An American Family   アン・アメリカン・ファミリー

放送局: PBS

プレミア放送日: 1/11/1973 (Thu) 全12回

再放送日: 4/23/2011 (Sat) 23:00-4/24/2011 (Sun) 11:00

製作: クレイグ・ギルバート

出演: ビル・ラウド、パトリシア・ラウド、デライラ・ラウド、ランス・ラウド、ケヴィン・ラウド、グラント・ラウド、ミシェル・ラウド


内容: カリフォルニア州サンタ・バーバラに住む中-上流階級のラウド (Loud) 家に密着してその一部始終を記録し、1973年に初放送された当時大きな反響を巻き起こしたアメリカTV史上最初の対象密着型リアリティ・ショウの再放送。


_______________________________________________________________

An American Family


アン・アメリカン・ファミリー   ★★★

公共放送のPBSが1973年に放送した12回シリーズ「アン・アメリカン・ファミリー」は、現在アメリカTV界で隆盛を誇るリアリティ・ショウの、そもそもの嚆矢として名高い。1990年代にMTVの「ザ・リアル・ワールド (The Real World)」が現れ、そしてその10年後に「ジ・オズボーンズ (The Osbournes)」がジャンルを再構築して現在へと至る、カメラを対象に密着させ、ただただ撮り続けるというスタイルの対象密着型リアリティ・ショウの元祖が、「アン・アメリカン・ファミリー」なのだ。


という前知識こそはあったものの、その「アメリカン・ファミリー」を実際に見るチャンスはこれまでなかった。その機会がやっと巡ってきたのは、このエポック・メイキングな番組のドキュドラマを製作しようと考えたHBOのおかげだ。


今回、HBOは「アメリカン・ファミリー」を題材にしたTV映画、「シネマ・ヴェリテ (Cinema Verite)」を製作放送し、それに便乗したPBSが、「アメリカン・ファミリー」の何十年かぶりの再放送に踏み切った。おかげで視聴者は、同じ日にオリジナルとそのリメイク・ドキュドラマの両方を見るチャンスに恵まれた。


因みに「シネマ・ヴェリテ」プレミア放送は4月23日午後9時から10時45分まで、「アメリカン・ファミリー」は直後の11時から翌朝11時まで、全12回がマラソンで放送された。DVRというものがなかったら、私もさすがに本気で見ようとは考えなかったろう。


「アメリカン・ファミリー」は、かつてTVガイド誌がアメリカTV史上ベスト50の番組を選出するという企画番組「50グレイテスト・ショウズ・オブ・オール・タイム (50 Greatest Shows of All Time)」において、第32位に選出されている。私が初めて「アメリカン・ファミリー」について知ったのもこの時で、以来、見る機会はないものかとずっと思っていた。それが意外な形で今回実現した。


対象密着型のリアリティ・ショウは、当然のことながら対象を選ぶ。一歩間違えると、ただの退屈なカメラの長回し、フィルムの浪費にしかならない可能性が大いにある。現実問題としてこのジャンルが過去、現在のように隆盛にならなかったのは、ヴィデオではなくフィルムを使用していたため、撮影コストがあまりにも高くついたからだろう。その癖番組のできは、対象となる被写体に大きく左右され、でき上がるまでは番組がどんなものになるかは予想できない。これではこのジャンルは流行らない。対象密着型リアリティが大きくシェアを伸ばすのは、安価なヴィデオテープを使って撮りっぱなしができ、編集が飛躍的に楽になったヴィデオ撮影が主流になる1990年代以降のことだ。


もう一つの問題として、対象密着型は構造上どうしても作りが安く見えるというのがある。事前にセットを組んだり状況を整えることができないし、往々にして対象は一般人かB級以下のセレブリティになりやすいためだ。そのため、ネットワークはほとんどこの分野に手を出さない。MTVの「リアル・ワールド」、「オズボーンズ」、現在のブラヴォーの「ザ・リアル・ハウスワイヴズ・オブ‥‥ (The Real Housewives of…)」シリーズ等、このジャンルの人気番組、代表番組がケーブル・チャンネルに偏っているのは、そういった理由がある。あるいは「アメリカン・ファミリー」を放送したPBSのように、採算を度外視した公共放送だったりする。


