Billy Elliot

リトル・ダンサー  (2000年10月)

1984年、イギリス北部の寂れた街に父親、兄、祖母と暮らす少年ビリーは踊ることが何よりも好きな少年だった。しかし炭鉱で働く父は男の子はボクシングかレスリングをするものと決め込んでおり、僅かな蓄えからビリーをボクシング教室に通わせる。しかしボクシング教室では中央をカーテンで区切って向こう側でバレエを教えており、ビリーは父に内証で女の子に囲まれながらバレエを習うようになる。しかしもちろん、そのことはやがてばれ、ビリーは父と対立する。ビリーはバレエの先生からロイヤル・バレエ・スクールのオーディションを受けるよう薦められるが、ストライキ中の父と兄が働く炭坑の騒動で兄が警察に逮捕され、ビリーはバレエどころではなくなってしまう‥‥


バレエ・ダンサーになることを夢見た少年、ビリー・エリオットの少年期を綴る、爽やかな後味を残す物語。予告編を見て、なんとなくこういう話っぽいなと思いながら見に行って、もろそういう話だった。もちろん貶しているわけではない。実にいい感じで予定調和の物語を紡いでくれる。なんでも、本国イギリスでは大ヒットしているらしい。こじんまりとまとまったなかなかの佳作だから、それも納得である。少年期の夢と挫折いうのは、これはもう映画になるよね。それがあり得そうもないものであり、障害が多ければ多いほどまたドラマになるのだが、その辺きちりと押さえてある。そういうオーソドックスな作り方もこの映画の成功の一つの要因だが、しかし、成功の最大のポイントが、主演のビリーを演じたジェイミー・ベルにあることは言うまでもない。


実はこのベル、テニスのティム・ヘンマンにそっくりで、ヘンマンが小さい頃にこの作品を撮りだめしてあったんじゃないかと思えるほどである。ちょっと生意気そうで、負けん気が強そうなところなんか、持ってる雰囲気まで瓜二つ。ああいうのがイギリス的な顔なんだろうな。ただ、実際は多分設定されている年齢より上なんだろう、短パン姿になると、思ったより下半身に肉が付いていて、少年というより青年になりかかったような印象を与えてしまうところが惜しい。しょうがないけどね。


しかし、なんでヨーロッパの少年というのは、あんなだらしない格好をしてもネクタイ姿がそれなりに絵になるのだろうか。よれよれのネクタイが、なんであんなにサマになるのだろう。白い靴下にスニーカーを履いてよれよれネクタイよれよれブレザーで、格好いいとは言わないがはまっているというのは、これが文化というか、歴史というもんだろうなあと思わせてくれる。日本の片田舎(東京だって同じだけど)で、ネクタイ姿が板についている中学生なんて見たことない。高校生ですらない。日本でブレザー/ネクタイを制服として採用している学校はただの恥さらしとしか思っていない私としては、この差にはじれったい思いだけが募る。多分、日本人もあと100年くらいしたらなにげにスーツを着こなせるようになるんだろうが、今はもう羽織袴を着るわけにもいかんし、過渡期と思ってあのセンスない学ランでお茶を濁すしかないんだろうな。


この映画、当然ビリーのダンス・シーンでそこここを盛り上げてくれるのだが、しかしダンスのレッスンを受けているとはいえども、それはあくまでもクラシックで、モダンとかタップとかを習ったり練習したりするシーンはまったくない。それなのに、ビリーがいつの間にか上手にタップを踏むようになっていたのが不思議だった。 確かにフレッド・アステアのタップ・シーンとかを見てたりはしてたけどさ。本人は練習などしなくとも、ピルエットを練習してたらついでにいつの間にやらタップも習得したような印象を受ける。ここで彼が深夜一人でタップを踏む練習をするシーンとかを一つ入れるだけで、ぐーんと説得力増すと思うんだがなあ。いや、瑕瑾ですけどね。


それにしても最近ヒットしたイギリス映画って、昨年の「フル・モンティ」といい、その前の「トレインスポッティング」といい、ヒットしたとまでは行かなかったけれどもアラン・パーカーの「アンジェラの灰」といい、「ブラス」といい、話題作/注目作は労働階級というか、貧困な階級を描いた作品ばかりである。そういうのが流行りなのだろうか。今、イギリス出身の映画監督の一番手といえば、マイク・リーかケン・ローチだが、リーの出世作となった「ネイキッド」もそういう話だったし、ローチなんてもろその手の作品ばっかりだ。ケネス・ブラナーあたりは一人我が道を行くという印象を受けるし、アメリカ資本が大勢を占める「007」シリーズはもうイギリス映画とは呼べないし。


一昔前のイギリス映画といえば、デイヴィッド・リーンに代表される絢爛豪華な時代絵巻か、ニコラス・ローグやケン・ラッセルのような時代を先走ったとんがった映画という印象が強かったのだが、こういう、貧乏生活を扱った映画が増えたのは、なによりもまず、イギリスの階級制度が崩れ、労働階級出身の映画監督が現れてきて、自分の実体験を作品に投影するようになってきたことが大きいのだろう。とまあ、これは想像で言っているのだが、当たらずとも遠からずという気がする。多分、我々はもうしばらくはイギリスの労働階級がなめた苦汁と、その後の再生という物語を目のあたりにすることになるんだろう。






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