Big Fish   ビッグ・フィッシュ  (2004年1月)

父の様態が思わしくないという知らせを受けたウィル (ビリー・クラダップ) は、妻のジョセフィン (マリオン・コティラード) を連れて、何年ぶりかに父エド (アルバート・フィニー) と母サンドラ (ジェシカ・ラング) の住む故郷に帰ってくる。ウィルは、何かにつけて同じほら話を何度も何度も吹きまくる父にどうしても馴染めなかったのだ。しかし、父の部屋を整理していたウィルは、父の話が事実であったことを証明する証拠を発見する‥‥


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ティム・バートンの新作は、父と息子の誤解と和解を描くファンタジー。 死期が間近に迫った父エドと見舞いに来た息子のウィルを描く現在と、そのエドの昔のほら話を交互に紡いでいく。現在のエドを演じるのがフィニー、エドの若い頃を演じるのがユワン・マグレガー、現在のウィルを演じるのがクラダップ。母サンドラの若い頃をアリソン・ローマン、現在をジェシカ・ラングが演じている。


この時期になると、オスカーを睨んだ、ベスト・セラーを映画化した文芸大作が続々公開される。ベスト・セラーとまでは言わなくても、それなりに知られた作品の映像化がこの時期に公開される場合が多い。「コールド・マウンテン」「白いカラス」「マスター・アンド・コマンダー」「砂と霧の家」、「真珠の耳飾りの少女」、みんなそうだ。


「ビッグ・フィッシュ」も原作があるのだが、実は、私はこれに原作があるなんて全然知らなかった。たぶん、ほとんどの者はそうだろうと思う。ダニエル・ウォレスの原作は、ほら話を詰め込んだ、本人曰く、出版されただけでもめっけものの作品だったらしい。しかしそれにバートンが目をつけ、映画化されたせいで、今や徐々にベスト・セラー入りしつつある。


死期の迫った父を見とるために、音沙汰のなかった一人息子が久方振りに故郷に帰ってくるという設定は、こないだ見た「みなさん、さようなら」とまったく同じだ。とはいえ同じなのはその大元の設定だけで、一方は皮肉の利いたダーク・コメディ、一方は心暖まるファンタジーと、題材のさばき方はまったく異なる。


また、長らく心の離れていた父と息子がまた心を通わすという設定で思い出すのは、ベイスボール・ファンタジーの「フィールド・オブ・ドリームス」だ。それにしてもアメリカ映画では父と息子が心を通わせるためには、わざわざファンタジーの世界を作らないと無理なのか、現実世界ではアメリカでは父と息子の関係はもう修復が利かないくらいこじれているのか、とふと思ってしまう。皮肉って金ですべてを解決しようとするカナダの「みなさん、さようなら」の方が、大人の世界を描いているような気がする。


それにしても父と息子の関係というものは、オイディプスの神話の世界からドラマになるようだ。母と娘の関係というとすぐに思い出すのは「愛と追憶の日々」だが、どちらかというと「ピアニスト」とか、「ジプシー」(いきなり古すぎたか) とか、ちょっと癖のある作品が多く思えるのは気のせいか。「ホワイト・オランダー」は見てないが、「ミッシング」だって、母と娘の関係を描いた作品と言えないことはなかった。そういえば「パニック・ルーム」だって母娘ものか。しかし、お伽噺に出てくる母親は、だいたいが継母で娘を虐めてばかりいる印象があるし、やはり母と娘を描くと、どうも特有のどろどろした部分が強調されてしまうような気がする。その点で、父と息子の関係を描く方が、しっかりと枠組みのできた物語にしやすいのではなかろうか。


フィニーは息子からほら吹きだと思われて疎んじられる父親役を演じているのだが、すごく似合っている。HBOのTV映画「ギャザリング・ストーム (The Gathering Storm)」でチャーチルを演じた時も、自分の財政状態なんか気にせず好き放題に暮らすが、しかし根は寂しがり屋の人間という役柄がすごくはまっていたが、バートンはこれを見てキャスティングしたなと思ってしまった。また、彼の若い頃を演じるマグレガーも、なぜだかこういう地に足のつかない役が無理なく収まるという不思議な独自のキャラクターを構築しつつある。最近の役を見ても、「ムーラン・ルージュ」とか「スター・ウォーズ」とか、はたまた前近代的でありながら超モダンなラヴ・ロマンス「恋は邪魔者 (Down with Love)」とか、なんか現実感が希薄な役ばっかりだ。


あと、ラングとローマンが同一人物の若い頃と歳とってからを演じているのだが、素直に同一人物と信じられる。「マッチスティック・メン」では13歳の少女を演じた恐るべし童顔のローマンだが、メイク次第ではちゃんと20代にも見える。しかし、こういう同一人物の若い頃と歳とってからを二人の役者が演じる場合、知られた俳優やスターを使う必要がない、脇の役にこそキャスティングの妙が発揮される。ここではエドの少年時代の友人、歳とってからの恋のライヴァルになる男 (名前忘れた) の少年時代と青年時代が、違う役者が演じているのにも関わらず、同じ人間が成長してああなったに違いないとしか思えない自然さが見事。完璧なキャスティングだったと鼻高々のキャスティング・ディレクターの顔が見えるようだ。その点で、幼い頃と成長してからで最も無理があったのは、ヘレナ・ボナム・カーターが演じたジェニーだろう。もっとも、ジェニーは最初、成長して久し振りにエドに会った時に、エドが気づかなかったということになっているため、似すぎている子役を使うわけにもいかなかったというのはあるが。


「ビッグ・フィッシュ」は父と息子の物語なのだが、一方で、エドとサンドラ、ウィルとジョセフィンの愛の物語ともなっている。よく見ると、結局いつまで経っても子供のようにしか見えないエドと、その父親の子供っぽさが嫌でほとんど縁を切ったも同然の一本気のウィルは、やはり親子であり、その二人を暖かく見守るサンドラとジョセフィンの方が、どう見ても大人だ。井の中のかわずでは終わりたくなかったというエドだが、たぶんサンドラがいなければ、エドは何もできなかった。愛する人を得て、好きなように人生を生きて、やっぱりエドは幸せだよ、と思うのであった。






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