Anthropoid


ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦 (エンスラポイド)  (2016年8月)

ナチス・ドイツの上級官僚の一人、ラインハルト・ハイドリヒを暗殺するエンスラポイド作戦というのは、現実にあったことだそうだ。大学受験の時に選択科目に世界史をとったのでそこそここの辺も抑えているはずなのだが、実はハイドリヒという名前にとんと記憶がない。ハイドリヒがそうならエンスラポイドという作戦名に至ってはなおさらで、これははっきりと聞いた記憶がない。初耳だ。と断言できるほど現在の記憶力に自信があるわけではないが、やはり記憶のどの辺りをつついてみてもその欠片も脳裡に浮かび上がってこないところをみると、少なくとも私が勉強した範囲には、エンスラポイド作戦というのは入っていなかったようだ。


考えたらハイドリヒどころかヒットラーの暗殺計画だって未遂や計画を含めると山ほどあったに違いないが、そのほとんどを我々は知らない。それを考えるとエンスラポイド作戦を知らなくても不思議はない気もする。とはいえこれは実際に計画は実行に移されたわけだし、明らかに後世に影響を与えている。ある意味ノルマンディ上陸作戦に匹敵するくらいの影響を及ぼしているとすら言える。しかしそれでも、この作戦は知らない者の方が多いと思う。


第二次大戦時、ドイツはチェコを支配下に収めていた。しかし東欧でも有数の重工業地帯であるこの地域を今後もずっとドイツ支配下に置くのはどうしても見過ごせない英国は、亡命チェコ政府と連携して、現地を統括していたハイドリヒの暗殺計画を練る。


英/チェコはチェコ軍人のヨゼフ・ガプチークと、まだ若いヤン・クビシュの二人をプラハ郊外にパラシュートで送り込む。ガプチークは足に怪我をするが、それでも二人はなんとか無事にプラハのセイフハウスにたどり着く。二人はレジスタンスと共同で決行までの作戦の詰めと準備を進める。ハイドリヒは特に民衆に受け入れられようと人心操作に熱心なため、朝の出勤時もできるだけ護衛を少なくし、メルセデスのオープン・カーに乗って自分の姿を人々に売り込もうとしていた。その時が暗殺のチャンスだったが、レジスタンスも人手が少なく失敗の恐れもあって、なかなか決行に踏み切れない。いたずらに時間が経つうちに、クビシュとガプチークは地元の女性と交流を深めて行く。現世に未練ができたことでクビシュは死ぬことが怖くなる。果たして二人は計画を実行に移せるのだろうか‥‥


エンスラポイド作戦自体を知らなかった私にとっては、事態がどう進むかわからずスリリングなのだが、知っている者にとっても映画が100%事実に即しているかわからず、あるいはかなりフィクショナルな展開になる可能性もあるため、やはり結構手に汗握らせると思う。


しかし家に帰ってエンスラポイド作戦自体を調べてみると、映画はほぼ事実に即していることを知る。特に後世に事実として伝えられている点は、おおよそその通りに描かれている。たぶんガプチークとクビシュの現地での恋愛に関してはフィクションかと思うが、それも念入りにリサーチして実際にあったことやもしれない。


映画のクライマックスの暗殺計画実行からその顛末のサスペンスや追跡、銃撃戦の迫力はかなりのものだが、調べてみると、激怒したヒットラーによるその後の報復も、本当かと思えるほど徹底している。関係した者、関係者を匿った者は徹底して弾圧、殺害され、跡形もなくこの世から消滅させられた村も一つや二つでない。エンスラポイドの後、ヒットラーを含めたナチス・ドイツ要人の暗殺計画が実行に移されなかったのは、もし失敗した場合、あるいは成功した場合を含めても、その後のナチスの報復によって夥しい数の死者が出るのが火を見るより明らかであるため、そのことを連合国側が怖れたからとも言われている。


