Beyond the Sea   ビヨンド the シー 夢見るように歌えば  (2005年1月)

ボビー少年は、まだ幼い頃に罹ったリューマチ熱のせいで、たぶん15歳まで持たないだろうと医者に言われていた。そんなボビーを励まし、音楽で楽しませてくれたのは母のポーリー (ブレンダ・ブレシン) で、無事成長したボビー (ケヴィン・スペイシー) は長じて、シンガー/エンタテイナーとして働きだす。とはいえ最初は売れないシンガーでしかなかったが、芸名をボビー・ダーリンと変え、これが最後のチャンスとティーンエイジャーを相手にしたロック調の曲でヒットを当て、映画で共演したサンドラ・ディー (ケイト・ボスワース) のハートも射止め、 順調にキャリアを築き始めるが‥‥


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映画を見てきて、さて、コメントでも書くかなと思って邦題を調べるためにallcinema onlineにアクセスして、邦題が「ビヨンド the シー」となっているのを見た時には驚いた。なんだ、これ、受け狙いにしても冗談にしてもまったくセンスないとしか思えないこういうタイトルが通ってしまうギャガという会社を疑ってしまう。なぜ途中の「the」だけが英語表記で、その他はカタカナなんだ。なぜ「ビヨンド・ザ・シー」じゃダメなんだ。あるいは、だったらそれこそ「夢見るように歌えば」でいいじゃないか。それともこういう英語の使い方が今、日本では流行っているのか。ああ、びっくりした。


さて、「ビヨンド the シー」は、ケヴィン・スペイシーが製作、脚本、監督、主演と4足のわらじを履く、スペイシーによるスペイシーのためのミュージカル映画である。インディ映画じゃあるまいし、かなりの予算を組んだハリウッド映画でこれほど自分が前面に出て自分の思ったように映画が撮れるというのは、スペイシーがそれなりに業界内で尊敬されていることの証だが、もちろん、だからといってそのことが即いい映画になることを約束するわけではないのも明らかだ。


実際の話、ここでスペイシーはスクリーンの上では歌って踊って演技してと八面六臂の活躍をしているわけだが、ここまでスペイシーが前面に出てくると、これはもう、エンタテイナー、ボビー・ダーリンのドキュドラマという以前に、ケヴィン・スペイシー作品であるという印象が作品を濃厚に覆ってしまうのは如何ともしがたい。私のようにスペイシー作品だから安心して見れるだろうと思うファンよりも、スペイシー、やり過ぎ、今回はパス、と感じる者の方が多かったのは間違いなく、見終わった後にはかなり満足のできる作品のできに対してこれだけ世間の反応が冷めているのは、作品の事前の印象が強すぎたからに違いあるまい。


その上にまた、テーマとなっているダーリンの知名度という問題がある。ダーリンは、それは一時はアメリカではフランク・シナトラやポール・アンカの次くらいにはいる人気シンガーだったのだろうが、実は私はこの時代のアメリカのエンタテイナー、特にこの手のクルーナー系には疎く、スペイシーが演じるボビー・ダーリンという人物をほとんど知らなかった。もちろん映画が始まってスペイシー/ダーリンが歌いだすと、あ、これ知ってる、聴いたことある、なんだ、この人だったのかと納得したわけだが、一応俳優としてアカデミー賞にノミネートされたこともありはしても、今では知る人ぞ知る、という印象は拭いがたい。持病の心臓病や政治活動等のせいで比較的エンタテイナーとして活躍した期間が短かったのも、今ではわりと忘れられた存在になっている理由の一つだろう。さらに、当時甘いマスクで人気を博したダーリンを渋面のスペイシーが演じることに、往年のダーリン・ファンが難色を示したのも容易に想像できる。


その上、興行的には、今シーズン、既にレイ・チャールズのドキュドラマである「レイ」が既に公開済みであるというのも大きかった。既に音楽をテーマとした作品としては、今シーズン最大の話題作が公開済みであるわけで、多くの一般的な映画ファンは、オールド・ファンを除き、「レイ」を見たすぐ後に、また今度はどう見てもレイ・チャールズほど知名度があるとは思えないダーリンのドキュドラマを見に劇場に行こうとは考えないだろう。そしてさらにその上に、近年あまり製作されていないミュージカルでも抜群の知名度を持つ「オペラ座の怪人」がまったく同時期に公開しており、これではこれらのライヴァル作品を尻目に興行的な成功は最初から覚束ない。たぶん製作サイドとしては作品のできに自信を持っており、他の同系統の作品を気にしながら興行の時期を按配するより、年末公開で一気にオスカー狙いに賭けたんだと思うが、いかんせん話題作りに失敗してしまった。


