Ali

アリ  (2001年12月)

マイケル・マンの新作だというのに、なぜだか今回はあまり話題とならない。こないだ発表されたゴールデン・グローブ賞のノミネートでも、主演男優賞 (ウィル・スミス) とオリジナル・スコア部門にノミネートされているだけで、最も重要な作品賞や監督賞に引っかかってこない。それなのに、私がそれほど面白いと思わなかった「ロード・オブ・ザ・リング」が、作品賞でノミネートされている。


先日もベストセラー・リストを見ていたら、ベスト10のうち5冊がトールキンの「ザ・ロード・オブ・ザ・リングス (指輪物語)」関連で、3冊がロウリングの「ハリー・ポッター」、あとの2冊がジョン・グリシャムと、この3人でベスト10を全部占めているのを見た時には驚いた。だいたい、「ザ・ロード・オブ・ザ・リングス」なんて3部作じゃなかったのか。3冊しか本はないはずなのに、なんで5冊もベスト10入りしている? と思ったら、そのうちの一つは3冊をまとめた箱入りのセットで、もう一冊はいわゆるヴィジュアル版であった。つまり、とにかく売れてんのだ。


私の感覚から言うと、「ロード・オブ・ザ・リング」がこれほど話題になるのに「アリ」が話題にならない理由がよくわからない。「リング」は、まあ、SFファンや子供を中心に受けるだろうなとは思ったし、1年に映画を2、3本しか見ない人たちがたまたまこの映画を見て喜んでいるのもよくわかる。しかし、よく映画を見る、いわゆる映画通や映画批評家までもが結構誉めていたりするのを見ると、おいおい、ちょっと待て、と言いたくなる。なんでだ? 誉めてる理由だって、私にとってはまるで説得力ないのだ。


今現在、世界最大の映画ファン・サイトであるIMDBで「リング」が史上第1位の映画に選出されているのを見た時は、目が点になってしまった。25,000人以上もの映画ファンが投票して、その約7割が満点の10点をつけている。「リング」が「ゴッドファーザー」より、「市民ケーン」よりいい映画かあ? まあ、IMDBの投票って、一部のファンが勢い込んで投票するからまったく参考にはならないのだが、しかし、結局今度という今度は、私の映画に対する嗜好は少数派にしか過ぎないということを痛感したのであった。まあいい、マイノリティにはマイノリティの意地がある。私は今後も自分にとって面白くないものは面白くないと言い続けるぞ。


とまあ、「リング」がこんなに話題になるのに、私の意見ではそれより数倍も面白い「アリ」が見捨てられていることに対して愚痴っぽくなってしまった。 しかし、映画として話題になろうがなるまいが、モハメド・アリをアメリカ・スポーツ界史上最も偉大なアスリートと見る識者は多い。アトランタ五輪の聖火リレーで最後に登場して聖火を点灯するのにアリが現れた時、中継を見ていて、アナウンサーが「Oh, the greatest athlete ever...」と言っていたのが忘れられない。今回の冬季五輪でも、聖火リレーでアメリカに上陸した聖火を最初に手にしたのは、他でもないアリだった。要するに、アリのアメリカ・スポーツ界における地位というのは、揺らぎようがないのだ。


「アリ」は、そのアリが1964年にソニー・リストンを倒し、世界ヘビー級王座に就いてから、1974年にアフリカでジョージ・フォアマンを破った劇的な「ランブル・イン・ザ・ジャングル」までの、アリのプロ・ボクサーとしての頂点を極めた期間を描くドキュドラマである。アリを演じるのがウィル・スミス、だいぶ体重を増やしての熱演である。そのスミスの実際の妻であるジェイダ・ピンケット・スミスがアリの最初の妻ソンジを演じる他、コメディアンのジェイミー・フォックスがセコンドのドリュー・"バンディニ"・ブラウンを、ジョン・ヴォイトがABCのスポーツ・アナウンサー、ハワード・コゼルを、マリオ・ヴァン・ピーブルスがマルコムXを演じている。


