Australia


オーストラリア  (2008年11月)

1930年代末。オーストラリアにビジネス・チャンスを見つけに行ったままいっかな帰ってこない夫に業を煮やしたサラ (ニコール・キッドマン) は、単身自分もオーストラリアに旅立つ。しかしそこで彼女を待っていたのは、夫の事故死の知らせだった。広大な土地がサラの元に残され、それを守るために、サラはアボリジニーの召使いたちや年端も行かないその子供、飲んだくれの藪医者、そして腕はいいが口の悪いカウ・ボーイのドローヴァー (ヒュー・ジャックマン) たちと共に、不毛の大地を越えて2,000頭の牛を目的地まで運ぶという、まるで勝機のない暴挙に挑むのだった‥‥


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バズ・ラーマンが「ムーラン・ルージュ」に続いて再び、というかシャネルのコマーシャルに続いて三たびニコール・キッドマンと組んで製作した「オーストラリア」、期待していなかったと言ったら嘘になる。しかも今やオーストラリアを代表する演出家の一人となったラーマンが、初めてミュージカルではない歴史大作ラヴ・ロマンスを撮る。思わず身を乗り出すには充分だ。


それなのにTVで予告編コマーシャルが流れ出すと、その期待は不安に変わる。ラーマンとキッドマン、そしてそのお相手はヒュー・ジャックマンと、どこから見ても文句のない布陣、さらに金をかけた大作なのに、なんでこうも面白くなさそうに見える。普通、予告編というのは本編よりも面白く見えたりするのに。しかも大作らしく、上映時間が3時間になんなんとするのを聞いて、さらに不安になる。もしかしたらラーマン、失敗しているかもしれない。


この予告編を見て面白くなさそうだと感じたのは私だけではなく、私の女房もそうだった。さらに批評家評も芳しくない。購読しているエンタテインメント・ウィークリーではC評価とかなり低い。「ダンシング・ヒーロー (Strictly Ballroom)」以来、ブロードウェイ・オペラの「ラ・ボエーム」も含めてラーマンを応援してきた私としては、ここは一抹の不安を抱えながらも、ラーマンだからとにかく題材が何でも見ると宣言していたのだが、私のようにラーマンに特に思い入れのない女房は、これは惹かれないわあ、私はパスと、早々とパス宣言を出す。そんな、お前、ラーマンだぞ、ラーマンとキッドマンの黄金コンビだぞ、そんな、勝手にパスなんかしてもいいのかという私の主張なぞ軽くいなし、だって面白くなさそうなんだもん、とにべもない。痛いところをついてくるが、しかし、あんた、少しはこの二人に敬意を表しても罰は当たらんと思うぞ。


「オーストラリア」は太平洋戦争勃発間近のオーストラリア北側沿岸を舞台に幕を開ける。英国に住むレディ・アシュリーことサラは、一山当てにオーストラリアに渡った切り戻ってこない夫に対し、それならこっちから出向くまでと、自分からオーストラリアにやってくる。ところがその矢先、夫は事故か故意かわからない事件で命を落とし、サラにはアボリジニーの使用人と広大な土地、何千頭もの牛が残される。牛を金に換えるには、ほとんど草木や水のない大地を牛を追って行かなければならなかった。サラは自分もその仕事に加わるだけでなく、召使いたちや飲んだくれの藪医者、腕は立つが口の悪いドローヴァー、さらにはまだ子供のヌラーを仲間に加えざるを得ず、それでも牛を無事目的地まで運べる可能性は限りなく低かった。さらに夫の配下で働いていたフレッチャーは、サラの所有する土地が欲しくて執拗に邪魔をする。果たしてサラたちは無事牛を目的地まで運べるのか‥‥


という、基本的にこの設定は西部劇だ。しかも、王道まっすぐという感じで直球でぐいぐい押して来る、既にアメリカでは製作されなくなって久しい感じの西部劇がオーストラリアで製作されている。もちろん単に西部劇というだけなら、昨年「3:10 トゥ・ユマ」という佳作があったし、「ジェシー・ジェームズの暗殺 (The Assassination of Jesse James by the Coward Robert Ford)」というのもあった。今年もエド・ハリス監督主演の「アパルーザ (Appaloosa)」が公開されている。しかしどれも伝統的な西部劇からはちょっと距離のある (「アパルーザ」は実際には見てないから、ありそうな、だが)、ひねりを利かした作品だった。「3:10トゥ・ユマ」に至っては、アメリカを舞台とする西部劇にわざわざオーストラリア人俳優のラッセル・クロウを連れてきて主演させている。


