放送局: TCM

プレミア放送日: 9/7/2001 (Fri) 22:00-23:00

製作: AMIP、セプト・アルテ、INA、アルケオン・フィルムス

監督/脚本/編集/撮影: クリス・マルケル

音楽: ジョルジュ・ドリュー

ナレーション: アレクサンドラ・スチュワート


内容: ロシアの映画作家、アンドレイ・タルコフスキー回顧。


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ベイシック・チャンネルのTCM (Turner Classic Movies) は、その名の通りクラシック映画専門のチャンネルで、メディア・コングロマリットのAOLタイム・ワーナー傘下ということもあり、豊富な映画ライブラリーで知られている。このチャンネルが特集を組むと、その圧倒的な量の資産を活かして、他のチャンネルでは真似のできないようなラインナップを組んでくる。


今回のアンドレイ・タルコフスキー特集がそうで、タルコフスキーが監督した全7本の長編映画、および映画学校卒業製作の「ローラーとバイオリン」をすべてノーカットで放送するだけでなく、タルコフスキーの死後製作された、「ディレクティド・バイ・アンドレイ・タルコフスキー (Directed by Andrei Tarkovsky)」、それにこの「ワン・デイ・イン・ザ・ライフ・オブ・アンドレイ・アーセネヴィッチ」のドキュメンタリー2本を毎週金曜に連続して放送するという、映画マニア垂涎の特集を組んだ。


「ワン・デイ・イン・ザ・ライフ...」は、フランスのドキュメンタリー映像作家で、タルコフスキーの友人でもあったクリス・マルケルが、昨年、フランスのTVのために製作したものである。マルケルは黒澤明の業績を辿った「A・K」という作品も撮っている。全編スチール写真だけで構成した短編SFの「ラ・ジュテ」は、「12モンキーズ」としてハリウッドでもリメイクされた。番組タイトル中の「アーセネヴィッチ」というのは、詩人として知られるタルコフスキーの父、アーセニーの名をもじったもので、タイトル自体は、ソルジェニーツインの「イワン・デニーソヴィッチの一日 (One Day in the Life of Ivan Denisovich)」を借用している。ソルジェニーツインと、彼と同様、母国で虐げられたタルコフスキーとを掛け合わせているわけだ。


私が日本にいた時、タルコフスキーがブームとなって、私自身も結構はまったものだ。初期の作品にはあまり惹かれないが、「ソラリス」以降にはぞくぞくさせられた。それでもこの番組がタルコフスキーのドキュメンタリーというだけなら見なかったと思うが、監督がクリス・マルケルというのにはそそられた。マルケル作品で私が見たことがあるのは「ラ・ジュテ」だけしかないが、結構衝撃を受けた記憶があるからだ。映画史を紐解くと、マルケルはアラン・レネと共にフランス映画界のドキュメンタリーの歴史で見落とすことのできない存在である。1921年生まれだからタルコフスキーの10歳ほど年上、現在80歳だが、いまだ現役というのも凄い。余談だが、マルケルというのはペン・ネームで、筆記用具のマジック・マーカー (仏語読みでマルケル) からとったのだそうだ。


番組は1986年、亡命先のパリでガンで余命幾ばくもなく、病床についているタルコフスキーのもとに、息子と母がやっとヴィザが下りてパリまで会いに来るというシーンから始まる。もちろん最初から発表するつもりで撮ったヴィデオではなく、その上15年も前のヴィデオ、しかも完全にプライヴェートなものだから、画像も粗く、下手くそなカメラ・ワーク、と思いながら見てた。多分撮影はマルケル本人だろう。


番組が面白くなるのはやはりタルコフスキーが撮った作品の解説に移ってからで、本当ははっきり言って、いまさら水とか雨とか鏡だとか、タルコフスキーを語るのに言い古されたことをまた何度も聞こうという気はないから、まあ、タルコフスキーの名シーン特集でも見れればいいや、くらいの気持ちで見始めたのだが、わりと新しい発見もあって結構楽しめた。「サクリファイス」の撮影現場での記録ヴィデオで、多国籍混成撮影チームのため常時4か国以上の言語が飛び交うところや、家を燃やしたシーンがNGとなって枠組みだけ急いで建て直した話など、やはりこの手の逸話は面白い。「サクリファイス」の撮影はベルイマン作品でお馴染みのスウェーデン人のスヴェン・ニクヴィストなのだが、ロシア語が喋れるわけではないため、イタリア語や英語で意思の疎通を図っていたそうだ。


それにタルコフスキーの作品では、ポイントとなるシーンではほとんど常にカメラは登場人物を少し見下ろす位置にあるという指摘は、あ、確かにそうだった、と納得させられた。だからその意味は、なんて分析は映画批評家に任せるとして、自分が見落としていた部分を気づかせてくれる新しい刺激を受けるのは、やはり楽しい。それに、タルコフスキーのデビュー作は、若い木とその後ろに隠れる少年というシーンから始まり、最後の作品は枯れた一本の木と横になる少年で終わるという指摘も、偶然とか、だから何なんだと言われればそれまでだが、思わずおお、そうだったかと膝を打ってしまう。しかも両方のシーンとも、登場人物をなめてカメラがどんどんクレーン・アップしていくのだ。タルコフスキーの作品って、確かに思わず分析したりコメントしたりしてみたくなる素材に満ちているよなあ。


特に9月11日のテロリスト・アタックの後に見てみると、終末感を感じさせるタルコフスキー作品は、以前見た時とまた違った印象を受ける。とりわけ「ストーカー」なんて、今回見た時はほとんどSFに感じなかった。現在、現実がまったく現実離れしているため、気持ちがSF的な要素を簡単に受け入れてしまうようだ。ごく当たり前に、もしかしたらそういう世界もあるかもしれないと納得してしまう。タルコフスキーって、今の時代にこそフィットするような気がする。







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One Day in the Life of Andrei Arsenevitch

ワン・デイ・イン・ザ・ライフ・オブ・アンドレイ・アーセネヴィッチ   ★★★

 
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