Black Swan


ブラック・スワン  (2010年12月)

バレリーナのニーナ (ナタリー・ポートマン) は、才能があって練習熱心でもあったが、バレエ一途のあまり、プライヴェイトでは過保護の母エリカ (バーバラ・ハーシー) の庇護下でほとんど世間のことを知らなかった。お嬢さん的な性格のために、次の舞台の演目の「白鳥の湖」でも、無垢で汚れを知らないホワイト・スワンを踊らせると完璧だったが、悪の化身のブラック・スワンになると、いささか凄みに欠けた。そのため演出のルロイ (ヴァンサン・カッセル) は、果たしてニーナに両方のスワンが踊れるのか決めかねていた。そしてキャスティングの発表の日が来る‥‥


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この映画、バレエ映画ではあるが、いわゆる一般的なバレエ映画ではない。青春ものでもない。最も印象が似ている作品を挙げると、ロマン・ポランスキーの「反發 (Repulsion)」、もしくはミハエル・ハネケの「ピアニスト (The Piano Teacher)」になるだろうか。つまり、サイコ・ホラーという方がよほどしっくり来る。


バレエってホラーになりやすいと最初に思わせてくれたのは、山岸凉子の「アラベスク」だった。あれはかなりホラーと言っても通用する乗りがあるし、近作の「テレプシコーラ」は、私の目にはもうバレエ・マンガではなく、ホラーにしか見えない。女房にこれ、バレエ・マンガ? それともホラー? と訊いたら彼女も返答につまっていたので、少なくともホラー色が強いという印象は私だけのものではないだろう。


映画だってクラシックの「赤い靴 (The Red Shoes)」は、最初に見た時は幻想的で美しいというよりも、幼心には怖かったという印象の方が強い。バレエという表現様式が並大抵ではない献身や努力、精進を求めるからだろうか。要するに思い込みの強さが、偏執狂的な怖さを生む。「ブラック・スワン」が描いていることもまさにそれだ。


主人公ニーナは育ちのよいバレリーナで性格もよく、そのため「白鳥の湖」のホワイト・スワンだとどんぴしゃりではまるが、悪の化身であるブラック・スワンを踊る段になるとアクのなさが災いして今一つインパクトに欠けた。演出のルロイもそれが気がかりで主役をニーナに抜擢することに躊躇いがあった。さらに前プリマ・ドンナのベス、新星のリリィの存在がニーナの立場をさらに複雑なものにする。


その上、家に帰ると病的なほどに過保護な母エリカがニーナをほっておかなかった。ニーナ自身、主役の座は喉から手が出るほど欲しいが、しかしそのためになりふり構わず行動できるほど我が強いわけでもなかった。あらゆる迷い、プレッシャー、欲望のせめぎ合いの中で、ニーナの精神は段々均衡を崩していく‥‥


主人公ニーナを演じるのが、あらゆるところから絶賛されているナタリー・ポートマン。たぶんそれまでのいい子ちゃん役的なイメージから脱したいと本人も思っていたのだろう、危ない役を鬼気迫る妖気で演じきっている。母エリカを演じるバーバラ・ハーシーも、こういう思い込み女はお手の物という感じ。ニーナがお手本にしていたが、力が落ちてきたのにもかかわらず今いる座にしがみつこうとしている元プリマ・ドンナのベスに扮するウィノナ・ライダーも、あんたそれ演技ですか、それとも実生活を出しているだけですかと思える怖さで負けていない。「ザ・ウォーカー (The Book of Eli)」でなかなかと思わせたミラ・クニスも話を盛り上げる。これらの女性陣が皆怪演しているため、唯一の重要な男性の役である演出家のルロイを演じるヴァンサン・カッセルが霞んでしまった。


ポートマンはとにかくただの可愛い子ちゃんではないことを証明した。元々バレエの素養があったのかどうかは知らないが、今回は特訓したんだろう、立ち姿も絵になっている。ちゃんとバレリーナに見える。そして、いかにも彼女ならホワイト・スワンなら完璧に踊るだろうが、ブラック・スワンだと難しいかもと思わせるのだ。


そして彼女がブラック・スワンを踊りきれるかというクライマックスはちょっと鳥肌もんで、演出のアロノフスキーもすごいが、渾身のポートマンの妖気は本当にすごい。圧倒される。あまりものことに絶句して拍手するのも憚られるという感じなのだ。正直言って今年のオスカーはまず対抗はいないだろう。インタヴュウを読むと、ポートマンは役にのめり込むあまり、子供の頃からの長い役者稼業で初めて死ぬかと思ったそうだ。さもありなんと思う。こんな世界に行って無事帰って来れるのか。


とにかくポートマンの負のエネルギーが凄まじく、見ているこちらまでマイナスの方向に引きずり込まれる。映画を見終わって家に帰ってきてからも、女房と二人して、ダメだ、ポートマンにやられた、チョーシわりーと、二人してぐったりして何もやる気になれなかった。映画を見てこんなにネガティヴな影響を受けたのは、ダルデンヌ兄弟の「ロゼッタ (Rosetta)」を見た時以来だ。


演出のアロノフスキーは、前回の「ザ・レスラー (The Wrestler)」では融通の利かない、それ以外に道のないレスラー、そして今回はやはり踊ること以外に自分の道はないバレリーナと、一本気職業路線が定着してきた。もしかしたら彼も撮ること以外に道はないと思い始めているのかもしれない。








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