Aimee & Jaguar

エイミー&ジャグア  (2000年8月)

数えてみたら、ハリウッド映画、インディ映画、外国映画全部合わせると、ニューヨーク地域で今週末公開される映画の数が14本もある。それはすごいが、困ったのがその中で見たい映画が1本もないということ。カースティン・ダンストがチア・リーダーになる「ブリング・イット・オン (Bring It On)」とか、ウェズリー・スナイプス主演のアクション(貶されている。日本人がヒロイン役で出ているようだ)「アート・オブ・ウォー (Art of War)」とか、老人ギャング映画「ザ・クルー (The Crew)」とか、単純に食指が動かない。こういう時は外国映画、それもできればヨーロッパ映画に限る。


というわけで選んだのがこの「エイミー&ジャグア」。前知識として知っているのは、これがレズビアニズムを扱ったドイツ映画で、主演の二人、マリア・シュレイダーとジュリアン(ドイツ語読みだからユリアンか)・コーラーが、昨年のベルリン映画祭で二人して銀熊賞(主演女優賞)を受賞したということくらい。監督はマックス・ファーバーバック。初耳です。実際作品を見るまでは、これが実話を基にしており、第二次世界大戦時下のベルリンを舞台としているということも知らなかった。別にアメリカに住んでいるとはいえ、ゲイ/レズビアン映画に特に入れ込んでいるわけでもない私がこの映画に惹かれた理由はただ一つ。数年前、自殺クラブに属する内気な主人公を演じた「愛され作戦 (Nobody Loves Me)」がニューヨークでも評判になったマリア・シュレイダーを、この目で見てみたいと思ったからである。


シュレイダーが演じるのは、ユダヤ人スパイという素性を隠してベルリンの新聞社に勤めるジャーナリスト、フェリツェ。レズビアンの彼女が、ある日、自分のパートナーが家政婦として働く家の女主人リリィを見初めてモーションをかける。ナチ軍人のリリィの夫は長い間家を開けていて、リリィは時に浮気もしているのだが、しかし本当はごく普通の家庭の主婦に過ぎなかった。それがフェリツェと知り合いになったことにより、リリィの中の何かが変わっていく。戦時下という非常時、ベルリンという頽廃の都市を舞台に、二人の心は燃え上がる‥‥


なるほど、シュレイダーは誉められるわけがわかる。ヨーロッパには演技のためなら何するのも厭わないというタイプの女優がいっぱいいるが、シュレイダーもそのタイプのようだ。私は彼女を見て、ふと「ジェラシー」のテレサ・ラッセルを思い出した。元々退廃的雰囲気を持っている上に、舞台が戦時下のベルリン、衣装がほとんど男装のパンツ姿と来れば、はまりまくりである(ポスターでは逆にドレスを着ている黒髪がシュレイダーである)。シュレイダーだけでなく、相手役のコーラーもよい。キム・ベイシンガーとアンディ・マクドウェルを足して割ったような顔で、普通の家庭の主婦が禁断の愛に目覚めていくという役どころを好演している。


私は少なくともゲイ映画よりはレズビアン映画の方に好感持つなあ。男同士が絡むのを見るのは、やっぱり‥‥あまり気持ちいいものには見えない。ごつごつした身体同士よりは、ふくよかな女性同士のベッド・シーンの方が綺麗だと思うんだが。これは私がやはり男性のストレートだからか。ゲイの目から見れば、あるいは女性の目から見れば、また違ったふうに見えるんだろう。いずれにしても、リリィが初めてフェリツェとベッドを共にするシーンなんて、リリィの動揺がうまく伝わって、よく撮れていると思った。


ヨーロッパヨーロッパした映画で、予想通り、それはよかったんですけどね、実は久し振りに外国映画を見ると、字幕を読むという行為に最初ついていけなくて結構戸惑った。スクリーンを見ていると、下の方で勝手に文字が流れていってしまう。かといってそれを読んでいると、画面が目に入らないのだ。一生に見る映画のほとんどが母国語の映画であるアメリカ人には、字幕というもの自体に慣れていなくて、スクリーンを見ながら文字を読むという行為にほとんど反射的に反発する者が多い。そういう人たちはこういう気分を味わっているのかと、初めて納得した。私も知らずしらずのうちにアメリカ映画に染まっていたようだ。しばらくするとカンというか、画面を見ながら文字も読む、というほとんどの日本人が意識もせずに用いている高等技術を使う術を思い出してスクリーンに集中することができたのだが、確かにこれは、小さい頃からこのやり方に慣れていなければ、非常に面倒な映画の見方であるという気がする。日本人って頭いいんだなあ。


ところで、タイトルとなっている「エイミー&ジャグア」だが、二人の間だけで通じる愛称ということになっているようだが、映画の中で二人がこの名前で呼び合うのなんて2、3回くらいしかない。事実、二人はそう呼び合っていたのかも知れないが、作品の中で使用されないならこの名前を用いる意味なんてまるでないように私には見えるのだけれど‥‥






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