オレゴンの片田舎の静かな町でレストランを営むトム・ストール (ヴィゴ・モーテンセン) の店に、強盗を目論む二人の男が現れる。逆にその男たちを撃ち殺したトムは町のヒーローになるが,そのトムの前に、さらに強面の本物のギャングであるフォーガティ (エド・ハリス) が現れる。フォーガティはトムが揉め事を起こして逃げた昔の仲間であるとしてトムの周りに張りつき,ストール家を動揺させる。トムの過去は捏造されたものだったのか,それとも本当に他人の空似に過ぎないのか‥‥


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デイヴィッド・クローネンバーグの新作は,同名グラフィック・ノヴェル、つまりマンガの映像化である。近年,「フロム・ヘル」「ロード・トゥ・パーディション」「リーグ・オブ・レジェンド (LXG)」、そして今年の「シン・シティ」等、いわゆるマーヴェルやDC等のスーパーヒーローものではない,厚手の、日本的な意味でのマンガに近い作品の映像化が、徐々に増えてきた。


しかもこうやってグラフィック・ノヴェル原作を並べてみると,一作だけオール・カラーでまだまだスーパーヒーローものっぽい色が抜けない「LXG」を除けば,そこに明らかにヴァイオレンスという共通項があることに気づく。エログロと言ってもいいかもしれない。元々スーパーヒーロー・コミックも、アクション、平たく言えば悪役をやっつけるヴァイオレンスが重要な構成要素であったわけだが,だからといって過度のヴァイオレンスや血しぶきが飛んだりしたわけではなかった。それが近年のグラフィック・ノヴェルでは、ヴァイオレンスはほとんどテーマと言っていいほど重要な要素となっている。「ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス」は、タイトルからしてヴァイオレンスを標榜しているわけだし。


クローネンバーグは,確かにヴァイオレンス描写も不得手ではないだろうが,やはり人が思い浮かべるクローネンバーグというと、生理的に気持ち悪い、ねとねと,エログロの世界ではなかろうか。確かに近年のグラフィック・ノヴェルはグロさも特徴の一つであり,その点を考えるならば、臓器やらなんやらのグロさを描かせると一級品のクローネンバーグは、当たらずとも遠からずという選択という気もしないではない。しかし、正直言って,これまでの作品にあまりにも癖のありすぎたクローネンバーグの印象が強すぎるので,実際に作品を見るまでは,多少の危惧があったことは事実である。


映画では冒頭,モーテルから出てくる二人の気だるい空気を感じさせるチンピラを長回しで撮ったショットから始まる。既にスクリーンは緊張感で満ち,作品がただ者ではない気配が充満している。しかもそれが最後まで途切れることがない。グロさも適度に絡めながら,家族ドラマも青春ドラマも絡めながら、常に背後にヴァイオレンスの気配を濃厚に漂わせながら、話は淡々と進む。ちょっと、この作品、ただごとではない。


主人公のトムは、アメリカの田舎町のどこにでもあるようなレストランのオーナーで、家族を愛するどこにでもいるような中年男だ。そこに二人組の強盗が押し入り,トムが逆に二人を撃ち殺したことで,トムはヴァイオレンスに屈しない勇気ある男として一躍町の名士となる。しかし、そのTV報道を見た、顔に傷のある、チンピラではない本物のギャング,フォーガティがトムの前に現れる。フォーガティはトムをジョーイと呼び,彼らは昔,フィラデルフィアで一緒に仕事をしていたというのだ。果たしてフォーガティの言うことは本当か,確かにトムは過去の話は妻のイーディ (マリア・ベロ) にはあまり語らなかった。しかし、だからといってフォーガティの言っていることが真実とは限らない。トムの本当の過去はいったい‥‥


という風にストーリーは進んで行くのだが,話がトムの過去を巡るミステリ的な展開を見せるヴァイオレンスの話かといえばただそれだけではなく、息子のジャック (アシュトン・ホームズ) にもかなり焦点が当たり、もちろんイーディの出番も多く,かなりの部分、家族ドラマ的な性格も強い。つまり、いきなりそれまでの平和な生活からヴァイオレンスという世界に引っ張り出されるのは主人公のトムだけでなく、その家族もとばっちりを食うのだ。


近年,こういう予期しないヴァイオレンスというのは、物語の世界の中だけの話ではなく,日常に身近に存在するものという認識が世界中で定着しつつある。天災もあればテロもあればストーカーもあれば,交通事故だっていつ自分の身に起こるかわかったものではない。そういう突然のヴァイオレンスに襲われたら,人はどう対処すればいいのか。日々ストレスに晒された普通の市井の人々に、反撃なんてものができるものなのか。それよりも何よりも,これまで信じていた夫であり父であるこの男の本当の素性はいったいなんなのか。


いやあ、最近,エンタテインメント映画で魅せる作品は数々あったが,最初から最後までこれだけの緊張感で描ききった作品というと,イーストウッドの「ミリオン・ダラー・ベイビー」以来と言っても過言ではあるまい。とにかく,最初から最後まで目が離せないのだ。クローネンバーグがこれだけの抑制された緊張感を演出できる監督だとは思ってもいなかった。もちろん所々,いかにもクローネンバーグらしいグロ描写は利いており,緊張感と相俟って,画面に湿った不安定でぬめぬめした嫌らしさというようなものが漂っているところはもろクローネンバーグなのだが,そういったクローネンバーグ的な面が,作品のテーマとシンクロして異様な効果を上げている。


