。

そしてやっとのことで橋の袂にたどりつく。車も押し合いへし合いの状況だが、それ以上にすごいのは、やはり人の数だ。ここがクイーンズ行きのバスの始発地点となるので、なんとかバスに乗れないかと右往左往している人の数が尋常じゃない。もう、この人の波を見ただけで、バスに乗るという案は反故だ。イエロー・キャブだってこれじゃ無理だろう。第一、橋の上り車線は完全にシャット・アウトされて、とっとと歩きを決意した人たちのために歩行者専用となっており、車が走っているのはクイーンズに向かう下りだけだ。ということは、クイーンズに向けて橋を渡ったが最後、マンハッタンに戻ってこられる保証はない。多分深夜か早朝までこの状況は続くだろうから、クイーンズに行くキャブはないものと考えていい。しかし、バスだって、視界に入る数台に、黒山の人だかりができている。一台のバスに乗れるのはたかだか7、80人くらい。目に前にいるバスは3台。人間は少なく見積もっても1万人はいる。こりゃダメだ。

ここで初めて、本気で家まで歩いて帰らざるを得ないのかということが、実感として沸き上がってくる。これまでは、なんとなく、こうやって歩いているうちにパワーが回復してサブウェイが動き出すんじゃないかとか、ほぼ無理だろうとは思いつつも、それでも、クイーンズボロ・ブリッジまで来たら、もしかしたらバスに乗れるんじゃないかとか、乗り合いでタクシーに乗れるんじゃないかとか、なんとなく一縷の希望のようなものを持っていたのだが、実際にそこに来て現状を見てみると、そんな希望ははかなく消えた。何時間待ってもバスに乗れる可能性なんかないのは明らかだ。第一、ジジババや小さな子供を連れた家族連れが我慢してバスが来るのを待っているのをさておいて、こちらが先にバスになんか乗れない。

そうなると、いったいどのくらい歩けば家にたどりつけるか、初めてここで真面目に計算してみた。それまでは現実に直面するのがいやで、わざと考えないようにしていたのだが、こうなってはそうも言っていられない。時間配分をして自分の体力も計算して歩かないと、途中でばてばてになって、本当に帰れなくなってしまう。

これまで車に乗ってマンハッタンまで来た経験から言うと、クイーンズボロ・ブリッジから、クイーンズのフォレスト・ヒルズの私のアパートまでの距離は、確か10マイル (約16km) くらいである。通常、成人男子の歩くスピードというのは1kmを10分くらいのはずだから、単純計算で家まで160分、3時間弱というところだ。既に3時間半ほどうろうろとミッド・マンハッタンをうろついて時間を潰したというのに、ここからまだ3時間か。がっくり。やっぱり計算なんかしないで、ただ歩き始めた方が気分的には楽だったかもしれない。日暮れて道遠しという言葉が、実感として迫ってくる。

しかし、ここでうなだれてたってしょうがない。周りを見渡すと、結構皆意気揚々と橋に向かって歩き出している。すでにぜいはー言っている者もいるが。橋を渡ろうとしている車で一人しか二人しか乗っていない車は、警官が止めて、老人や子供、妊婦を乗せている。それでも歳とった者が全部車に乗れるというわけでは到底なく、諦めて歩き出している者も大勢いる。と言うか、ほとんどがそうなんだが。その中には、どう見ても7、80くらいは行っているような者も見えるが、本当に大丈夫なのか、他人事ながら気になる。さて、私も行くか。感じとしては、これからが本番だ。時刻はちょうど9時。途中でへたばらなければ、日付が変わる前になんとか家までたどりつけるだろう。それに、橋を渡りさえすれば、もしかしたらバスがピストン運行しているかもしれない。まあ、そうだったとしても、それに乗れる可能性もあまりあるとは思えないが。

考えれば、車では何度も渡ったことのあるクイーンズボロ・ブリッジであるが、歩いて渡るのはこれが初めてだ。どうせなら日が暮れる前ならば、少しくらいは景色を楽しみながら歩くということもできるだろうが、ほとんど足元も覚束ないくらいの明るさしかなく、右も左も遠景はほとんど真っ暗で何も見えない。ただ歩くしかないか。それにしても、歩いている者の2、30人に一人くらいは懐中電灯を持っているのは不思議な気がする。まさかこういう時のために用意していたとも思えないのだが。停電になってから買ってきたのだろうか。いずれにしても、そういう人たちがいるおかげで前方が仄かに明るく、こちらにとっても役に立っているのは確か。

てくてくと歩くそのそばを、ほとんど同じくらいのスピードで車がのろのろと進んでいく。クイーンズに向かって歩く人の波を縫って、逆方向のマンハッタンに向かって歩いてくる者もいる。マンハッタンに住んでてクイーンズで働いているという者もいるだろうから、考えれば当然だ。途中、案の定、中央分離帯に座って既にぜーはーしているお年寄りがいる。無理しないで頑張ってください。やはりこの分だと心臓麻痺で倒れる老人が何人も出そうだ。

車の中にはトラックも結構の割合で走っているのだが、かなりのトラックが荷台のドアを開け、人を目一杯乗せている。ピックアップ・トラックなんて、ラジオを聴いて酒盛りしながら、なんて感じで走っているのばかりだ。当然違法なのだが、こんな時である。警官も見て見ぬ振りだ。災い転じて福となすを実践していて楽しそうだなあ。そう言えば、私が電話をかけようと四苦八苦している時、そばでポンチョを着てギターを抱えた、一目でメキシコのマルアーチとわかる歌い手たちがスペイン語の歌を歌いながら歩いて周りの者から喝采を浴びていたが、ラテン系って、本当に生活を楽しむ術には長けているようだ。

そうこう、考えるともなしに考えながら歩いていたのだが、歩いてみると、結構橋って長い。車だとせいぜい2、3分で渡りきってしまうのに、15分くらい歩いて、やっとかすかな上りが心持ち下りになって、橋の中央に達した感触を得る。ということは、橋を渡るだけで30分か。これは先が思いやられる。私が履いている靴は黒の革靴ではあるが、底は一応ラバー・ソールになっていて、まだ歩きやすい方なのだが、普段この靴と交互に履いている、ワラビー・タイプの靴を履いていた方がまだ楽だったな。しかし、見ていると本当に底が固い革靴を履いている者もいるし、女性ではわりとヒールがある靴を履いている者もいる。あれは歩きにくかろう。今日ハイ・ヒールを履いて出社した女性は、オフィスにスニーカーを置いてなかったら、とっととスニーカーを買いに走ったか、さもなければ地獄を見ることになったろう。

ようやっとのことで橋を渡り終える。本当に30分かかった。しかしとにかくクイーンズに入ったということで、なんか、一つ仕事を終えたような気になる。クイーンズ側の橋の袂では、知り合いを迎えに来た者たちでごった返している。知らせを受けたか、あるいはとにかくこれでは家族の者が橋を渡って歩いて帰ってくるのは間違いないと見た者たちが、近くまで車に乗って迎えに来ているため、大渋滞混雑に陥っていて、マンハッタン側とは別の意味で収拾がつかなくなっている。しかもそれらの車を整理するはずの信号は機能してなく、交通整理に当たる警官も、あまりの無軌道ぶりに手を持てあまし気味だ。

