American Sniper


アメリカン・スナイパー  (2015年2月)

クリント・イーストウッドの最新作「アメリカン・スナイパー」は、彼がこれまでに演出した作品の中で最大のヒットとなった。正直言って私はこれまで映画の主人公である米軍の伝説的スナイパー、クリス・カイルについてほとんど知らなかったのだが、アメリカ人、特に愛国的なアメリカ人においては、彼は戦争の英雄であり、国の誇りであったらしい。


しかしどんな英雄だろうと戦争で人を殺し、また戦友が死ぬところを見てきていることには変わりなく、戦地から帰っても時に些細なことで激昂することがあるなど、戦争は確実にクリスにも影響を与えていた。彼は除隊してからもなにかと後遺症に悩まされる同じヴェテランの世話を見ていたが、2013年に、その気にかけてやった男に撃ち殺される。


これは間違いなくアメリカでは大きなニューズになったはずなのだが、私は記憶がない。たぶんその他多くの同様のヴェテランPTSD関連事件の一つとして忘れたのだと思う。それが今大きな注目を集めているのは、映画の公開、そしてほぼ時を同じくして、クリスを撃ち殺した男の裁判が始まったからだ。


映画の年末公開は配給のアカデミー賞狙いの戦略だろうし、裁判はそもそもアカデミー賞とは無縁だ。だからこの時期に裁判が始まるというのは偶然に過ぎないのだが、映画がすごく話題になったことで、裁判の進行に懸念が出てきた。


つまり、現在ほとんどのアメリカ人成人はこの映画を見ている。その後で先入観なくして男を裁くというのはかなり難しい相談だ。そのため、映画を見ていないことを前提とした陪審員選びは難航し、12人の陪審員中、女性が10人という異例の構成となった。


そして実際に裁判が始まると、その模様をTVのニューズで流していたりする。それでクリスの妻タヤが証言しているのが映っていたのだが、ハリウッド女優かと思われるほどの美人で、私の最初の印象はおかげで事件そのものではなく、こんな美人をバーで引っかけたのか、やるなあという方向に向かった。まさか大元は二人共ワン・ナイト・スタンドのつもりだったとか、などとあらぬことを考えたりした。一緒にTVを見ていたうちの女房の印象もほとんど同じで、本当にすごく綺麗な人だったんだねというものだったから、まあ私と似たような印象を持った者は多いんじゃないかと思う。映画でタヤを演じたシエナ・ギロリーも美人だが、本人も負けず劣らず美人だ。


映画ではクリスが最後、どのように死んだのかまでは描かれない。映画を製作中に、今後事件の裁判が進んでいくことは製作サイドも知っていたろうから、ヘンに推測でクリスの死を描くわけには行かなかったろう。クリスが撃たれるシーンまで描いてしまったら、それこそ本当に人々にこのようにして事件は起こったと思い込ませてしまう可能性が大きい。


裁判では、弁護側は被告が事件時にPTSDのために心身喪失状態にあったと主張したことで、本人の責任能力の有無が焦点となった。そして既に全員一致で有罪の判決が下っている。アメリカではセレブリティが事件の被告となる裁判があると、セレブ有利の判決が下りやすいことが言われている。要するに陪審員がどうしてもセレブに近い心証を持ってしまうことがその理由とされるが、今回もその例に倣ってしまったと感じられるのは否定できない。ある者にとっては、クリスはハリウッド・セレブ以上の存在だった。


意外に思えるのだが、これまでに作った映画を見るに、イーストウッドは民主党以外のなにものでもないと思えるのだが、実際にはイーストウッドは共和党だ。それも結構筋金入りのようで、前回の大統領選の党大会の時は、誰も座っていない椅子を壇上に置いてオバマ大統領に見立て、オバマ政策を揶揄する突拍子もない対話を演出して見せた。


しかし本当のことを言うと、イーストウッドから受ける印象は、党派とは無縁の超党派だ。昨夏の「ジャージー・ボーイズ (Jersey Boys)」なんかは、映画の文法をまったく無視して、舞台の文法で映画を撮ってみたという印象が横溢している作品だった。さらにその前に撮ったのが「J. エドガー (J. Edger)」、その前が「ヒアアフター (Hereafter)」、その前が「インビクタス (Invictus)」となると、イーストウッドって本当に超越している映画作家だなと思わざるを得ない。


そのイーストウッドが撮った「アメリカン・スナイパー」は、確かに愛国的な作品なのかもしれないが、イーストウッドが単純に愛国敵国という概念で映画を撮ってたりなどしていないことは、「硫黄島からの手紙 (Letters from Iwo Jima)」や、「父親たちの星条旗 (Flags of Our Fathers)」を見れば明らかだ。むしろ今回、視点のほとんどがクリス、もしくはアメリカ寄りで、相手側から見た視点があまりなく、その少ない相手側視点で敵方のスナイパーが登場したことで、リアリティ重視の戦争映画というよりも、むしろアクション映画という印象の方が強くなった。


銃弾がスロウ・モーションで発射され、相手を撃ち抜くというのは、戦争のリアリティではなく、明らかにアクション映画の演出だ。中東の、戦争の、厳しさ悲惨さを描くという演出ではない。クライマックスの砂嵐の中での戦闘は、アクションの演出家としてのイーストウッドのまさに独壇場という感じで、アクション映画の醍醐味を伝えてくれる。


一方でクリスは、自国に帰ってきてからの方が問題を多く抱えている。彼は母国に帰ってきているというのに、まっすぐ家に戻って妻や子の顔を見ることができず、バーに入り浸る。人が多く死ぬ戦場を描くとアクション映画になり、平和な自分の国に帰ってくるとリラックスできず、自分の家に立ち寄ることができない。そして最後は自分の仲間に撃たれて殺される。イーストウッドは、戦争映画は、いったい今後どこに向かうのか。










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クリス・カイル (ブラッドリー・クーパー) は幼い頃から射撃に才能があったが、成人しても特に定職に就くことなく、実際にネイヴィ・シールズに入隊してアメリカ軍のスナイパーになったのは、9/11以降のことだった。しかしいったん入隊してからの中東でのクリスの活躍は目覚ましく、瞬く間に米軍の伝説的存在になる。従軍の合間に地元で出会ったタヤ (シエナ・ギロリー) と結婚し、一児を儲け、仕合せな家庭を築いているように見えるクリスだったが、しかし、突発的に暴力的になったり異様に心拍数が上がるなどの、戦場を経験した者に特有のPTSDに悩まされてもいた‥‥


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