放送局: ABC
プレミア放送日: 3/4/2001 (Sun) 21:00-23:00
製作総指揮: オフラ・ウィンフリー、ケイト・フォルテ
製作: ドロ・バカラック
監督/脚本: ロイド・クレイマー
原作: エリザベス・ストラウト
撮影: エリック・アラン・エドワーズ
音楽: アーネスト・トゥルースト
編集: スコット・チェスナット
美術: クラーク・ハンター
出演: エリザベス・シュー(イザベル・グッドロウ)、ハナ・ホール(エイミー・グッド・ロウ)、マーティン・ドノヴァン(ロバートソン)、コンチータ・フェレル(べヴ)、ジェイムス・レブホーン(エイヴリー・クラーク)
物語: 1971年、アメリカ北東部ニュー・イングランド地方。イザベルは早くに夫を亡くし、女手一つでエイミーを育てていた。エイミーは16歳と敏感な年頃になり、なにかにつけて些細なことでイザベルと対立する。イザベルは家では毎日が綱渡りのような気持ちを味わっていたが、それは彼女が働いている製粉工場でも同じことで、周りの人間のゴシップ話ばかりで盛り上がる同僚のお喋りの輪に入っていくつもりはさらさらなく、その上、教会の集まりでは上流階級でないイザベルの発言に耳を傾ける者もなく、どこでも居心地の悪い孤独な感情を味わっていた。
そんな時、エイミーは学校で新任の数学の教師ロバートソンと親しくなり、彼の車に乗って帰宅するようになる。二人の間は急速に深まり、ある日、森の中に停めた車の中で二人が抱きあっているのを、イザベルの上司、エイヴリーが目撃する。エイヴリーはイザベルに報告、イザベルはエイミーと喧嘩した上、エイミーの髪をばっさりと切ってお仕置きをするが、二人の間の溝はそのことによって一層深まっていくばかりだった‥‥
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たとえエリザベス・シューが批評家からも誉められる熱演をしようとも、私は最初はこの番組を見ようとは思っていなかった。それなのに考えを改めたのは、この番組がオフラ・ウィンフリー製作番組だったからということにある。ウィンフリーは日中に「オフラ (Oprah)」という自分のトーク・ショウを持つアメリカで最も影響力のある黒人女性の一人である。彼女の発言は黒人女性の枠に留まらず、広くアメリカの女性全体に大きく影響を与えている。
ウィンフリーは数年前から、自分が選んだ良書を広く紹介するという「オフラ・ブック・クラブ」という本の啓蒙活動も始めた。それがいかに広くアメリカ全体に受け入れられたかというのは、アメリカを代表する大型書店チェーン、バーンズ&ノーブルで、オフラ・ブック・クラブの本を並べたコーナーが常設されていることからも伺える。一時、スターバックス・コーヒーでも必ずオフラ・ブック・クラブに選ばれた最新図書を陳列して売っていた。手に取ってぱらぱらとめくってみると、確かに面白い上に、質も高そうな本を選んでいる。
そんなんだから、オフラ・ブック・クラブは瞬く間に全米に浸透した。今ではこれに選ばれた本は、翌週からニューヨーク・タイムズのベストセラー欄に必ず顔を出すまでになっている。つまりそれほど選択の基準が読者から信頼されているのだ。そしてさらに97年から、オフラはそれらの中からさらに選りすぐった本を、自分の番組製作プロダクション、ハーポ・フィルムスでTV映画化するようになった。
その第1作、「ビフォア・ウーメン・ハッド・ウィングス (Before Women Had Wings)」はABCで放送され、主演のエレン・バーキンがエミー賞のTV映画部門で主演女優賞を獲得するなど、すぐさまお茶の間に浸透した。しかしそれが決定的となったのは、何といっても一昨年にTV映画化した「モリー先生との火曜日 (Tuesdays with Morrie)」が、その年のエミー賞のTV映画/ミニシリーズ部門で、TV映画賞、主演男優賞 (ジャック・レモン)、助演男優賞 (ハンク・アゼリア) の主要3賞を独占したことにある。これによってオフラ・ウィンフリー製作番組は、アメリカ中の女性に圧倒的な信頼を勝ち得たのであった。
「目覚めの季節 エイミーとイザベル」は、エリザベス・ストラウトの原作を映像化したもので、ウィンフリーが製作する最新の番組となる。主としてヒューマニズムやフェミニズムを尊重する視点から番組を製作してきた、これまでの番組と同様の印象を与える内容となっている。ただし、今回は従来にも増して内容が暗く重めで、これはウィンフリーが製作しなかったら、誰も製作しようとは考えなかっただろうと思われる。それなのに「オフラ・ウィンフリー」という名前が番組の前についただけで、こういう地味な番組なのに結構高い視聴率を獲得した。やはりウィンフリー侮るべからずである。
シューは至るところからその演技を誉められているのだが、実は私はそれほど感心したわけではない。髪を引っ詰めにして、杓子定規に生きる、心から話せる友達のいない独りぼっちの女性という役柄なのだが、「リービング・ラスベガス」の方がずっとよかったと感じた。嘘で固めていた自分の過去を告白するという番組のクライマックスでも、もう一つという感じがした。それに較べ、エイミー役のハナ・ホールは実に自然で、この年頃の女の子の扱いにくさがよく出ていて、こちらの方に感心した。片方の眉をほんの少し持ち上げるだけで、誰にも干渉されたくない心情を見事に表している。「トラフィック」でも、ドラッグ中毒に陥るティーンエイジャーを演じたエリカ・クリステンセンをうまいなあと思ったが、アメリカのこの年頃の、可愛くない (失礼) が演技のうまい女優の層は、非常に厚い。
意外な拾い物だったのが、数学の教師ロバートソンに扮するマーティン・ドノヴァン。つい先だっても、A&Eが製作するTV映画の「偉大なるギャツビー」で、昔より今の方が断然いいと思ったばかりだが、今回はさらに、生徒に理想を説きながらも自分の欲望を抑えきれない矛盾に満ちた教師像を実にうまく演じており、人物造形にまったく無理がない。私は大いに感銘を受けた。昨年、ABCで「ワンダーランド」がキャンセルされたのが逆にいい方向に向かったようだ。また、べヴに扮するコンチータ・フェレルが、こういう物語でこういう人物は外せないという、シューの人のよいでぶの同僚役を演じている。シューの告白を聞いた翌日、勝手に台所を占領してコレステロール値が非常に高そうな朝食を作り、エイミーに向かって「さ、このでぶのおばさんの懐においで」と抱きしめる。こういう役は、アメリカのホーム・ドラマには欠かせない。
欠陥というのとは違うが一つだけ気になったのが、この番組の撮影時に妊娠中のシューのお腹が、はっきりと目立つことである。番組で最初に登場してきた時からはっきりわかるので、私は最初、彼女が父無し子をみごもっているという設定になっているとばかり思っていた。しかしそれにしてはそのことについて誰も何も言わないし、そのことがストーリーにも絡んでこない。なんで? と思っていたら、最後までそのままで終わった。つまり、シューのお腹は膨らんでないものとして話は進んでいったのだが、これは無理があるよ。あれで妊娠してないという設定なら、太っていると解釈するしかないが、それではあの役にマッチしない。どうしてもシューを使いたかったのなら、撮影をあと半年遅らせるとかできなかったのだろうか。本当に妊娠中のキャサリーン・ゼッタ・ジョーンズをうまく使った「トラフィック」を思い出した。蛇足だがシューは先頃無事女の子を出産したそうです。