少なくともマンハッタンでは人々は同じ方向に向かって歩いていこうとしていたが、クイーンズ側では、暗くて人の顔などほとんど判別できないのにもかかわらず人探しする者が大勢いるため、人の波が一定でなく、ぶつかりそうになって歩きにくいことこの上ない。そこここの高台に登って家族の名を大声で呼び合っているのだが、この中から目指す者を見つけ出すのは、はっきり言って私がブライアント・パークで女房を探そうとしたのよりももっと難しいだろう。

その波を抜けて、ついに、やっとのことで目抜き通りのクイーンズ・ブールヴァードまでたどりつく。しかし、クイーンズ・ブールヴァードって、橋を降りたらすぐという印象があったが、降りてからさらに10分は歩いたぞ。私の住んでいるアパートは、フォレスト・ヒルズという町のクイーンズ・ブールヴァード沿いにあって、つまり、クイーンズ・ブールヴァードに達したら、後は基本的にまっすぐ一本道である。そのことだけを考え、距離は考えないようにしながら歩き続ける。バス停には人だかりができており、一応バスは走ってはいるようだが、視界内にバスが一台も見えないことを考えると、ピストン運行と言えるほどの本数が走っているようには到底見えず、しかも、ここでもジジババ子供たちが多数道端に座り込んでいるのを見ると、成人男子の出る幕は到底なさそうだと、とっとと諦める。それに、なんとなくここまで来たら歩けるだけ歩いてやろうという、ほとんど捨て鉢な意地がむらむらと沸き上がってくる。

現在、マンハッタンにある近代美術館 (MOMA) は改装中で、その間、暫定的にクイーンズで間借りして一部の展示を行っている。それがこの近くにあるのだが、考えればこの辺を歩くのは、そこに来た時以来だ。しかもその時はクイーンズMOMAのオープン直後で、今日とは違う意味でやはり黒山の人だかりで、結局、これから並んでも入場は無理と言われ、がっくりきて栓なく家に帰ったのであった。その上今日も辛い思いをして歩いている。ここら辺では、あまりいい想い出がないなあ。

クイーンズ・ブールヴァードは、方向としては南東の方角に向かっているのだが、私が歩いているその真正面には、ぽっかりと、やや半月を過ぎたくらいの月が浮かんでいる。まだ低い位置にいるのでかなり大きく見えるが、オレンジ色の光を発散し、結構禍々しい。今日一日を象徴しているかのようだ。地表に灯りがないから星もよく見えそうなものだが、それほど星はよく見えるというわけでもない。やはり都会では常時スモッグやらなんやらが大気を覆っているのだろう。しかし、この半月があるだけでも、地表は真っ暗闇にはならなくて済みそうだ。

さて、と。距離のことは考えずにひたすら歩く。バスが一本、牛詰めになった乗客を乗せながら、横を通りすぎていく。ピストン運行どころか、普段より本数少ないんじゃないのか。考えると、ブラックアウトになってからバスの運転手を呼び出そうにも、電話は使えないし、サブウェイも動いてない。これじゃ運転手だってターミナルに行くことすらままならないだろう。クイーンズに行けばいきなりバスがいっぱい走っているんじゃないかというのは、虫がよすぎる考えだったようだ。

しかし、私もそうだが、結構皆よく歩く。このあたりまで来ると、お年寄りや子供連れは、まあ、まだ少しはいるが、バスを待っているのだろう、あまり見かけなくなり、ほとんどが若い者から上は50代くらいまでになっている。既にブライアント・パークから数えて私も1時間半ほど休みなしで歩いているのだが、周りにいる者も含め、わりと皆すたすたと歩いており、人間、歩こうと思えば歩けるんだなあという感じだ。快調快調。この分なら途中で休みなどとらなくても家に帰れるかもしれない。

クイーンズに入ってからしばらくすると、路肩に近くに住んでいる人たちが出てきて、そこここで家路を目指す者たちにヴォランティアで水を配っている。一応私は水を買っていたからいいが、そうでない人たちにとっては天の配剤に違いない。既に通り沿いの店はほとんどが閉まっているし。こういう、いざという時には皆が助け合わなくてはという精神は、特に9/11以降、顕著に見受けられるようになった気がする。人は学習するものなのだ。それにしても、色々な意味で、ニューヨークが世界で最もハプニングが多く、エキサイティングな街だということは言えそうだ。

面白いのは、そういう、ヴォランティアで水を配っている者たちのすぐそばで、商売根性丸出しでペット・ボトルの水を売っている奴等がいることで、多分ブラックアウトの知らせを聞いてからすぐ買い占めたか、あるいは近くの商店の奴等だろう。しかし、その300mlしかない水が2ドルかよ、暴利だぞ。いったい誰が買うっていうんだ、そんなの。そのすぐ向こうでは、今度はアイスクリーム屋のトラックに列ができている。今日はいつもの3倍は売れているに違いない。これまた転んでもただでは起きないニューヨーカーの面目躍如というところか。

時刻は10時を回り、この辺りまで来ると、歩いている者も一人減り、二人減りして、だいぶ少なくなってきた。もう人をよけて追い越すという感じではなくなり、自分のスピードでまっすぐてくてくと歩く。そばを走る車も、道を渡る人間が少なくなっているので、スピードが速くなっている。今度は道幅の広いこの道のことだ、この暗い中、道を渡るのは非常に危険という感じだ。実際、懐中電灯を持っている者が周りに見当たらなくなってきたので、足元はかなり覚束ない。ところによっては、空白地帯のようにいきなりほとんど前方が真っ暗で何も見えない箇所が出現したりする。ついさっきまでは前方に灯りが明滅していたはずなのだが、一瞬、車も通らず、人も見当たらない、いや、人は歩いていることはいるが、懐中電灯を持っている人間がいなくなって、ほとんど前方の視界が利かないという事態が出来する。

げえ、まじかよ、これじゃ暗くて歩けないじゃないか、と思ってふとわきに目をそらすと、そこには疲れて歩道の上で座って休んでいる者がいて、じっと私の方を見ていたりするので、思わずぎょっとする。何か物音を立ててくれよ。驚くじゃないか。しかし、かなり暗い中でも、人間の白目というのはぎらぎらと反射して明滅しているもので、わりとよく見えるものだということを知った。

それにしても、やはり、私も疲れてきたな。もう、汗だらだら。補給する水が全部そのまま皮膚から蒸発しているような気がする。これほど汗をかいた記憶は最近ではまったくない。少なくとも今日が今年最も汗をかいた日であることだけは確かだ。路上のそこかしこに設けられている消火栓は、本当は勝手に口を開けて水を出してはいけないのだが、それがいくつも水を吹き出しているところを見ると、近くに住む者が暑さに閉口して勝手に水浴びをしたものだと思われる。当然エアコンは効かないわけだし。

それに列を作って、頭から水を浴びる者が跡を絶たないというのもなにやらおかしい。当然私もその列に並び、メガネをとり、頭から水を浴びる。気持ちいいーっ。生き返るーっ。もう、ほとんど上半身びしょびしょになるまで、思う存分冷たい水を頭からかぶる。これでもうしばらくは歩けそうだ。

