Black Hawk Down

ブラックホーク・ダウン  (2002年1月)

「ブラックホーク・ダウン」は、本当なら今年3月公開の予定だった。しかし、でき上がった作品を見た配給のソニー幹部は、これはアカデミー賞も狙えると判断、昨年中に公開しておかないと今年のアカデミー賞の対象とならないため、慌てて昨年末に一部地域にて公開、年明けて1月第3週から拡大公開に踏み切ったものである。昨年の「トラフィック」と似たようなパターンだ。


「ブラックホーク・ダウン」は1993年のソマリア紛争にアメリカが介入した際、いつまでも事態の解決を見ない内戦に業を煮やしたアメリカ軍が、内戦の当事者の一人であるアイディド将軍拿捕を計画したミッションを描く軍事ドキュドラマである。予定通りに事が運べば何の問題もなしに数時間ですべて決着がつくはずだったその計画が混乱を極めて行き、結果として何の関係もない一般市民を含め1,000人以上の死者を出した究極の軍事的失策となった。映画はそのミッションが坂道を転げ落ちるように収拾がつかなくなっていく様を圧倒的な迫力で見せる。原作はマーク・ボウデンの書いた同名タイトルで、当時のベストセラーになっている。


「グラディエーター」「ハンニバル」と今乗っている監督の一人であるリドリー・スコット演出だし、出だしは快調、テンポのいい演出で話はどんどん進む。この人の演出って、誰もが話題にするエログロさや視覚的効果以外では、無駄がなく、脇道に寄らずいきなり本題にずばり、みたいな直線的な演出が特色だが、今回ももちろんその路線は健在だ。映画が始まってから30分くらいで、既にクライマックスみたいな戦闘シーンに入る。敵の大将拿捕のためにヘリコプタ (ブラックホーク) が編隊組んで波打ち際を進んでいくんだが、いや、編隊を組むヘリコプタや戦闘機って、戦争映画の醍醐味の一つである。「パール・ハーバー」だって、一番興奮させたのは編隊を組んだ日本軍爆撃機の真珠湾出撃シーンだったし、「地獄の黙示録」でも似たようなシーンがあった。


いざ戦闘が始まると、スコットのパワー全開という感じで息つく暇もない。しかもこのテンションの高さが残りの1時間半、ずっと続くのである。スピルバーグの「プライベート・ライアン」の前半30分の戦闘シーン並み、いや、それ以上のテンションが、1時間半続くのだ。しかもスコット得意のエログロ描写満載で、はっきり言って私は途中からげっぷ状態、げえ、まだ続くのかよ、ちょっとこの辺でスロウな展開にならんのか、肉食民族のパワーにはついていけん、ああ、だめだ、気持ち悪い、これがまだ続くんなら吐いてしまう、げえー、と思いながら見ていた。結局最後まで見たんですけどね。私が映画を見て気分悪くなったのは、かつて相米慎二の「ションベン・ライダー」の緊張感張りまくった冒頭20分を見て以来で、当然のことながら、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のあの揺れ揺れ映像で気分を悪くして途中退場した私の女房も隣りでぐったりとなっており、二人して、だめだ、やられた、と言いながら帰宅する羽目になった。いったいスコットって何歳なんだ。このパワーはいったいどこから来る。ちょっと野菜食って薄めてくれ。


戦争映画であるからして多くの俳優が登場しているのだが、主要な役は米軍指揮官のガリソン大佐に扮するサム・シェパードを筆頭に、ジョシュ・ハートネット、トム・サイズモア、ユワン・マグレガー、エリック・ベイナ、ウィリアム・フィクトナーらといった布陣。ハートネットは「パール・ハーバー」に続き戦争ものへの出演となるわけだが、半分は恋愛ものだった「パール・ハーバー」に較べ、今回は超シリアスで、しかもほとんどのシーンでヘルメットを着用し、顔は汚れていてはっきりしない。その上ほぼ主演とはいえ、出番は「パール・ハーバー」の3分の1もない。これでは「パール・ハーバー」のように女性ファンがつくわけにはいかないだろうが、男性の私から見れば、こちらの方が1万倍は格好いい。


その他の面々も皆はまっている。シェパードはこういう役をやらせたら貫録だし、サイズモアは戦争ものには欠かせない俳優となった。フィクトナーもクールな軍人が板についている。マグレガーが彼のネイム・ヴァリューのわりにはあまり大きくはない役で出ているのでふうんと思ったのだが、面白いことには、彼が演じたグライム (本当の名前はステビンスといい、その他の面々も映画ではかなり名前が変えられている) は、ソマリアでの働きにより勲章を授けられたのだが、その後、なんと自分の娘をレイプしたかどで30年の刑を食らって、現在軍刑務所に服役中とのことだ。


原作がどうなのかは知らないが、この映画の最大の特徴は、ありがちなアメリカ万歳にもその逆の人道主義に走り過ぎの戦争反対にも与せず、ただただ究極のアクションとして存在していることだ。スコットは最初からそのように演出しており、命を賭けた戦いだけをとらえ、何が正しいか、何が悪いかという判断は保留している。本当の軍人にとって戦争の意味や善悪の判断は必要なく、ただ命令が下りたから戦うだけなのだ。戦闘が始まれば、相手を倒さなければ自分がやられてしまう。だから戦うだけだ。それが軍人というもんだ。もちろん米軍の視点から描いているからアメリカ寄りと言えないこともないが、はっきりとアメリカ礼賛の立場はとっていない。こういう姿勢は説教くさいスピルバーグの戦争ものよりも、私にはずっと好感が持てる。


しかし、それでも気になるのはこの戦闘による死者が、ソマリア側1,000人以上に対し、米軍はたったの18人という、ほとんど戦争というよりも一方的な大量虐殺に等しいことだ。映画の中では、シェパードがアイディド将軍の部下に対し、おまえたちがやっていることは内戦ではなくて殺戮だと糾弾するシーンがあるのだが、結局米軍も同じことをやってしまう。しかもエンド・クレジットが始まって死亡した米軍人の名前が全員羅列されるのに、ソマリア側の死者は1,000人以上、で終わってしまう。この差は何? それでもその事実を隠して黙っているよりはましか。


最新鋭の武器を所有する米軍の方が有利なのは最初からわかりきっていたことで、だからこそ高をくくって、よく考えたら無謀とも言えるこういう計画が実行に移されたわけだが、なんというか、アメリカって、こんなことするからわりと世界中から嫌われていることにまだ気づかない連中が多すぎるという気がする。こういう殺戮を行っておいて、自分の国がテロリストにやられると、いきなりショック状態に陥ってやられたらやり返せと連呼する。うーん、私は基本的にはアメリカは善意の国と思っているのだが、アメリカが他の国で行っていることもテロリズムに他ならないということは、アメリカ国民も知っていた方がいいのではないだろうか。







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