もしネットワークがこの種のリアリティ・ショウを製作しようとすると、同じ対象密着型でもCBSの「ビッグ・ブラザー (Big Brother)」のように単なる密着型としてだけではなく、そこに競争の原理を取り入れて勝ち抜き型にしたりする。純粋に対象に密着するだけという趣の番組がなかったわけではないが、ネットワークでそれが成功した試しはほとんどない。


唯一の例外がFOXで、開局したばかりのFOXが90年代に放送し、いまだに人気のある「コップス (Cops)」は、厳密に言うと対象は登場する警官ではなく、警官の追うお間抜け犯罪者だったりし、毎回追いかける主人公がいるわけではないが、それでも対象に密着するという意味で、ネットワークが放送して成功したほぼ唯一の対象密着型リアリティ・ショウと言える。FOXはその後もパリス・ヒルトンに密着する「ザ・シンプル・ライフ (The Simple Life)」等、勝ち抜きではないリアリティ・ショウを編成してある程度成功を収めている。


厳密に言うと、「アメリカン・ファミリー」はリアリティ・ショウではなく、ドキュメンタリーだと思う。リアリティ・ショウとドキュメンタリーとの概念の違いは曖昧で、明確な定義や一線が引かれているわけではない。私的に定義づけさせてもらうと、エンタテインメント性を重視しているのがリアリティで、作り手の問題意識、テーマ性が前面に出てくるのがドキュメンタリーだ。つまり、画面に映る対象の物語性が重要なのがリアリティ・ショウ、誰が作ったか、何を言いたいかということの方に意義があるのがドキュメンタリーだ。


「アメリカン・ファミリー」は、カリフォルニア州サンタ・バーバラの、アメリカの中上流階級に位置するラウド家に約半年間密着し、彼らのありのままの姿をとらえるという名目になっている。撮影が行われたのは1971年の晩春から1972年1月までの約半年強だ。番組が放送されたのは1973年1月であり、つまり、編集に約1年もの時間をかけている。フィルム撮影だからどうしてもそのくらいの時間がかかるし、当然金もかかったろう。昔は今のように対象に密着して番組を作るという発想自体がなかったのも頷ける。


ラウド家の構成は、家長のビルを筆頭に、妻パトリシア (パティ)、長男ランス、次男ケヴィン、三男グラント、長女デライラ、次女ミシェルの7人家族だ。核家族化が問題になり始めていた当時のアメリカとしては、家族の数は多い方だろう。一番上のランスが20代中盤、一番下のミシェルが十代半ばといったところだ。


プレミア・エピソードでは時間軸としては最後の、1972年のニュー・イヤー・イヴのパーティを準備しているラウド家の姿で幕を開ける。実はビルとパティはちょうど離婚調停の真っ最中で、ビルは家にいない。ただしカメラはビルも追っていて、ビルの様子も映す。ニューヨークに仕事を求めて行っているランスも家にはいないが、わりと頻繁に電話をかけてくるようだ。


とにかく第一印象は、当然のことながら70年代ということを強く意識させるヴィジュアルということに尽きる。まだウッドストックからそれほど離れていない時代なのだ。ハーヴィ・ミルクがサンフランシスコに居を構えたのも1972年だ。そういう、男性も皆長髪で女性も頭にリボンを巻いているようなファッション、バンドを構えるグラントやケヴィンが演奏するのはローリング・ストーンズという、ファッション、カルチャーがまず最初に目につく。


7人家族ということもあるだろうが、フレンチ・ドアの大きな冷蔵庫、および全員分の目玉焼きをいっぺんに焼く専用の目玉焼き器、ステンレスの一枚板で、全員分のベーコンがいっぺんに焼ける業務用みたいな大きなパン (と言えるんだろうか) のあるキッチンが印象的。因みにビルは、建築用機器の消耗材を扱う会社を経営している。