とはいえ、自分自身、最初の方と較べて歩くスピードが遅くなっていることを自覚する。やっぱり自重してペース配分を考えながら歩かないとダメだ。時刻は10時半、月も45度くらいの位置まで上っている。距離としては3分の2くらいは来ているはずだが、自分の体力を考えると、これからが峠だな。ふう。というわけで、近くの柵に座って、本格的に歩き始めてから最初の休みをとる。柵の上は、休みをとる人で鈴なりだ。うーん、ちと股関節が痛いかな。やはりいきなり飛ばしすぎたのが悪かったか。

10分ほど休憩をとり、さて、また行くかと重い腰を上げる。どうやら一列に柵の並んでいるこの辺一帯が、歩行者の臨時の休憩場所と化しているようで、皆、そろそろ疲れが表面に出始める頃に、さも座ってくださいとばかりに手頃な柵が一直線に伸びていると、誰も誘惑に抗しきれないみたいだ。誰かが座り、交替で誰かが立ってまた歩き始める、という光景が休みなく続いている。こうやってみると、まだ意外とお年寄りも多い。まあ、彼らは、いったん座るともう立ち上がる気力があまり残ってないみたいで、ずっとそこに座って休んでいる者が多いということもあろう。しかし、いつかは立ち上がらなければなるまい。

しかし、いったん休むと休み癖がつくというのか、いきなり路肩に座り込んでいる人間の数が急激に増えてきたような気がする。とにかく、ここら辺りが剣が峰とでも言うか、普通、人が休まずに歩いてこれる一つの目安というか、ポイントがどうもこの辺にあるという感じだ。皆、座り込んで下を向き、ぜいはー言っている。

クイーンズの幹線道路ということもあり、通路沿いにホテルが建ってたりもするのだが、自家発電システムがなければ当然ホテルだって灯りはつかないし、上の階では水も出るか怪しいものだ。灯りのないロビー、そして車回しに、客も従業員も所在なげに座って休んでいる。部屋に帰ってもやることないだろうし、ただ蒸し暑いだけだろう。私もこれが最後とロビーに入っていってペイ・フォンを探す。これで繋がらなければもうずっと無理だろうし、いずれにしてもあと1時間くらい歩けば家に着くはずだ。

案の定、暗いとはいえ非常灯のようなものがあるので、目が慣れてくると、ペイ・フォンのプッシュ・ボタンの文字も見える。しかし、やはり繋がらない。自宅もそうだ。留守電にすらならない。当然だろう、電気が通ってないし。しかし、一応呼び出し音は聞こえるのだが、実際には鳴ってすらいないのだろうか。それとも女房はまだ帰ってないのか。

また歩き始めた途端、いきなり若い二人連れの女の子から声をかけられる。電話をかけなくてはならないんだが、クオーター (25セント硬貨) がない。持ち合わせはないか、とても重要な電話なんだ、と訊いてくるので、どうせ私はもう家に着くまでは電話をかけることもないだろうと、持っている硬貨を全部渡す。「ゴッド・ブレス・ユー」と言って去っていったが、まあ、今どうしても電話をかける必要があるからには、本当に重要なことなんだろう。それともこれからデートかなんかか。

通路沿いに総合病院もあるのだが、多分自家発電システムでカヴァーできるのは、ICUや、重態の患者を収容するごく一部の病室だけなんだろう、建物自体はやはり暗いし、外に車椅子や包帯を巻いた患者が大勢たむろっている。重病ではないとはいえ、空調の利かない真っ暗な部屋に一人取り残されるのは、特に病人にとっては心細いことに違いないため、歩ける者は外に出てきたのだろうが、ちょっと見では、なんか、ホラー映画のように見えなくもない。

一方、建物の構造上、入り口付近には雨風がしのげるピロティのスペースが設けられているため、かなりの数の一般人も、そこに座り込んで休んでいる。というか、この辺でついに家に帰るのを諦めたと見える者が、わりと大勢、横になって寝ている。下はコンクリートで寝心地がいいとは言えないだろうが、もう一歩も歩けないようだ。まあ、実際、非常灯があるため決して真っ暗にはならず、ERもあり、救急車が行き来したり、セキュリティが常時巡回しているという点では、安心できるとも言える。ここだと何が起こっても、最悪怪我を手当てする道は確保されているわけだし。

ようやっとのことで、クイーンズでは最も繁華街と言える、ショッピング・モールのクイーンズ・センターまでたどりつく。時刻は11時になんなんとしている。ふう、ここまで来ると、本当に近くまで来たという感触がある。もうちょっとだ。何も問題なければ、あと30分くらいで帰れるだろう。ここはクイーンズ・ブールヴァードとウッドヘイヴン・ブールヴァードという、やはり主要道路が交差するところであるだけでなく、下をサブウェイ、上を高速道が通る交通の要所なので、人々が交通機関を乗り換えるため、地上でも何本ものバス路線が行き交う。当然のことながら、まだここでも、ついに力尽きる直前の者たちが、息も絶え絶えにバスを待っていたりする。

ここでもこんなに人が待っているのか。やはり最後まで歩かなければならないのか。家まであとせいぜい30分程度だろうとはいえ、やはり疲れたぞ。と、がっくりと肩を落として振り返った私の視界に入ったのは、こちらに向かって走ってくる、一台のバスだった。ああ、バスだ、もうそろそろ乗客も減ってきているだろうに、でも、まだこれだけバスを待っている人がいるんだから、やっぱり乗れないんだろうなあとぼんやりと考えながら、ぼうっとして迫ってくるバスを見ていた。

その時私はまだバス停にまで達してなく、まだバス停までは20mくらいの距離を残していた。そこではまだ人が多くの人がバスを待っている。そしたら何がどう作用したのか、そのバスがするすると私のところに寄ってきて、バス停までまだだいぶ距離があるというのに、私の目の前で停まったのであった。ドアが開き、ぞろぞろと乗客が降りてくる。そして、ドアは開いたまま、だんだん、私の後ろに、そのバスに乗ろうと人が並び始めた。

え、何、ということは、もしかして、俺、乗ってもいいかな? やった、ラッキー! と、ついにバスの中に足を踏み入れたのだった。考えるに、まだ人がたかっているバス停まで行くと、降りる人、乗ろうとする人で収拾がつかなくなることを怖れたバスの運転手が、バス停の心持ち手前で停めたところ、ちょうどそこに私が立っていた、というのが真相のようだが、もう、こうなってはどうでもいい、ありがたくこの僥倖を享受することにする。バスの中はクーラーが効いている。しあわせー。

因みにニューヨークのバスは乗る時に料金を払って前方のドアから乗る前払いのシステムであり、降りる時は前からでも後ろからでも降りてよい。しかしこういう非常時である。皆、前からも後からも乗るし、誰も金を払わない。私も別にバスが無料になったというアナウンスを聞いたわけではないのだが、その時に金を払うということはまるで考えもしなかった。もしその時に運転手が通常料金の2倍だと言っても文句を言わず払ったと思うが。あとで、ブラックアウトになってからはシティのバスは無料になっていたということを知った。ということは無賃乗車ではなかったんだな。

バスが走り始めると、うわー、速い速い。まだ歩いている者たちをたちまちのうちに抜き去っていく。これまでバスというと、目的地に着くまでに時間がかかりすぎるので、まず普段は利用することのない乗り物だったのだが、今日、こうして久し振りに乗ってみると、バスってこんな速い乗り物だったのかと驚いてしまった。すべてのバス停に停まるのではなく、主要のポイントだけにしか停まらない急行バスになっており、車に乗っているのと大して変わらない。