要するに、今アメリカでは素面では西部劇は撮れない。クリント・イーストウッドが「許されざるもの」で伝統的な西部劇に引導を渡してしまったからだ。代わって真っ当な西部劇を製作しているのは、「ザ・プロポジション」も撮っているオーストラリアになってしまった。とはいえ「オーストラリア」の場合、西部劇とはいっても時代は第二次大戦前夜だから既に車は走っているし、その車に追走するようにカンガルーまで走っている。正当な西部劇の嫡子ならやはり走っているべきなのは車じゃなくて鉄道だろうし、カンガルーじゃなくて野生の馬かバッファローだろう。やっぱり視覚的に正当な西部劇というのはちょっと違う。


という西部劇が、後半は今度は戦争ドラマになる。車どころかプロペラの戦闘機まで飛んでいる。そこにオーストラリアの先住民族問題や当然主演のキッドマンとジャックマンの恋愛ドラマも絡む、てんこ盛りの作品が「オーストラリア」なのだ。


ところでラーマン作品の特色というと、一に音楽、二に人工美ということになるのではないかと思う。まだラーマン・カラーが炸裂しない「ダンシング・ヒーロー」こそ人工的な造形美という点では後続の「ロミオ+ジュリエット」や「ムーラン・ルージュ」、「ラ・ボエーム」に譲るが、これらのキー・ワードを抜きにしてはラーマン作品は語れない。


その人工くささと同列で、作品の舞台となる場所の無国籍化というのもある。むろんムーラン・ルージュといえばパリのムーラン・ルージュのことに他ならないが、本当のパリの地形をまったく無視してスタジオ・セットで撮りあげた「ムーラン・ルージュ」のパリは、ラーマンの頭の中にしか存在しない架空のボヘミアン都市だ。同様のことはなぜだか南米舞台のシェイクスピア作品「ロミオ+ジュリエット」にも言える。


そのラーマンが、実在の場所を舞台に現実の歴史を絡め、特に音楽に比重をかけることなく大半が屋外撮影の作品を撮るというのは、大きな方向転換のように思える。どちらかというとリアリスティックな作品ということで「オーストラリア」がラーマン作品で一番似ているのは「ダンシング・ヒーロー」だろうが、それでも「ダンシング・ヒーロー」には音楽とダンスがあった。「オーストラリア」では音楽とダンスが一応前面に出てきて使われるのは、途中のパーティ・シーンだけに過ぎない。一言で言うと、「オーストラリア」にはあまりラーマンくささがない。これがラーマン作品と最初から知っているのでなければ、ラーマンが撮ったとは到底思わないだろう。


ラーマンはいかにも人工的な美しさを好み、当然「ムーラン・ルージュ」ではCGも多用されていた。「オーストラリア」も実写主体とはいえやはりCGも使用されており、前半では牛の暴走シーン、後半は戦争シーンを中心に用いられている。特に戦争シーンのCGシーンは予告編にも使われているわけだが、それこそが私の女房をして面白くなさそうと思わせ、私も、なんで戦闘機が飛ぶというそれだけで血湧き肉踊らせるはずのシーンがこうも迫力や臨場感に欠けているのかと不思議に思わせられた。一瞬しか映らない予告編だからということではなく、だからこそ通常はもっとエキサイティングになるはずなのだ。


これではほぼ同じ日本軍侵攻の様子をとらえた「パール・ハーバー」の方が、どんなに作品自体は貶されてもまだ興奮させてくれた。ラーマンはあんなに人工美が好きなくせに、機械的な美しさとかにはどうも興味がないみたいだ。戦闘機だけでなく、車、列車、船とかの近代移動媒体の描写全般にあまり精彩がない。問題はどうもその辺にあるように見える。ダンスのように人間を動かすのは得意中の得意であり、生身の動物である牛や馬もいけるのに、どうも産業革命以降には縁がないようなのだ。時代を遡る「ムーラン・ルージュ」や、「ロミオ+ジュリエット」がメキシコの片田舎を舞台としている理由がなんとなくわかる。自分が好きじゃないものを飛ばしてるんだろう。ついでに言うと武器や戦闘の描写も特にうまいとは思わせてくれない。


「オーストラリア」が面白くないわけじゃないのにもかかわらずどうしても幾分かピンぼけという印象を拭い難いのは、まさしくその、自分の得意じゃないものを撮っているという部分から来ている気がする。気負い過ぎなのだ。本気でキッドマンとジャックマンのラヴ・ストーリーを撮りたかったのだと思うし、オーストラリアの歴史も撮りたかったのだと思うし、西部劇も撮りたかったのだと思うし、戦争ドラマも撮りたかったのだと思う。前半と後半で気持ちを切り替えると、一粒で二度美味しい作品になっているのは確かなのだ。「風と共に去りぬ」の前半と後半を見ている感じに近いとさえ言える。


しかし最初からオーストラリアのオリジナルのジャンル劇じゃない西部劇という体裁で始まったように、「オーストラリア」はオリジナルではない。そのことが必ずしもマイナスになるとは思わないし、何度も言うように「オーストラリア」が面白くないわけでは決してない。一方そのことがどこか作品の受けや興行成績という点で、針がマイナスに振れる作用を及ぼしたこともまた確かだと思う。







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