しかし、そのスミスがどれだけ体重を増やして熱演しようとも、それでも彼がヘビー級のボクサーには見えないのが、この映画の最大の難点である。身長もアリほどないスミスが上半身をさらけ出してリングに上がると、せいぜいがミドル級か、ウェルター級程度のボクサーにしか見えない。私はボクサーとしてのアリは、ほとんど後期の、既に絶頂期を過ぎた時くらいしか知らないのだが、それでも、アリの恰幅はこんなもんではなかったというのははっきりと覚えている。これがアリと同時代を生きた人間だったら、もっと違和感を覚えるであろうというのは容易に推測できる。フック一発でサンドバッグをぎしぎし揺らすフォアマンを演じた役者とは、身体の作りがまったく違う。これではアリが世界最強の男にはまったく見えない。


また、既に伝説となっているアリの一生を、たかだか10年間とはいえ濃縮して描くのも無理があった。その間にアリとマルコムXとの結びつきやら、イスラム世界との絡みによる政治的な揉め事、徴兵拒否によるスキャンダル等、普通の人間の100年分くらいの波乱万丈の人生を生きただけでなく、3人も妻を取り換えるなど、どこにそんな時間があったのかその道にも手の早いところを見せる。これだけの話を3時間弱でまとめるのは、いくらなんでも無理があり過ぎた。この映画が一部のアクションやドラマティックなシーンでその辺の演出家が束になってかかっても太刀打ちできないほどのものを見せても、全体としてそれほど評価されていないのは、ひとえにこの、色んな要素を詰め込み過ぎて消化不良に陥ってしまった点が不評を買っているからだ。私が読んだこの映画の評のほとんどすべてで、本当のアリはこの映画に描かれているのよりももっとすごかった、というような類いのことを言っていた。多分、それがこの映画に対する最大公約数的な評価なのだろう。


それでもアクションを撮らしたら右に出るもののいないマンゆえ、ボクシング・シーンの迫力はこれまでに例がないほどで、「レイジング・ブル」だってここまで手に汗握る臨場感はなかったし、「ロッキー」がまるで子供のお遊びのように見える。マンの演出の特色として、アクションがその人間を語る、というのがある。たとえ被写体が動いていない場合でも、内面の葛藤を運動として感じさせるところがマンが演出する作品の特色となる。要するに、マンの作品は、ものすごく盛り上がったスポーツ中継を見ている時と同じような興奮がある。そのため今回のようにスポーツを題材にする映画なら、まさに得意中の得意、水を得た魚という感じが濃厚にするのだが、要するに今回は欲張りすぎたのかも知れない。でも、マンは確かに金を払った分のエキサイトメントは提供してくれる。彼はプロフェッショナルだ。それにはまると、とにかく定期的にマン作品を繰り返し見たくなるのだ。


スミスは熱演しているが、それよりも出番はあまりないくせに役柄の上で得をしているのが、スポーツ・キャスターのハワード・コゼルを演じるジョン・ヴォイトである。いったい、コゼルの顔を知っているものにとって、何をどうすればヴォイトにコゼルを演じさせるというような案が浮かぶのかまったくわけがわからないが、しかし、でき上がったものを見ると、これがよく似ているんでびっくりした。角度によってはまったく本人のように見える。しかも喋り方まで非常によく本人の特徴をとらえており、芸達者振りを遺憾なく発揮している。これが「パール・ハーバー」の大統領役の超くさい演技で見るものを鼻白ませたのと同じ人間なのか、まったく目を疑ってしまう。要するに、これも演出のマイケル・ベイとマイケル・マンの力量の違いと言ってしまえばそれまでなのだが。同じマイケルでも大きな違いだ。


いずれにしても、全体として一人の偉大な男の10年間を振り返るには、どうしても色んな点が端折られているという印象が強過ぎた。語られている本人がまだ生きていて、人々の記憶がまだ色褪せてなく、ああではなかった、こうでもなかったと自分の記憶に照らし合わせてあれこれ難癖つけるからなおさらだ。その上、話の展開がものすごく速く、どうしてもあちこち話が飛ぶ印象を免れない。ボクシング・シーンだけをとれば、間違いなく歴史に残るんだけどなあ。







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