そして、次のバス停が私の住むフォレスト・ヒルズであり、もう、本当に、あっという間に着いてしまった。この間、僅か3、4分である。ついに着いた。しかし、ここでもまだ乗ってくる人が多い。大変だなあ。それにしても、全行程でもたかだか十数マイルの距離でも、半日かけてやってのことでたどり着いたというのに、この倍の距離を2時間強で走ってしまうマラソン・ランナーのすごさを思い知った。Qちゃんって、やっぱりすごいんだな。彼女ならこのくらいの距離、うちまで走って帰ったかもしれない。

さて、疲れてはいても、もう家だと思うと気は軽い。多分家に着くのは11時半を回った頃と踏んでいたのだが、バスに乗れたおかげで、11時ちょい過ぎに着いた。暗いアパートの入り口に入っていくと、いきなり人影がぬっと現れる。思わずぎょっとしてよく見ると、なんと女房だった。なんだなんだ、一応、先に帰ってはいるはずと思ってはいたが、もしかしてずっとここにいたのか。

とっさに思ったことは、よくぽかをする奴なので、こういう時に限ってオフィスに鍵を忘れて部屋に入りそびれ、私が帰ってくるのをずっと待っていたのかということだった。しかし、よおく見ると、既に部屋着に着替えている。訊くと、とっくにシャワーも浴びたということで、じゃ、なんでこんなとこにいるのと訊くと、上が真っ暗で、手探りじゃないととてもじゃないけど歩けない状態なので、そろそろ帰ってくる頃じゃないかと思って、懐中電灯を持って待っていたのだという。泣かせる話じゃないか。

ロビーに入ると、階段だとか要所要所に蝋燭が立てられている。それなしじゃ何も見えないんだろう。懐中電灯をつけ、私らの部屋がある4階まで上がる。試しに懐中電灯を消してみる。おおお、本当に何にも見えない。外で半月と車のヘッド・ライトがどこまで世の中を明るくしていたかがよおくわかる。手を目の前に持ち上げてみる。30cmくらい前に自分の手があるはずなのだが、なあんにも見えない。

試しに部屋のドアの前で灯りを消してみる。鍵穴がどこにあるかどころか、ドア自体がどこにあるのかまったくわからない。これでは、せめてマッチくらい持ってないと、確かに永遠に自分ちに入れなさそうだ。うちの女房が帰ってきた時はここまで暗くはなかったそうだが、それでも手探りじゃないと前に進めないくらいには充分暗かったそうで、当然階段を歩いて4階まで上るしかなかったのだが、部屋番号が見えないので、今、何階にいるのかわからなくて混乱してしまったそうだ。なるほど、それは大変そうだ。階数を間違えて、自分ちと思ってその真上か真下の他人の部屋の鍵をがちゃがちゃやってたら、中に人がいたらびびるだろう。

しかも鍵穴は暗くてよく見えず、その上、手探りで鍵の形を判別しなければならないのだが、なんといっても持っている鍵が多いので、ややもすると一度試した鍵がまた鍵束に混ざってしまう。どれがどれだかわからなくなってまた混乱して最初からやり直すということを繰り返したために、ドアの前で10分くらいもたもたしていたそうだ。

これはよくわかる。ニューヨークの部屋はどこでも鍵は二つ以上ついているし、その上オフィスの鍵も併せると、誰でもキー・ホルダーに最低でも5、6本は鍵を持っている。因みに私の場合、うちのアパートの入り口の鍵1本、部屋の鍵2本、メイル・ボックスの鍵1本と、アパートの鍵だけで4本ある。さらにオフィスのビルの入り口の鍵1本、オフィスの鍵2本、非常口の鍵が、1階と、オフィスのある6階の鍵1本ずつ併せて2本、さらにエレヴェイタの鍵1本 (休日は鍵を差し込まないとエレヴェイタが動かない) の6本、計10本を常時持っている。それでも、これでもキー・ホルダーがかなりの重さになるから、なるべく必要な鍵以外は持たないようにと、オフィスのトイレの鍵やアパートの通用口の鍵、地下の出入り口の鍵等は外して、さらに車の鍵は別にし、必要最小限の鍵しか持っていないのにこの数なのだ。ほぼ真っ暗な中を、その中から手探りで目指す鍵を探し当てるのがいかに大変かはよくわかる。

うちは猫を飼っているのだが、そうやって女房が鍵をがちゃがちゃやっている時、最初、やっと誰かが帰ってきた、メシだ、と思って、部屋の中からニャーニャー甘えた声を出していたのだが、いくら経っても誰も部屋に入って来ず、ずっと鍵をがちゃがちゃやっている。これは何か尋常じゃないと思ったようで、ニャーニャーやっていたのが、だんだんフーッと、威嚇の声を部屋の中から出し始めたので、女房は慌てて、アズちゃん (うちの猫の名だ)、私、私と一生懸命外からなだめながらやっとのことでドアを開けた。そしたら、待ちに待った瞬間とばかり、いきなり猫が外に飛び出してしまったので、一瞬真っ青になってしまったそうだ。

そりゃそうだろう、一瞬のうちに、目を凝らしてもまったく見えないところに行ってしまったのだ。探しようがない。あっと思って、どうしようと思って立ちすくんでいるうちに、別に大したことはないようだと猫が帰ってきたからよかったものの、もしそのままどこかに行ったきり、上や下の階に行ってしまって戻ってこなかったら、どうやって探せばいいかとくらりときたそうだが、そりゃ無理もない。

で、部屋の中に入り、懐中電灯をなんとか手探りで探し出し、シャワーと着替えを済ませて一段落ついたところで、降りていって私を待っていたということだそうだが、しかし、それにしては電話が繋がらなかったのはなぜだ。携帯も、うちの電話も、両方繋がらなかったぞ。留守電どころか、鳴りさえしなかったのか。試しにうちの電話の子機を持ち上げてみると、うんともすんとも言わない。停電になると、留守電どころか、単に通話することもできないのか。うーん、現代文明の弱点を垣間見たような気がする。しかし、では、だったらなぜ携帯まで繋がらなかったのか。こんな時に限って携帯を携帯していなかったのか。

「実は、2、3日前から携帯が見当たらないの」
「へ?」
「なんか、どこに置いたか思い出せなくて‥‥どうもなくしちゃったみたい、携帯‥‥」
「なにー!?」

なんと、うちの女房はここ数日間、携帯を持ってなかったのだ。しかし、だったら、なんでそれを私に先に言わない。おかげで私はマンハッタンで無駄な時間を無為に過ごしてしまったではないか。もしかしたら私がかけていた電話は、誰も聞こえないところで鳴っていたのかもしれない。あるいは、パッテリーが切れて、鳴ることさえなかったのかも。ああ、私の努力が‥‥

