放送局: ショウタイム

プレミア放送日: 8/28/2000 (Mon) 20:00-22:00

製作総指揮: スティーヴン・ペヴナー

製作: ジョン・パーディ

舞台監督: ジョー・マンテロ

TV版監督: ニール・ラブート

原作: ニール・ラブート

編集: ジョエル・プロッチ

照明: ジェイムズ・ヴァーミューレン

出演: カリスタ・フロックハート、ポール・ラッド、ロン・エルダード


内容: 1999年12月16日、ビヴァリー・ヒルズのキヤノン・シアターでのニール・ラブートの戯曲「バッシュ: ラター・デイ・プレイズ」公演の中継録画。オリジナルの舞台は同年6月、ニューヨークのダグラス・フェアバンクス・シアターで開幕している。


第1話: ガグル・オブ・セインツ (A Gaggle of Saints)

フロックハートとラッドのカップルが、昔、ラッドの誕生パーティでニューヨークに小旅行に来た思い出を回顧する。夜も更けてフロックハートは寝入り、ラッドは仲間と共に夜のセントラル・パークを探検としゃれこむ。そこで彼らは暗闇で抱き合うゲイのカップルに遭遇する。嫌悪を感じたラッドらは一計を案じ、公衆トイレに入ったラッドを追ってきたゲイの男を容赦なく叩きのめし、殺してしまう‥‥


第2話: メデア・リデュー (Medea Redux)

フロックハートが13歳の時に学校の教師と関係して妊娠した女性に扮する。捨てられたフロックハートが成長して最終的にどのように教師を殺害したかを刑務所の独房で独白する。


第3話: イフゲニア・イン・オレム (Iphigenia in Orem)

どこにでもいる普通のビジネスマンに扮したエルダードが、毛布の下で窒息した自分の娘を見殺しにした経緯を独白する。


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正直に告白すると、私は先週の今頃までこの舞台の原作者であるニール・ラブートの名を知らなかった。それなりに話題となった「イン・ザ・カンパニー・オブ・メン (In the Company of Men)」と「ユア・フレンズ・アンド・ネイバース (Your Friends and Neighbors)」というインディ映画のタイトルは知っていたが、見てなかったために監督/脚本のラブートの名は知らずに終わった。それが先週、「ナース・ベティ」でラブートを発見、そしてまた今回の舞台の原作がラブートと聞いて、多才な人だったんだなと改めて知った。


昨年、そのラブートの戯曲「バッシュ」が舞台化されて話題となった。その理由が、「アリーmyラブ」で人気の出たカリスタ・フロックハートが主演、しかも共演がポール・ラッド、ロン・エルダードと、今ブロードウェイで1、2を争う人気のある俳優を揃えたことにある。しかもフロックハートが演じる役が、13歳の時に子供を宿し、その父親を殺害するというショッキングな役であることに話題が集中した。限定公演のチケットは即座に完売、争奪戦が演じられた。この番組はペイTVのショウタイムの中継用に特別にもう一度観客を集めて演じられた舞台を録画したもの。因みにタイトルの「バッシュ」とはパーティとかばか騒ぎという意味だが、強烈に批判するという意もある。


フロックハートは3幕劇「バッシュ」の第1話「ガグル・オブ・セインツ」と第2話「メデア・リデュー」に出演している。「セインツ」はフロックハートとラッドが二人、舞台で客席に向かって座り、交互に観客に向かって思い出話を語りかけるという趣向。基本的にラッドを中心にした話であるため、フロックハートは別にいいとも悪いとも言えない。舞台経験のある女優なら誰だってあのくらいはこなせるだろうくらいの感慨しかない。第一、あの髪型は全然似合っていない。変。対してラッドはいい。どこから見ても好青年で、前半ではなかなか笑わせてくれるラッドが、ちょっとしたきっかけから仲間と共に重大な犯罪に手を染める様を説得力たっぷりに演じている。


第2話が、最も注目を集めたフロックハートの一人舞台「メデア・リデュー」。ギリシア悲劇「王女メデア」の翻案といえば、だいたいの筋は想像がつく。「アリーmyラブ」でコケティッシュな女性弁護士というはまり役を演じたフロックハートが、ここでは常識やモラルから最も離れた殺人者の役を演じることが非常に話題となった。実際の公演では途中で席を立って劇場を出ていった者もいれば熱演を絶賛する者もいたなど、賛否両論を巻き起こしている。


私は残念ながら感心しなかった方である。フロックハートは元々舞台出身だからこういう役も昔は実際やっていて、本人としては「アリー」のイメージで固まった殻を破るためにもこういう役に改めて挑戦する必要を感じたのかも知れない。しかしこの役、舞台でなら映えるのかも知れないが、アップの多いTVでは一線を超えているという印象を拭い難い。まず、髪を振り乱し目の回りにクマを描き込み過ぎたメイクがやり過ぎである。遠目の舞台ならともかく、アップで見ると失敗した化粧かハロウィーンの仮装みたいだ。まるで80くらいの老婆に見える。声を上げて熱演すればするほど首筋に血管が浮かび、なんか見てる方の首筋がむず痒くなる。舌足らずな南部訛りも感心しなかった。南部訛りは元々舌足らずなものだが、フロックハートの喋り方には違和感があった。総じて純粋であるために外部が見えなくなってしまった女性というより、ただの白痴みたいに見えた。


第3話「イフゲニア・イン・オレム」は、これまたギリシア悲劇「イフゲニア」を翻案している。エルダードがバーで隣りあった男に自分の犯した罪を語りかけるという趣向。好演と言えるが、私はラッドの方ができがよかったと思う。全体を通して私が一番気になったのがカメラ・ワーク。動きのない舞台になんとかめりはりをつけようと頻繁にカメラが切り替わり、それはそれでいいのだが、単にカメラを切り替えるだけじゃ芸がないからと思っているのか、ディゾルヴを多用する。うざったいこと夥しい。TV版の監督はラブート自身だから自分でキューを出しているはずだが、なんでこんな真似をするのかわけがわからない。舞台中継は臨場感を殺さずうまく画面に定着させるのは難しいだろうというのはわかるけど。劇的なシーンで切り替わる照明は、常套的とはいえ効果的ではある。


ニューヨークでのオリジナルの舞台はフロックハートの熱演だけでなく、ラッド、エルダードの好演、チケット完売ということも相俟って、舞台は成功裡に幕を閉じている。喜んだフロックハートが舞台の後でデザートまで食べた、というのが記事になってたくらいだ。もちろんがりがりに痩せて、拒食症じゃないか、精神的バランスが崩れてるんじゃないかという噂が飛び交ったフロックハートをおちょくったものである。


しかし私はなあ。なんかフロックハートにがっかりしてしまった。彼女はやはり「アリー」の方が断然いい。しかしその「アリー」も昨シーズンははしゃぎ過ぎて大分視聴者を失ってしまった。レズビアン・キスから始まって、死んだビリーが亡霊となって生き返ったり、全編ミュージカル仕立てにしてしまったり、あれは確かに一線を超えていた。だいたい、エミー賞をとった番組がその翌年に今度はノミネートすらされないというのは、一度賞をとると何年も連続して受賞することの多いエミーではあまり例がない。アカデミー会員からも愛想を尽かされたことの証拠だろう。製作のデイヴィッド・E・ケリーも昨シーズンはやり過ぎたことを認めており、新シーズンはもうちょっと抑えて以前の「アリー」に戻ると約束しているが、はてさてどうなることやら。







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Bash: Latter Day Plays

バッシュ: ラター・デイ・プレイズ   ★★

 
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