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ゲティ家の身代金 (オール・ザ・マネー・イン・ザ・ワールド)  (2018年1月)

昨秋だか最初この作品の予告編を見た時は、結構ぞくぞくした。世界で、いや歴史上最も金持ちと言われていたゲティ財閥のドン、ジャン・ポール・ゲティに扮したケヴィン・スペイシーが、孫が誘拐され身代金を要求されていることでいくらなら出すかとマスコミから訊かれ、「一銭も出さない (Nothing)」と答え、ゆるゆると足を引きずるような感じでこちら側に向かって歩いて来る。 

 

実はJ. P. ゲティその人についてはまったく知らないのだが、いかにもこんな感じなのではという嫌らしさと説得力はさすがスペイシーという感じで、期待と興奮させてくれた。だいたいスペイシーが足を引きずると、「ユージュアル・サスペクツ (The Usual Suspects)」のような傑作を期待させる。「セブン (Seven)」で警察に出頭するシーンでも、足を引きずっていたような印象がある。 

 

その、再度スペイシーの傑作を期待させた「オール・ザ・マネー・イン・ザ・ワールド」が、敢えなく瓦解する。なんとなれば近々のセクハラ・パワハラに屈しないMeeTooムーヴメントの中で、スペイシーまでもが過去のセクハラを弾劾され、主演中のNetflixの「ハウス・オブ・カード (House of Cards)」から降ろされただけでなく、「オール・ザ・マネー・イン・ザ・ワールド」もスペイシーが出演した部分が撮り直しになったのだ。 

 

スペイシーお前もかという落胆はさて置き、一番がっかりしたのは、「オール・ザ・マネー」のスペイシーが見られなくなったことだ。予告編もできていたわけだし、本編もほぼ完成していただろう。それなのに、たとえ主演ではないとはいえだいぶ出番があるはずのスペイシーの出演部分を、クリストファー・プラマーに鞍替えして全部撮り直すという。そんな、かなりの出費になるだろうに、J.P.同様ケチで知られるハリウッドの経営陣が、撮り直しを了承したってか。もう既に作品は完成しており、スペイシーが出ているとはいえ、撮影時点では誰も知らなかったわけだし、ここは多少非難されても公開に踏み切ると思ったが、まさか撮り直しか。 

 

しかもこのスキャンダルが明らかになったのが昨年10月、予告編では映画は年末公開が予告されている。撮り直しって、間に合うのか? 演じるプラマーだけでなく、監督のリドリー・スコット、その他の撮影陣を含め、撮影はほとんど不眠不休で進められたのではないか。その後しばらくしてTVを見ていたら、「オール・ザ・マネー」のCMがかかっていて、映画館で見た「オール・ザ・マネー」の、スペイシーの部分だけがプラマーにすげ替えられていた。すげえ、本当に撮り直したんだ。しかもスペイシー・スキャンダルが明らかになってからまだ一と月くらいしか経っていない。 

 

予告編でスペイシーが「ナッシング」と言うシーンは、あたかも他人事という突き放した感じで言っていたものが、プラマーの「ナッシング」は、ぴしゃりと、問答無用、みたいな感じで言い捨てるという感じだった。それだけでも二人の違いが明瞭で、役者が違うとこれだけ変わるんだと思わせた。たったワン・シーンでこれだから、全編を通した場合、映画自体がまったく異なる印象を持つものになっただろうということは想像に難くない。うーん、やっぱりスペイシーの  「オール・ザ・マネー」、見たかった。 

 

この話にはまだ続きがあり、その後12月に入って劇場に映画を見に行ったらまた「オール・ザ・マネー」の予告編を見せられて、そしたら、その予告編にはまだスペイシーが出ていた。どうやら全米各地の劇場に既に配布されている予告編までは、回収して交換するという余裕がなかったらしい。いずれにしても、これでは何も知らなければ、いったい誰がJ.P.を演じているのかわからない。 

 

さらに付け加えると、年が明けてから撮り直しに俳優に支払われたギャラがすっぱ抜かれた。それによると準主演級のマーク・ウォールバーグには150万ドルの追加のギャラが払われたのに、主演と言えるミシェル・ウィリアムズには、1,000ドル以下しか払われなかったそうだ。ウォールバーグがどうしてもプラマーと関わるシーンが多くて撮り直しが多かったろうということを考慮しても、この差は納得できない。ウォールバーグはたぶん今度は自分がバッシングされることを恐れてか、追加のギャラはすべてウィリアムズ名義でチャリティに寄付すると発表、金は多く貰い過ぎても少なく貰っても遺恨が残る。 

 

さて、そこまでして撮り直した肝心の作品の内容だが、いつものスコット演出らしく骨太で、グロテスクで、楽しませてくれる。幾つになってもこの力強さはすごいと思う。とはいえ今回に限っては、頭の中で空想のスペイシー編が明滅するため、どうしてもこちらはどうだったんだろうと夢想してしまう。目下の希望は、ほとぼりが冷めた頃にスペイシー版の「オール・ザ・マネー」が、ひっそりとでいいからどこからか提供されることだ。「ハウス・オブ・カード」を提供していたNetflixで見れるなら、いかにもという感じで申し分ないと思うのだが。 

  

時代は1970年代であり、予告編でも本編でもゾンビーズの「タイム・オブ・ザ・シーズン (Time of the Season)」が使われている。当時の流行歌を背景に使う場合、個人的に音楽がはまる作品というのがあり、これもはまった。デイヴィッド・フィンチャーの「ゾディアック (Zodiac)」のサンタナの「ソウル・サクリファイス (Soul Sacrifice)」、ティム・バートンの「ダーク・シャドウ (Dark Shadows)」のムーディ・ブルーズの「サテンの夜 (Nights in White Satin)」、FXの「ジ・アメリカンズ (The Americans)」のフリートウッド・マックの「タスク (Tusk)」等、要するにティーンエイジャーの頃に聴いた歌というのは、記憶に残るのだった。今回も映画を見て家に帰って来てからも、「タイム・オブ・ザ・シーズン」のブ・ブ・ブン・ブ、ブ・ブ・ブン・ブ、という出だしと、イッツ・ザ・タイム・オブ・シーズン・フォー・ラーヴィーンというサビの部分が頭の中で勝手に何度もリフレインする。これはこれで結構疲れもするのだった。 










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1973年、イタリアで石油王ジャン・ポール・ゲティ (クリストファー・プラマー) の孫ジョン・ポール・ゲティ3世 (チャーリー・プラマー) が誘拐される。誘拐犯は母親のアビゲイル (ミシェル・ウィリアムズ) に身代金を要求、ゲイルがとてもそんな金は払えないと言うと、相手は世界一の金持ちであるポールの祖父ゲティに支払わせろと要求する。しかし根っからの吝嗇家である上にポール以外にも孫がいるゲティは、もしそれで金を払った場合、模倣犯が続々と現れることを懸念、金は一銭たりとも払わないと突っぱねる。ゲティは元CIAのチェイス (マーク・ウォールバーグ) にこの一件を担当させ、願わくはびた一文使うことなく、無事ポールを奪回することを要求する。数少ない手がかりから山間の村にポールが拘束されていることをつかんだチェイスたちは誘拐犯のアジトを急襲するが、間一髪で間に合わず、黒焦げの死体が発見される‥‥ 


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