しかも彼女、いざという時はブライアント・パークで待ちあわせ、という打ち合わせなどけろっと忘れていて、停電になってオフィス業務ができなくなった途端、同僚と一緒にとっとと帰宅の道についてしまったそうで、5時には既にクイーンズに向かって歩き出していたそうだ。クイーンズボロ・ブリッジを渡りきったところで、そういえばなんかあった時、待ち合わせをするという取り決めをしたことを思い出したそうだが、後の祭りである。当然それから戻ろうなんてことはせず、もし待っていたらゴメンと思いながら、あとはひたすら家を目指して歩いたそうだ。

このバカタレーと、私が怒り狂ったのは言うまでもない。おかげで疲れが倍加したが、しかし、まあ、彼女がまだ少しは明るいうちに帰ってきたおかげでなんとか部屋の中に入れたとは言えるし、それはそれでよかった点があったと言えないこともない。とにかく、ここは一応二人とも無事に家に帰れたことを喜ぶべきだろう。とにかく、今はシャワーだ。汗みどろで気持ち悪い。彼女は蝋燭の仕舞い場所を知らなかったので、私がクローゼットの中から取り出し、蝋燭の灯りでシャワーを浴びる。お湯は出るし水も出る。生き返る。疲れてさえいなければ、かなり雰囲気のある入浴と言えないこともない。地下のボイラーは電気を使わないのだろうかという疑問が頭をよぎるが、とにかくお湯は出るんだ、そういうシステムになっているんだろうということで、その他のよけいな疑問は頭の中から追い出す。

私は沖縄出身なので、ガキの頃は台風が来るとどこぞの電柱が薙ぎ倒され、停電になるということが毎年必ず何回かはあった。だからどこの家庭でも蝋燭は必需品だったのだが、今では蝋燭、というかキャンドルは、夜のディナーの雰囲気を出すためとかの装飾品としての需要の方が多いみたいだ。私が持っている蝋燭も、確か誰かの結婚式の時の引き出物としてもらったもので、へんに形がお洒落でお尻が丸い蝋燭で、ちゃんとした蝋燭立てじゃないと立ちにくい。もしかしたら蝋燭を持っていない家庭もかなり多いだろう。蝋燭、電池式ラジオ、懐中電灯の類いはやはり常備しておくべきだ。

9/11以降、ニューヨークの家庭ではその種の備品を常備しておくところは増えたようだが、私たちはどちらかというと水や食料の方に気を取られて、蝋燭までは気が回らなかった。水や乾パン、懐中電灯、必要最小限の衣類とかはバック・パックに入っていつでもすぐに持ちだせるようにはなっているんだが、災害があった場合、蝋燭持って外を歩くなんて状況は想定していなかったのだ。それにしてもガキの頃は停電になると、なんかいつもとは違ってわくわくして、暗いのにわざわざ兄貴とかくれんぼをして押し入れの中とかに入って遊んだことを思い出す。実際、こんだけ疲れてさえなければ、いつもと違う雰囲気の中で女房とお喋りくらいは楽しめそうなもんだが。

その日の晩ご飯は、二人とも疲れてて何も準備する気がせず、店屋ものを買いに行く気も起こらない。だいたい、この時間で店が開いてるかもわからないし、開いてたとしても、冷蔵庫だって稼働してないだろう。それよりも何よりも、第一、これからまた外に出る気が起こらない。この時間じゃデリヴァリもやってくれないだろうし。冷蔵庫を開けてみると、停電後半日くらいではまだ中は充分冷たく、何かが傷んでいるという気配はない。アイス・クリームだってまだ充分食える。もちろん電子レンジは使えないが、作ろうと思えば何か作れるだけの材料はないこともない。

しかし、ガス・コンロは電気的に点火するので、コンロを使おうと思うと、つまみをひねってガスを出し、マッチかライターで点火しないといけないのだが、うちの女房はびびってそれができない。文明に慣れ過ぎだ。我々がガキの頃はまだガス・コンロといえばだいたいがマッチを擦って点火する方式だったはずだが、あんたは台所を手伝ったことがないのか。

とはいえ、私もこれから野菜を洗って炒めて‥‥とか考えただけでも億劫なので、結局、お湯だけ沸かし、まだ完全には冷え切っていない保温ジャーに残っていたご飯でお茶漬けを作り、もう、それでいいことにする。栄養のあるものは明日食えばいい。この感じじゃ停電は明日まで続きそうだし、そうなったらどうせ家で待機だ。それにしても、最近コンロも電気式のものが増えてきているが、やはり生活をすべて電気に頼るべきではないなという思いが頭をよぎる。

で、とにかくシャワーを浴びてすっきりし、腹が一応満たると、さすがに自分のことだけでなく周りの状況が気になってくる。だいたい、こうなった理由は、帰りがけに女房の会社で見たTVである程度はわかったが、それからなんらかの状況の進展があったのか知りたいところだ。しかし、うちには電池式TVどころか、ラジオすらない。いや、ラジカセならあることはあるのだが、常にコンセントにプラグを差し込んで使い、電池で使用することを想定していないCDブームボックスなので、単一電池10個なんて用意がない。それで車についているラジオを聴きに外に出た。

我々の車はいつもクイーンズ・ブールヴァードを挟んだ向こう側の路上に停めてある。もちろんニューヨークでは合法だ。この辺は治安もそれほど悪くないので、数年間ずっと路上駐車だが、車上荒らしにあったことも車自体を盗まれたこともない。ただ一度だけ、何かぶつけられたことがあって、車体にへこみ傷があるのだが、大した車でもないし、ほっといている。あと、時々停める場所を探すのに苦労する時があるのと、場所と時季にによってはやたらと枯葉が積もったり、鳥の糞を落とされたりするのが些細な問題点といったところか。

ま、とにかく、というわけで女房と一緒に外に出た。うちのアパート・ビルの入り口は、通りからちょっと中に入ったところにある。通り自体は幹線で、いつも人通りがかなりあるのに、ブラックアウトということで入り口はかなり暗い。その上、その入り口のそばに、意味のない死んだ、空いた空間があって、どうもそこで、いい場所を見つけたとばかりに立ち小便をしていく輩が跡を絶たないようで、ドアを開けるとぷーんと臭う。

それよりも何よりも驚いたのが、そこへマットレスを置いて寝ている男がいたことだ。マットレスまで持ってきているということは、うちのビルの住人の誰かなんだろう。暗いし、寝てるし、懐中電灯を当てて起こすのも可哀想なのでほっとくが、しかし、こんな臭うところでよく寝れるなと思う。多分、最上階の6階に住んでいる奴だろう。昼間はいい天気だったのにエアコンが使えなかったので、部屋の中が熱帯になってしまったのに違いない。今日の陽射しでエアコンなしだと、最上階は100度F (40度C) は軽く超えたろう。夜になってもそれほど気温は下がってないし、風もほとんどない。扇風機もあっても使えないし、多分、いまだに部屋の中に熱気がこもって寝られないに違いない。

しかし、この臭い匂いと、暗くて危険な中でもまだ外で寝た方がいいと思うくらい暑いのか。まだまだ人通りはあり、これからも何人もここに小便をしようと入ってくる奴がいると思われるが、そしたらいきなり人が寝ているのを見てびびるに違いない。それでも安全よりも寝苦しくない方を選んだようだ。