作品がどれだけ緊張感を維持したまま展開していくかの証拠に、一緒に見てた私の女房は,見終わって席から立てなかった。見ている間,姿勢を変えることができず,ずっと無理な姿勢でスクリーンを凝視していたためちょっと腰に来てしまったからなのだが (歳だねえ)、少なくとも見ている間はそれが気にならないほどの緊張を見る者に強いていたことの証左である。



(注) 以下、ネタばれあり。


ちょっと感心したので、グラフィック・ノヴェルが映像化されるとよくやることだが、この作品も原作とはどのように異なるのかを調べに,書店に行って原作を立ち読みしてきた (この手の作品は10ドル以上するので、あまり買ってまで読もうという気になれない。) 原作と異なるのは,まず冒頭,原作ではチンピラの二人はヒッチハイカーのアヴェックを撃ち殺すのだが,映画では二人はモーテルのクラークを撃ち殺した直後ということになっている。気怠く,悪びれない二人が登場するクローネンバーグ演出の方が、より不気味であることは論を俟たない。


しかし、それよりもポイントとなる原作と映画での大きな違いはいくつかあって,一つが息子ジャック,もう一つがリッチー (ウィリアム・ハート) の人物造形である。ハリス演じるフォーガティは,原作ではトムの妻イーディに撃たれるのだが,映画では息子のジャックに撃たれて殺される。ジャックは学校でもいじめに遭いながら、いったん切れると相手を半殺しの目にあわせるなど、映画では原作よりもかなり描き込まれて人間に厚みが出ており、イーディも描き込まれていることと合わせ、話に家族ドラマの奥行きを与えている。


リッチーの方の人間像はさらに異なり,映画では裏切ったトムに制裁を与えようとするギャングの親玉として登場するのだが,原作ではトムと一緒になって他のギャングに楯突いて捕まり,リンチを受ける。トムは彼を助けるためにフィリーに帰るという筋書きだ。リッチーはほとんど四肢を切り落とされ,顔は二目と見られないほど痛めつけられる。ほとんど江戸川乱歩の「芋虫」か山上たつひこの「光る風」であり、実はこの辺のグロさこそ最もクローネンバーグに適しているのではと私は感じるのだが,映画はそういう展開にはならない。たぶんこれをクローネンバーグ演出で映像化してしまった場合,17歳以下入場禁止のNC-17レイティングは避けられないどころか、もしかしたら現代映画では前代未聞の上映禁止という検閲措置がとられたかもしれない。そうならないための便宜であったようにも思えるのだが。でも、クローネンバーグはそういう描写をしたかったんじゃないかと思うなあ。


さらに原作では、フォーガティが現れたためにこれ以上過去を隠しておくことはできないと悟ったトムは、家族に自らの過去を話して聞かせるのだが、映画では、トムの過去が見かけ通りじゃないことが誰の目にも明らかになっても、トムは自らそのことを口にすることはない。そのため、結局最後まで家族は、トムの過去が捏造されたものであることを知りはしても、見かけ上、家族ゲームを続けて行くことができる。なぜならばそれが嘘だったとはトムは一言も口にしていないからだ。多かれ少なかれ家族とはこういう無言の契約や損得の勘定によって成り立っているものだったりする。


モーテンセンは、切れると怖い男を静かに好演。いかにも強い男然とした「ロード・オブ・ザ・リングス」よりこちらの方がよほど恐ろしく見える。一見普通の男だが、ちょっとした拍子に内側にまったく別の人格が見えるというのが一番怖い。妻のイーディに扮するベロも、これまたどこにでもいそうな普通の家庭の主婦という役どころにはまっている。私の意見では、この二人は今年最初のアカデミー賞ものの演技なんだが、題材が題材なだけにアカデミー賞会員からは無視されるかもしれない。息子のジャックを演じるアシュトン・ホームズもいいできだ。


ハリスは今年,HBOのミニシリーズ「エンパイア・フォールズ (Empire Falls)」という番組に主演しており,実はそこではハリスがアメリカの地方の小さな町のレストランの経営者という,「ヴァイオレンス」でモーテンセンがやっているような役を演じていた。まったくモーテンセン演じるトムのような,当たりのいい中年親父を演じていたのだが,今度は自分がやっていたそのような人間に思い切り脅しをかけるギャングに扮しているのが,なんとなくおかしかった。しかし、どちらかというと、こちらの方がハリスには合っていると感じた。エミー賞で主演にノミネートされながら受賞できなかったのは、やはりこういう強面の方がハリスには向いていると皆思っているんだろう。


リッチーを演じる久しぶりに見るウィリアム・ハートは、全体的に肉がついた。それで目を剥いてトムに迫っているところはこちらも怖い。うちの女房は最初誰かわからず、やけにジョン・マッケンローに似ている奴だなと思っていたそうだ。この発言がいったいどちらにとってより不服なのかよくわからない。







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A History of Violence   ア・ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス  (2005年10月)

 
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