話が進むにつれてビルが浮気しているのが発覚し、ビルとパティの離婚が決定的になる。このビルがまた、一目で自信過剰の嫌な奴っぽいと思わせてくれる。最初はニューヨークからの電話の声だけで登場するランスも、長々としゃべるだけでまったく身のない、話し方だけでいけ好かない野郎と思わせてくれる。その他の家族の面々も多かれ少なかれ自意識過剰と思われる言動が随所に見てとれる。


つまり、「アメリカン・ファミリー」が放送当時話題になったのは、そういう、とある家族の負の側面もしっかりとらえたところにあったのだと思う。これはシットコムやドラマではないのだ。登場人物の誰もが好感のもてる人物とは限らない。多かれ少なかれ、全員がなんか、見ている者に不愉快と思わせる側面を持っている。最もその程度が少なく、わりと感情移入できるのはパティだけで、要するにこれは、ビルが最も不愉快な人間で、子供たちは彼の血を引いているからかと思ってしまう。


徐々に明らかになるのがランスがゲイということで、彼はニューヨークに職を求めて行っているのだが、彼が滞在しているのがホテル・チェルシーだ。おお、ホテル・チェルシー。今私はそのホテル・チェルシーから数ブロックしか離れていないところで働いているんですけど。


このホテルの前には、「アーサー・C・クラークはここで『2001年 宇宙の旅』を書いた」という小さな額がかかっている。最初これに気づいた時、へえ、また、なんの取り柄もなさそうなホテルに見えるのに、由緒のあるホテルだったんだと思ったものだが、由緒どころか一時期のアートや音楽関係においてはほとんど伝説的な地位を占める特権的なホテルだということを知ったのは、かなり後になってからだ。今ではほとんど寂れているという印象に近く、ベッド・バグが出そうだから正直言って遠慮したいとしか思えない。因みにランスはその後エイズにかかって死亡している。


番組はそういうラウド家を延々ととらえる。今のMTVが得意とするリアリティ・ドラマのように撮り直しとか複数カメラによる同時撮影とかの手法がほとんどない時代の話だから、いきおいほとんどのショットが1シーン1ショットの長回しになっている。バンド・デビューを狙うグラントとケヴィンが演奏を始めると、ほとんど最初から最後まで聞かせる。1台のカメラでしか撮っていないので、他に編集のしようがないからだ。被写体といい背景といい撮影手法といい、とにかく時代を感じさせる。


この「アメリカン・ファミリー」舞台裏を描くドキュドラマが、「シネマ・ヴェリテ」だ。ビルを演じるのがティム・ロビンス、パティをダイアン・レイン、ランスをトマス・デッカー、プロデューサーのクレイグ・ギルバートをジェイムズ・ガンドルフィーニが演じている。番組では、夫のヘア・ブラシが綺麗にされていることに気づいたパティが、ビルの浮気に感づくというのが話の出だしになっている。


番組そのものよりもおおと思わせられたのが、番組プレミア・パーティに現れて紹介されていたビルとパティ本人で、ビルはパティと離婚後、他の女性と結婚したがまた離婚して、今はまたパティと一緒に暮らしているらしい。二人とも元気で、元の鞘に収まったのか。


「シネマ・ヴェリテ」のオープニングでは、1973年という年について、米軍がヴェトナムから撤退し、ロー v ウェイド裁判が結審し、そして「アメリカン・ファミリー」が放送された年だったというテロップが入る。ヴェトナム撤退はともかく、日本人には馴染みがないだろうから説明しておくと、ロー v ウェイドとは最高裁が女性の中絶の権利を認めた歴史的判決で、これ以前と以降では、女性の権利に対する概念が一変する。そして「アメリカン・ファミリー」だ。


因みに映画好きでは1973年というと、蓮実重彦が1973年をヴィム・ヴェンダース、クリント・イーストウッド、ヴィクトル・エリセ等が作品を発表し始め、ジョン・フォードが死んだ映画における特権的な年として記していることを記憶している者も多いだろう。ついでに言うと、私が村上春樹という名を知ったのも、「1973年のピンボール」でだった。要するに1973年とはそういう年だったのだ。









< previous                                    HOME

 
 
inserted by FC2 system