クイーンズ・ブールヴァードは幹線で片側5車線の広い道なのだが、夜も更けてくると通行量も少なくなるので、交差点の横断歩道まで歩くのがかったるいため、だいたいいつもJウォーク (車道を突っ切ること) をして横切ってしまう。危険なのだがいちいち遠回りするのが面倒くさく、しかも私と同じように思っている者が多いため、事故が絶えない。ニューヨークで最も死亡事故が多い通りであり、デス・ストリートというありがたくない異名をもらってたりする。市も分離帯に高さ1mくらいのフェンスを建てて人が渡ろうとするのを防止しようとしているのだが、それを乗り越えてもJウォークする者が跡を絶たない。

話は変わるが、以前、このJウォークで私は警官に交通違反の切符を切られて、裁判所に出頭を命じられたことがある。最初、いくらなんでも冗談だろうと思ったらそうではなく、It's not a jokeと言われて、会社を休んで裁判所まで行って、裁判官に説教食らって帰ってきたことがある。ま、脅しだけで罰金刑でもなく、要するに、危険だから市もあの手この手を使って市民にJウォークさせないようにしているわけだ。しかし、それでもあまり効果があるようには見えない。少しくらい危険でも、人は楽な方を選ぶ。

閑話休題。しかし、夜中に街灯がまったく点いていない状態では、さすがに私もJウォークする気にはなれない。多分ドライヴァーから見れば、Jウォークする者は相当近くに寄るまで見えないはずで、これはいくらなんでも轢いてくださいと言っているようなものだ。いつもより交通量が少ないくらいなので、逆にドライヴァーは普段よりスピードを出している。こいつは本当に危険だ。

ということで、今回ばかりは安全策をとって大回りではあるが、ちゃんと交差点の横断歩道を渡る。大きめの交差点なので、警察が投光機を置き、さらに発煙式の信号灯をあちこちに置いて照らしている。しかしそれでも充分ではなく、交差点ではさすがにどの車もスピードを落とすのだが、こちらも懐中電灯を振り回して人がいることをアピールし、ドライヴァーが間違いなくこちらに気づいてさらにスピードを落とすか、完全に停まるのを確認してから道を渡りだす。毎日こうだと、逆に死亡事故なんて一件もなくなるだろう。

それにしても、投光機の向こう側は、そちらもわりと広い通りであるというのに、真っ暗で何も見えない。私たちのアパートは幹線沿いだから少なくともアパートの前までは真の暗闇の中を歩くことなく無事帰れたが、幹線を少しでも外れ、通り沿いのビルや頭上の並木が月の光を遮るようなところでは、こりゃ本当に手探り足探りでないと簡単には前にも進めないだろう。ちょっと怖そうだ。強盗、ひったくりの類いが頻発しそうな気もするが、その手の悪党だって目指す相手が見えるかどうか疑問だし、自分が懐中電灯を持っていたら相手に気づかれてしまう。普段より街に出ている警官は多いくらいだから、もしかしたら思ったほど危険はないのかもしれない。

自分たちの車に着いて、多分、この車を買って初めて、FMではなく、AMラジオに合わせる。すぐにブラックアウト関係のニュースを流している局が見つかり、話を聞く。ブラックアウトの原因とか被害地域については私が夕方に女房のオフィスで仕入れてきた情報と大差ないが、復旧の見込みが今現在まるでついてなく、サブウェイはいったん電力の供給が止まると、ふたたびパワーを蓄えて動き出すまでに最低でも7、8時間はかかるというまたとない情報を手に入れる。ということは、どう考えても明日のラッシュ・アワーまでサブウェイが回復している見込みはなく、つまり、明日は少なくとも午前中は間違いなく休みだ!

こりゃいいやということで、安心してうちに戻る。玄関前ではやはりどっかのおっさんがまだ寝ている。本当に明日の朝まで寝るつもりのようだ。部屋に戻ると、しかし、さすがに疲れが出て、眠い。明日の午前中は休みということが確定したこともあり、気も緩んでいきなり猛烈に眠くなった。どうせTVも見れないし、音楽も聴けない。蝋燭の灯りじゃ本を読むのもままならない。これ以上目を悪くもしたくないし。ということで、すべては後回し、やらなくちゃいけないことは明日の朝片づけるということにして、ベッドに入る。はあ、疲れた。今夜はぐっすりだな。


翌朝、目覚ましをセットしていたわけでもないのに、8時前には目が覚める。週末は普通、私が9時前に目を覚ますということはまずないのに、オフィスに行く必要がないのがわかっていてもこの時間に目覚めるというのは、やはり少しは緊張しているのかもしれない。身体の方もほとんど回復しており、別にどこも痛くもだるくもない。昨夜はさすがにもう若くはないと思ったが、一夜明けると、私もまだまだ捨てたもんじゃないと思い直す。本当に歳とると、一夜明けてではなく、二夜明けてから身体に来るそうだからまだ完全に安心はできないが、少なくとも気分はよい。

女房の方は、飼い猫に朝ご飯をねだられて起こされるため、毎朝7時頃には必ず一度は目を覚ましているはずだが、私が起きた時にもまだそばで寝ていた。猫に朝ご飯をやった後でも、まだ疲れていてそのまま起きる気がしなかったんだろう。リヴィングでTVをつけようとしてみるが、まだパワーは回復しておらず、うんともすんとも言わない。しかし、電気の力を借りなくても外は明るい。太陽は偉大だ。

洗顔を済ませ、朝飯の仕度にとりかかる。ありがたいことに、まだ冷蔵庫の中は充分冷たい。そんなに開閉を繰り返したりさえしなければ、今日一杯くらいは中のものは平気だろうし、まだまだ充分冷たい水とビールが飲めるだろう。うちの部屋は北向きで、風が少しでも吹いてくれれば、真夏でも絶えられないほど熱気がこもることはない。私は南国育ちの癖して寒いのよりも暑いのが苦手で、部屋が北向きでもそんなには気にならなかったのだが、部屋の観葉植物が育ちにくく、鉢植えとかを買ってきてもすぐに死んでしまうので、最近、やはり陽当たりのいい部屋に引っ越そうかなどと女房と相談している。しかし、やはり真夏で南西向きでエアコンが効かないと、ちょっとつらいだろうなと思う。

そういうことをつらつらと考えながらメシを作っていたら、いきなり、廊下のアラームがピーピー鳴りだした。ほとんど時を同じくして、ファックス兼用のコードレスががちゃがちゃ音を立て始めた。お、これは、と思って慌ててリヴィングに走ると、TVの上のケーブル・ボックスが現在時刻を表示しており、TVの下のVCRの表示も点滅している。パワーが回復した! 冷蔵庫も唸り声を上げている。現在時刻は8時半。これからだとサブウェイが動き出すのは夕方にしかならないだろうし、パワーが回復して生活にはなんの差し障りもないのに会社は休みだ。なんかひどく得した気分。

そのうち女房も起きてきたので、二人して朝飯を食った後、TVをつけて状況の進展を見守る。当然、ほとんどすべてのチャンネルはブラックアウト関係のニュースをしている。まだマンハッタンではほとんどパワーは回復してないようで、私たちの住むクイーンズやブロンクス、ブルックリン等、まずシティの外周から徐々に元に戻りつつあるという感じだ。マンハッタン内のホテルでは、電子ロックが利かず、部屋が真っ暗になっていざという時の避難の誘導に差し障りがある上、上階の方ではポンプで地下から水を押し出せないため水が出ないという理由で、泊まり客をロビーや駐車場に降ろして寝かせていた。可哀想に。払い戻しはあるのだろうか。

