Alexander   アレキサンダー  (2004年11月)

勇将として称えられた父 (ヴァル・キルマー) を持つアレキサンダー (コリン・ファレル) は、しかし幼い頃からその父と母 (アンジェリーナ・ジョリー) がいがみ合う様を目撃しながら育った。母は奸計によって父を亡き者にし、代わって最愛の息子アレキサンダーを王位に就けようと画策する。若くして王位に就いたアレキサンダーは、自分がその任を果たすに足ることを証明するため、あるいは父母の確執から逃れるため、世界を武力によって制定するという果てしのない旅に出る‥‥


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久し振りのオリヴァー・ストーンの新作。しかし、誉められてないよねえ。というよりも、積極的に貶されているといった印象が強い。でもストーンの作品って、本当に見るの久々だから、大作でもあることだし、ちょっとここは見ておくかと思って、女房にあんたも見る? と訊くと、ブロンドのコリン・ファレルなんて二流のサッカー選手にしか見えなくて、まったく見る気がしないと即座に却下される。ごもっとも。こちらが言葉に出さずとも内心不安に思っていることをこうも的確に言い表されると、思わず動揺するじゃないか。見ようとする決心がぐらつくようなことを言うのはやめてくれ。


しかもこの映画、上映時間が3時間である。げーっ、最近3時間の映画だと、コーヒー飲んでから見に行くと、もたないで途中でおしっこに立っちゃうんだよな。かといって朝コーヒーを飲まないで一日を始めるというのは考えられないのだが、映画は週末日中に見に行くことが日課になっているのだ。あー、もう、ストーンのバカ。とまあこの作品、こう不安材料ばかりでその上女性を見る気にさせないようじゃ、興行的にはまず成功しないだろうなあと思いながら見に行ったのだが、残念ながらその不安はどうやら的中してしまったようだ。


元々ストーンって、今さらと思うような題材ばかりをわざわざ選んで撮って、それを力技でねじ伏せることに快感を覚えているとしか思えないような作品ばかりなのだが、今回は一挙に題材が史前に飛んだ。今回はそれがブームに乗り損ねたということはなく、今年は「トロイ」や「キング・アーサー」もあったことだし、歴史大作という点では、むしろいつものストーンらしくもない受け狙いに走っているという気配すら感じさせる。どっちかっつうとそれは前作の「エニィ・ギブン・サンデー」からも感じられ、もちろんアメフトにまったく興味のない私は見てないけれども、今回も受けを狙っているような気配がぷんぷん漂ってくると、さすがに歳とったかストーン、なんて風に思いたくもなる。外野なんてどうでもいい、オレは撮りたいものだけを撮るなんていう以前の強引さをあんたから取り上げてしまうと、後にはなんにも残らないかもよ。


もちろん今回もそういった力技を見せる合戦の演出なんて、やはり大したものだと思うのだが、「グラディエイター」と「トロイ」を既に見てしまっている今、その迫力はだいぶ相殺されてしまっている。また、そういうシーンで観客の目を惹きつけておこうとした意図もわかるんだけれども、そればっかりを3時間もやられると、どんなに迫力ある合戦シーンでも飽きる。もちろんその辺はストーンだってわかっており、地形の違う場所での合戦や、インドでの象にまたがった相手との合戦など目先を変えているのだが、いかんせん成功しているとは言い難い。ポイントを絞った「グラディエイター」のリドリー・スコットや、奇策を弄した「トロイ」のヴォルフガング・ペーターゼンの方がうまいと言わざるを得ない。 


その証拠に、私はこのアクション大作で、途中で寝てしまった。言っとくが、私はここ10年来、週末日中に映画を見るシステムに移行して以来、だいたいちゃんと睡眠をとってから映画を見に行っているので、普通、映画を見ながらは、どんなに退屈と感じようとも、まず寝ない。その前にどうしても耐えられないなら劇場を出る方だ。「ロード・オブ・ザ・リングス」ですら寝なかった。それが寝ちゃったのは、後半でまだ面白いアクションが出てくるという確信があったから、今出たら損という計算が働いたせいもあるが、そう考えるより先に睡魔に襲われてしまったからなのだ。賭けてもいいが、これがまだ2時間の作品だと知っていたら頑張って起きてただろう。