それでも、「ビヨンド the シー」は、そういう、半ば忘れられた才能を再発見するという意味ではかなり面白いドキュドラマである。ではあるのだが、作り手は、誰でも知っているあのボビー・ダーリン、という意識で製作しており、そのことがほとんどダーリンを知らない若い世代の意識との齟齬を埋めるまでには行っていないというのが、作品としての最大の弱さだろう。ダーリンという人物をこれだけ前面に押し出した作品で実はダーリンがそれほど知られていないというのでは、やはり若いファンを劇場にまで運ぶことはできまい。一方でダーリンを実際に知っている世代にとっては、スペイシーはどう見てもダーリンには見えないというのではちょっとつらい。「レイ」でのジェイミー・フォックスが、いつ、どこから見てもレイ・チャールズであることが一目瞭然である時に、これではどうしても分が悪い。


とはいえ、少なくとも興行的にはこれらのマイナス・ポイントが山積みだとはいえ、「ビヨンド the シー」は、スペイシー作品として面白い。実際、今、歌って踊って演じて演出までできる人間がどれだけいるかということを考えると、改めてスペイシーの才能に感嘆せざるを得ない。冒頭のシーンを含め、劇中に何度か挟まるダンス・シークエンスは練習に練習を重ねたであろうということが一目でわかるほど磨きがかかっており、一分の隙もないユニゾンには圧倒されるし、最後のシーンのダンス・シークエンスをぴたりと決めた後、放心したように前を見つめるスペイシーの表情にはぞくぞくさせられる。スペイシーがやるべきだったことはダーリンのドキュドラマではなくて、ダーリンを素材にした架空のシンガーの一生ものだったという気がする。それならオーソン・ウエルズがランドルフ・ハーストを素材に、結局は自分自身を演じながら架空の一大絵巻を創造して傑作をものにしたように、スペイシーもスペイシー自身でありながら傑作をものにできたかもしれない。でも、しかし、それではダーリンの歌は使えないか‥‥うーむ、ちと難しい。


この手の芸能界ドキュドラマでは、「ジュディ・ガーランド物語」でもそうだったが、いったん忘れ去られて過去の人になったかのように思えた主人公が、再び不死鳥の如く復活するというのが最も盛り上がる見せ場になる。スポーツで最も面白いのは、絶体絶命と思われたピンチから奇跡的なスーパープレイで挽回する瞬間にほかならないが、それは芸能界でも同じなのだ。要するに自分の身一つで身を立てた者の宿命というか魅力の本質は、同じところにあるということだろう。ダーリンも一時、人気が衰え、政治運動にのめり込み、ほとんどヒッピー生活同様になって人々から忘れ去られた後、フォーク/ゴスペルを自分のものにしての再起を賭けたショウで復活する。ちゃんとこういうツボも押さえているのになあ。この世間の冷たさは可哀想だ。


私が「ビヨンド the シー」を見た時は公開後2週間ほど経っており、興行成績から見てこれははやいとこ見とかないと来週には劇場から消えるという予感がしたから慌てて見に行ったのだが、公開している劇場が既に減っているわりには (あるいは減ったからか) 場内はまだ結構混んでいた。帰りがけに隣りに座っていた友人同士と見られるわりと年配の女性の会話をちょっと小耳に挟んだが、既に一人は一度この映画を見ており、友人を連れてまた見に来たらしい。友人の方もとてもよかったと興奮していた。そうなんだよ、よほどスペイシーとそりが合わないとでもいうんじゃない限り、見れば絶対面白いと思うんだよ。それなのに‥‥時々こういう、タイミングが合わないとでも言うか、不幸な映画というものが得てしてある。


元々この映画はそもそもの企画から数えて既に20年近く経っており、リライトに次ぐリライトで、携わった脚本家の数は数知れず、主演もトム・クルーズからレオナルド・ディカプリオ、果てはブルース・ウィルスの名前まで上がっていたらしい。スペイシーも最初は30代で死んだダーリンを演じるには既に歳をとりすぎと、スタジオから難色を示されていたそうだ。結局、最後の最後までそういう不運な映画だったということだろう。それとも実際に製作されてそれなりのものになったんだから、幸運な映画だというべきか。






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