こうなると一番の問題は、寝場所の確保やメシよりも、バス、トイレだろう。シャワーも浴びれず、トイレも流せないというのは、ちょっと考えるだけでもおぞましい。当然のことながら泊まり客たちも、口々にその不便さを言っていた。しかし、実際のところ、彼らは本当にどうしていたんだろう。流れないトイレで用を足していたのだろうか。阪神大震災の時も、停電よりも一番困ったのがトイレの水が流れなかったことだという話を聞いたことがある。そりゃあ本当に困るだろう。

意外だったのが、昨夜、あれだけぼろぼろになった人々やジジババを見たのに、予想に反して心臓発作で死んだ人間はたった一人しかいなく、それもジジババではなく、三十何歳かの、私より若い男だった。マンハッタンの高層ビルで上階に住んでいて、パワーが落ちた時に外にいたジジババも結構いたのは間違いないのに、誰も逝かなかったのか。30何階、40何階かの階段を歩いて上ったのか。昨夜、道端に座り込んでぜいはー言っていたジジババも、結局、なんとか最終的には家にたどり着けたんだな。私も意外と今朝は元気だし、人間って、いざとなると意外と丈夫なんだなという感じだ。

さらに感心したのが、77年のブラックアウトの時にはシティの各地で起こった暴動や犯罪が、今回に限っては一件もなかったことである。ブラックアウトになってから警察や消防が迅速に行動したということもあるだろうが、やはり、なんといっても9/11以降、人々が、困った時にはお互いに助け合わなくてはという意識を強く持っていることが、その最大の理由だと思われる。こういう時に人の弱みにつけ込むのは恥、みたいな大きな共同意識が社会を覆っており、また、挫けそうな時ほどそれを笑い飛ばそうという人々の気持ちのあり方は、昨夜、道を歩いていても強く感じた。こういう、逆境になればなるほど人の本来の姿が出る。ニューヨークはまだまだ捨てたもんじゃない。

TVを見ていたら、電話が鳴り始めた。電話もやっと開通したか。子機をとるとうちのオフィスのボスで、あれ、ニュースではまだマンハッタンはパワーは回復してないと言っていたが、場所によってはもう回復しているのか。と思っていたらそうではなく、電話というものはコードレスとか留守電が一緒になっていない、昔のような電話機単体の場合、電気の力を借りないので、たとえ停電でも通じるのだ。で、アンティーク好きのうちのボスは、そういう、機能的にはほとんど現代では使い物にはならないが、インテリアの一つとして、その手の電話機を持っており、それを使ってかけてきただけで、やはりマンハッタンではまだパワーは回復していないという。うちでちょうどパワーが戻ってきた時にかち合ったのは単なる偶然で、そろそろ私が起きてきたところだろうと思っての状況確認であった。

訊くとマンハッタンのビルの14階に住むボスの部屋では、当然停電であることはともかく、水が出ないそうで、案の定、それが一番困るとのことだった。飲み水だけは買ってくればいいが、シャワーは浴びれないし、トイレに入っても水が流せない。それでこれから車でマンハッタンを脱出して、コネティカットの別荘に行くという。多分そこもまだ停電から回復してはいないだろうが、それでも平屋だから水は出るだろうとのことだ。いずれにしても羨ましい身分だ。

で、とにかく、やはり今日は仕事は休みで家でできることをするということを確認して、電話を切る。うちの女房にも会社の同僚関係から電話が入り始める。それでもマンハッタンに住む上司とか同僚とかにはまだ連絡はとれないが、うちのようにクイーンズやブルックリン、あるいはアップステートやニュージャージーに住む者とは電話は繋がるようになった。一番復旧が遅れているのはマンハッタンだ。結局、女房のオフィスもオフが決まり、二人して3連休になった。瓢箪から駒だ。

状況確認も一段落したので、二人して散歩に出る。表がいまだに小便くさい他は、いつもと変わらない、晴れた、平和な一日の具現である。商店街も平常通り営業している。と見えてサーティワン・アイス・クリームが閉まっているのにも気づく。一般家庭の冷蔵庫くらいだと大した問題はないだろうが、アイス・クリーム屋で半日以上パワーがなければ、商売のアイス・クリームは使い物にならないであろう。損害はいかばかりのものか。こういうのって保険は利くのだろうか。もしかして溶け始めたアイス・クリームをまた冷やし固めて売るのだろうか。いったん溶けたアイス・クリームを買わされるのは勘弁なので、悪いけど当分ここでアイス・クリームを買うことはないだろう。いずれにしても、少なくとも私たちの住んでいるところでは、生活は元通りに戻ったと言って差し支えあるまい。

       

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そうやって週末を過ごし、月曜に出社する。当然、朝は皆がどうやってブラックアウトを乗り越えたかという話で盛り上がるわけだが、オフィスから5ブロックのところに住んでいて、その後郊外脱出したボスの話や、クイーンズに住んではいてもマンハッタンに近いバイトの子の話くらいだと、特に意外な展開があるわけではなく、それほど面白いわけではない。その時はオフだったもう一人の同僚はアップステートに住んでいるのだが、こちらもわりとビルの高い階に住んでいるので水が出なくて困ったというくらいで、まあ、そんなもんか。こういう時は思いきり普通では想像もできない強烈な体験をしたという話を聞きたいものだ。

その手の面白い話は、まず、うちのオフィスの隣りで働いている女の子から聞いた。彼女はなんと、ブラックアウトの瞬間に、アッパーウエストにあるハイデン・プラネタリウムという有名なスポットにいたそうで、プラネタリウムだから当然中は真っ暗になるわけで、最初は停電だなんてまったく気がつかなかったそうだ。どんなに真っ暗でも本当なら常時ついているはずの非常灯の灯りすら消え、真の暗闇となるという演出で、何が起こるのかと期待してわくわくしていたら、何も起こらず、そのうち場内がざわざわとして係りの者が慌てはじめ、停電ということがわかり、今度は手探りで脱出ということになったらしい。なかなか笑える。

しかし最も強烈な話はうちの女房の同僚の話で、その子は従業員で一人だけブルックリンに住んでいる子で、しょうがないから一人で帰ることになったのだそうだ。しかし、たまたまその子はその日に限ってサンダルでオフィスに来ていた。アメリカでは女性社員は夏はストッキングなぞ履かずに素足というのは当然だし、サンダル履きも多い。しかもその子が履いていたサンダルは、買ったばかりでまだ足に馴染んでなかった。ということは、当然靴擦れする。しかも踵ではなく足の甲を剥いてしまうというやつで、私はその手の靴擦れをしたことがないのでわからないが、女房に言わせると、あれは本当に痛いのだそうだ。

そういえばブラックアウト当日はあまりサンダル履きは見なかったよと女房に言ったら、女房曰く、そういう子は自分が置かれている状況を把握しているから、とっとと陽が暮れないうちに帰ったからだという。実際、女房が家路についている時は、大勢サンダル履きが、サンダルを手に持って裸足で歩いていたそうだ。ところどころ小石を踏んづけたり、まかり間違うと犬の糞を踏んづける可能性があっても、どうしてもサンダルで長時間の歩行は無理なのだ。