第一、アレキサンダーを演じるファレルは、いつも目を見開いて何か叫んでいるか檄を飛ばしているか、とにかく感情を昂ぶらせてばかりで、人間、そればかりじゃ生きていられまいと思ってしまう。そのくせ合戦シーンじゃないと、そういうファレルのアップばかりがやたらと多い。ファレルが頑張っているのはよくわかるんだけれども、そういう一線を超えたファレルのアップばかり見せられても、なんというか、見ているこちらもつられて目を剥いてしまい、目がかわいて、目薬注したくなる。それに、そういうシーンばかりだから、逆にそれに慣れて退屈に感じてしまう。


たぶんこの映画、2時間強、せめて2時間半まで切ってくれたら、印象はがらりと変わったんじゃないかと思う。まあ、本人としてはぎりぎりまで詰めたつもりなのかもしれないが、それでも、何十年後にこの物語を口述するアンソニー・ホプキンスのシーンや、アレキサンダーの子供時代 (しかし、よくこれだけファレルそっくりの子役を探し出してきたものだ。その他の子役も、皆成長して誰が誰になったのかすぐわかる。こういう技術や俳優の層の厚さには舌を巻かされる)、合戦のいくつか、そして、アレキサンダーが本当はゲイだったという設定も、正直言って、それがなにかの効果を生んでいるようにはまったく見えなかった。そりゃあアレキサンダーが実はゲイだったなんて、妻となったロクサーヌ (ロザリオ・ドーソン) から見ればショックだろうが、よく考えるまでもなく、幼い頃から同性同士の環境で育てられ、一緒に生死の境をくぐり抜けてきた者同士にそういう感情が芽生えるのはまったく理不尽でもなんでもなく、そういうことははるか昔から世界中であったはずだ。むしろそれを意外なドラマとして描くなと言いたくなる。


また、合戦の度ごとに目張りを入れるような化粧を本当に全員毎回やったのか。生死を賭けた戦に出かける時に、そのような化粧をしたり飾り立てたりするのはわからないではないが、どうも現代的な化粧くさいのは解せないし、なんといってもそのせいで、ファレルが一層二流のスポーツ選手のように見えてしまうのはいかんともしがたい。ジャレッド・レトなんて樹なつみの「八雲立つ」に出てくる古代戦士そっくりだ。もっとも、「アレキサンダー」が意図的に史実にそれほど忠実ではないのかは最初から歴然としており、アレキサンダーのブロンドの髪やゲイ説や合戦化粧だけではなく、たまさか出てくる宴のシーンでのどう見てもヒップ・ホップの影響を受けたとしか思えないダンス、あるいは、どこから見ても黒人のドーソンを堂々とインド人として描いていたりと、そこかしこに見える細部の誇張や捏造は、しかし、それが結果として成功していないと言えるだけに、逆に痛々しい。


たぶんストーンは、自分自身が撮りたい作品を撮っても、批評家や観客はあまりそれを昔のように評価しなくなったのに、さりとて批評家/観客におもねったような作品を撮れば撮ったで、逆に無視されるというような悪循環に陥りつつあるように見える。要するに、ストーンは時期的に、今、何を撮ってもそれが失敗作になる運命になっているとしか言いようがない。こうなったらどうあがいてもダメで、できるだけ痛手の少ない失敗作を撮って次に繋げるというのが最も効果的な戦略だと思うのだが、しかし、言うのは簡単だが、現実に最初から失敗作を撮ろうと考えて作品を撮れる人間なぞこの世にはいまい。別に私はストーンが特に好きな監督というわけではないが、それでもこういう人の撮る作品も定期的に見たいと思っているので、「アレキサンダー」がストーンの監督としてのキャリアの息の根を止める作品になってしまわなかったかと、少々心配だ。せめてこんなに派手にではなく、もうちょっと小さい作品で失敗すればよかったのに。






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