話はまったく変わるが、私たち夫婦は毎年テニスのUSオープンを観戦に行くのを楽しみにしている。今年はたまたま持っているチケットの日に錦織圭の4回戦の試合があった。メイン・スタジアムのアーサー・アッシュではヴィーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹がフィーチャーされていて、男子4回戦のスタン・ワウリンカと錦織は外のルイ・アームストロングになっていたので、どちらかというとこっちの方が気になる。それでヴィーナスの試合をちょっとだけ見て‥‥というよりも今年から新設された雨天用の開閉屋根を見にアーサー・アッシュに足を運び、じゃ錦織を応援するかとルイ・アームストロングに席を移す。因みにヴィーナスはファイナル・セットのタイ・ブレイクで負けた。


私たち夫婦がルイ・アームストロングで空席を見つけて座ろうとすると、隣りに座っていた若い白人カップルの男の方が、「錦織ファンか?」と訊いてくる。アジア人の我々にわざわざそういう質問をしてくるところをみると、もしかしてこいつは相手のイヴォ・カロヴィッチのファンでこちらに探りを入れてきたかと気になって、そうだが、そっちは? と返すと、オレたちもだという。そうか、錦織ファンは世界中にいるのだな。


特にこの試合、相手のカロヴィッチは身長2m10cmという、なんでテニスなんかやっているの、バスケットボールの方が向いているんじゃないとうくらいの、西洋人の目から見ても巨漢だ。それに比して錦織は、たぶん下から数えた方が早いくらいの身長でしかないだろう。二人がサーヴ権を決める時にネット脇に並ぶと、ほとんど大人と子供くらいの身長差がある。カロヴィッチも、人と会話する時は常に下を向いてなければならず、どこへ行っても頭をぶつける可能性が高い。あれはあれで大変だろうなと思う。いずれにしても、判官びいきで錦織を応援する者がいても不思議はないなと思っていた。


そしたらいざゲームが始まると、件の彼が立ち上がって「レッツ・ゴー・ケーイ」と叫び、続いてちゃんちゃんちゃちゃちゃ、と、あの、TVでもよく耳にするあの手拍子で観衆も応援に駆り立てる。こいつだったのか! 日本人じゃなかったのか! しかも訊いてみたところ、こいつはイスラエル出身との由。なんでまたユダヤ人がここまで錦織の応援をする、そんなに好きか?


と、ここでふと「エンスラポイド」を思い出し、もしかして、おまえ、第二次大戦中にヨーロッパに赴任していた外交官の杉原千畝が救った多くのユダヤ人の末裔、いわゆる杉原チルドレンか、だから日本人を応援しているのかと、妄想を逞しくする。さすがにそこまで踏み込んだことを初対面の相手に訊くこともできなかったが、かなりあり得る話なんではないかと思った。なんとなればいまだにヨーロッパ人、特に被害者となったユダヤ人にとっては、第二次大戦は遠い過去の話ではないからだ。などなどと、錦織の試合を見ながら頭は時々エンスラポイドしていたのだった。










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第二次大戦時、ヒットラーは支配下に収めたチェコに腹心のラインハルト・ハイドリヒを派遣して統治に当てさせる。ハイドリヒは飴と鞭を使い分け、既存の支配階級には厳しく当たるが労働階級の意見に耳を傾けたため、チェコは骨抜き状態となった。しかし重工業の盛んなこの地域が完全なナチス支配下に収まってしまうのは連合国側にとって好ましくなく、なんとか現状を打破する必要があった。英国とチェコの臨時政府は共同でハイドリヒを暗殺するエンスラポイド作戦を立て、ヨゼフ・ガプチーク (キリアン・マーフィ) とヤン・クビシュ (ジェイミー・ドーナン) をチェコにパラシュートで送り込む。ガプチークはパラシュート降下時に足に怪我をするが、二人はなんとかプラハに到着し、セイフハウスで準備を進めながらレジスタンスの面々と共に暗殺実行の機会を窺う‥‥


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