で、話は戻るが、しょうがないからその子は、そういう風になるのはいやだから、たとえ長時間待たされようと、バスに乗る手段を選んだ。とにかく5番街なら他の通りに較べてバスが走る頻度は高いはずだし、それでともかくブルックリン・ブリッジ辺りまで降りれれば、歩く距離は半分以上稼げる。

それで42丁目のパブリック・ライブラリ前のバス停 (私が何度も往復したところだ!) でバスを待ち、待たされた挙げ句、なんとか無事バスに乗ることができた。しかし、バスが前に進まないのだ。それもわかる。なんてったって信号はつかないのだ。それでここぞとばかりに歩行者が道を渡るので、車は渋滞してまったく前に進めない。私がマンハッタンを歩いている時も、車道はほとんど麻痺していた。結局その子は42丁目から14丁目のユニオン・スクエアまで行くのに、ぎゅうぎゅう詰めのバスに揺られながら2時間もかかったそうだ。そりゃあ完全に歩く方が速い。歩けばそんなん、30分で着いちまう。

その子もそれは充分わかってはいるのだが、しかし、サンダル履きでは歩けない。なんでこんな時に限ってサンダルなんか履いてきたのかと後悔したそうだが、後悔先に立たずである。しかし、歩けば30分のところを2時間もかかるなんて、いくらなんでもあんまりだ。しかも満員バスなので、窮屈でまっすぐ立つことすらできず、なんか、歪んだ姿勢で無理をしながら立つしかなく、足を入れ換えたりして姿勢を正すことすらままならない。段々、本当に苦痛になってきたそうで、これなら靴擦れもさほど変わるまいと、ついに決心してバスから降りた。

とはいえ、14丁目というと、マンハッタン側のブルックリン・ブリッジの袂まででも、まだ3分の1も来ていない。歩き出したはいいものの、案の定、すぐ足の甲が剥けてきたそうで、それをかばいながら歩くので、やはり変な姿勢となって、しかもスピードも、そのままバスに乗っているのとほとんど変わらないくらいで歩くのがやっとという状態になった。お喋りして気を紛らわす相手もなく、あとは足の甲の痛みと戦いながら、ぎくしゃくと、亀の歩みを続けたということだ。

結局その子がブルックリンのアパートの近くまでようやっとのことでたどり着いた時は、ほとんど疲れて意識も朦朧とした状態で歩いていたらしい。ほとんど身障者がよれよれと歩いているような感じになってしまって、見た目にもあまりにも酷い状態でいかにも倒れそうな感じで歩いているので、さすがに通りすがりの人も彼女を見るとびっくりして、みかねて大丈夫か尋ねてくるのだが、それにも答える気力さえ残っていなかったそうだ。すると他の歩行者が、ダメダメ、この子は今、何に対しても反応できる状態じゃないから、という感じで手を振ったりして、自分の周りに人垣ができるのを振り分け、振り分け、瀕死の状態で、ようやっとなんとかアパートに帰り着いた。うちの女房でも、それよりも遠い距離を4時間半でたどり着いたところ、その子は7時間かかったそうだ。

で、アパートに着くと、もう、汗まみれ埃まみれでもシャワーを浴びる気力すら残っておらず、水道の蛇口から水を出し、気持ちぴしゃぴしゃと身体を水で濡らし、そのまま着替えずにベッドの上に倒れ込んで、あとは翌日目が覚めるまでこんこんと眠り続けたということだそうで、いやあ、この話が一番強烈だった。

一方、ブラックアウトが吉と出た人間もいる。その最たる者が職住近接していた倦怠期の夫婦というのも、ほぼ間違いのないところのようだ。ニュースを見ていたら中年の女性がインタヴュウに答えていて、いつもなら仕事から帰ってきた夫は食事をしてTVを見て、パソコンに向かって‥‥というルーティーンが、電気が来てないため、子供を寝かしつけた後は何もすることがない。それで久し振りにセックスした、とてもよかった、一週間に一日くらいはブラックアウトがあってもいい、と嬉しそうに答えていた。そんな効用があったか。しかしオフィスまで歩ける距離に住んでない者の方が多いんですけど。

一つ脱力ものだったのが、女房がなくしたと言っていた携帯が、一週間後、ひょっこり出てきたことだ。近くの商店街に買い物に出かけた女房が、財布を出そうとしてバッグをごそごそしていたら、下の方から出てきたそうで、そうだった、こないだ買い物に出た時、別のバッグに携帯を移し替えたまますっかり忘れていたということに気がついたそうだ。私がブラックアウトの時かけていた電話は、結局、誰にも届かなかったわけね、と脱力してしまったのは言うまでもない。ヴォイス・メッセージを聞いてみると、途方に暮れながらメッセージを残した自分の声がまだ残っており、いきなりその時の気分が甦ってしまった。もう怒る気すらないよ。

さすがに女房は今回、かなり懲りたと見えて、宝の持ち腐れとなっていたこの携帯の様々な機能をマニュアルと首っ引きで色々と調べていたが、彼女、喉元過ぎると熱さ忘れるタイプだからなあと静観していた。そしたら女房は、その他にも蝋燭を買い込んでいただけではなく、赤十字のサイトで緊急用ラジオというものを注文していた。すぐに届いたのだが、これがなかなかのすぐれもので、ラジオとフラッシュ・ライトがついている点は、まあ、よく見かけるキャンプ用品的な類いのものなのだが、ポイントは乾電池だけではなく太陽電池も装備しており、日中充電することで電池なしでもラジオが聴けて懐中電灯が使えるのだ。さらにそれだけでなく、雨や曇りや太陽電池が切れた時には、なんと手動のダイナモをぐるぐる回転させることでパワーを発生させることができる。さすがにこれだと懸命にダイナモを回してもラジオが聴けるのはほんの僅かの時間だけなのだが、それでもいざという時には重宝するに違いない。

というわけで、これでまたブラックアウトが来ても大丈夫、というように装備を整えているわけだが、しかし、どんなに家で用意していても、またオフィスにいる時にブラックアウトになったら、結局家まで歩いて帰らざるを得ないことには変わりない。やっぱりこんな経験は一度すれば充分かな。それに、私は気づいてはいたがずっと黙っていたんだが、うちの女房はせっかく見つけた携帯を充電していてすっかり忘れており、これで丸々3日間、携帯のプラグをコンセントに差し込んだまま、ずっとほっとかれている。

うちらは基本的にそれほど電話魔ではなく、家に帰れば顔を突き合わせてお喋りできるのに電話でやりとりするのをかったるいと思う方なので、必要がなければお互いほとんど電話しないし、二人ともいったんオフィスに行けばそこから外に出ない職種なので、仕事でも携帯を使う必要性はほとんどない。それで携帯を使う頻度なんて一週間にせいぜい数回くらいしかない。しかし9/11以降、いざという時のために少なくともどちらかが携帯を持っている必要はあるかもということで購入した。私は自分自身で携帯を持つ必要はまったく感じず、ところ構わず呼び出されてしまうことに対して不愉快に感じてしまう方なので、女房に持たせているのだが、いくら文明の利器でも、常時携帯していなければなんの意味もない。ブラックアウトの時にどんなに懲りたとはいっても、人間の本質というものは簡単には変わらないようだ。






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