「アトランタ」はとにかく批評家受けがいい。最近これくらい誉められている番組はとんと思い出せないくらいだ。アイヴィ・リーグをドロップアウトしたプータローの黒人青年を描くコメディだが、その描き方が非常にリアルと評判だ。
主人公アーンは大学をドロップアウトした、一般的な見方からすれば負け組だが、けれども人生まだ諦めたわけじゃない。恋人からアパートを追い出されてしまうが、嫌われたわけじゃない。親に金を無心に行って、下心がばれて家に入れてもくれないが、それはそれこれはこれで、愛されてないわけでもない。才能あるラッパーの従兄弟のマネージャーになろうとして疎まれるが、だからといって仲間じゃないわけでもない。
正直言って、こういう社会の中、もしくは底辺を揺蕩うみたいな、時代の雰囲気の皮膚感覚を描くというのは、日本だったら既にマンガの世界で確立されているという感じがする。番組を見ている間中、なんか日本の大人マンガを見ているみたいな肌触りだなという感じがつきまとう。アメリカのコメディやドラマで、これまでこういう感じの番組がなかったというのが不思議なくらいだ。
その理由としては、こういう感覚は、大勢で一つの作品を作り上げるTVや映画よりも、小説やマンガといった、基本的に一人で作業する媒体の方が向いているからという気がする。TVや映画だと、最初に意図した私小説的なイメージが、実際に製作している間にどこかに飛んでってしまいそうだ。
ただし、「アトランタ」の肌触りは大人マンガでも、目にするイメージ自体は、当然マンガとは大きく異なる。出演者のほとんどは黒人だし、主人公の従弟はラッパーだし、クルマのダッシュボードを開けると、そこには当然のように銃があったりする。ヴィジュアルやミュージックは彼我で天と地ほど違う。
それなのに印象が似るのは、アメリカの地方都市と日本で、共に逼塞している空気が共通しているからか。働きたくても仕事がない、あるいは、働かなくても一応生きていくことはできる。そういう世界で若者は、特に大きな夢を見ることもなく、明日も生きていられればいいや的な、気だるいオーラをまといながら生きている。
番組クリエイター兼主人公のアーンを演じているのがドナルド・グローヴァーで、NBCの「コミ・カレ!! (Community」でトロイを演じていた彼だ。最近では「オデッセイ (The Martian)」で若い天才的物理学者に扮していたが、やはり雰囲気はよれよれだった。常にエナジー・レヴェルが半分くらいでこれ以上元気が注入できない、という彼の持ち味を全開にしたという印象なのが、「アトランタ」だ。しかし今後の出演作は、「スーパーマン (Superman)」に「スター・ウォーズ (Star Wars)」の最新作だそうだ。彼がこの気だるいオーラから脱皮してスター性をまとうのはそう遠くない日のようだ。なんか、もったいないような気がする。