A Beautiful Mind

ビューティフル・マインド  (2002年1月)

信じられないことだが、先週ロバート・アルトマンの新作「ゴスフォード・パーク」を見に行ったら満席で、急遽同じくらいは見たかった「イン・ザ・ベッドルーム」の方を見に行くことになったのだが、今週また「ゴスフォード・パーク」に行ったら、やはり9割の入りで、最前列と前から2番目の席しか空いてない。スクリーンが結構近いこの劇場であんな席で見たら首が疲れる上に、スクリーンの上下左右なんてとても視界に入らない。それでやはりパス、どうせ結構長い間やるだろうからさ来週くらいに見るということにして、「ビューティフル・マインド」を見に行った。


若き天才数学者としてニュージャージーのプリンストンに学ぶジョン・ナッシュ (ラッセル・クロウ) は、その人を寄せつけないプライドと奇矯な振る舞いのためにほとんど友人がなく、寮で同室のチャールズ (ポール・バタニー) だけがほぼ唯一の友人と言える間柄だった。ナッシュは苦しみながらも新しい理論を発明し、何とか研究を続けながら食っていけるようになる。数学を教えるようになったナッシュの生徒の一人であるアリシア (ジェニファー・コネリー) はそういうナッシュに惹かれるものを感じ、二人はつき合い始め、結婚する。しかしナッシュがアリシアに黙っていたことは、ナッシュはその数学的才能を見込まれて秘密裏に軍の暗号解読の手助けをしていたことで、今、敵の魔の手がナッシュの近辺にまで伸びてきていた‥‥


本当はあまりこういうこと言っちゃいけないんだろうが、この映画の予告編の作り方は巧かった。天才数学者が時代の大きな流れの中に巻き込まれ、いつの間にか諜報戦の真っ只中に位置してしまう。深入りし過ぎたと思った時は既に遅く、彼のすぐそばにまで敵の手は伸びてきていた。引くに引かれず、一人ナッシュは敢然と敵に立ち向かう。とまあ、予告編はこういう印象を受けるようにできており、事実その印象通りに事は運ぶ。しかし、そのせいで私は実はこの映画をあまり見たいとは思っていなかった。


あれでしょ、結局、最後はクロウが「グラディエイター」よろしく八面六臂の活躍をして大団円を迎えるわけでしょ。なんか、そういうものを作らせたらまったくそつのないロン・ハワード演出だし、きっとある程度は面白く、それなりに感動的なできになってるんだろう。なんつーか、予告編を見て全部見たような気になる類いのやつだな、と、まあ、そのように思っていたわけだ。実はその思い込みはいい意味で裏切られるわけだが、しかしそれ以上言うとまだ見てないものの楽しみをスポイルすることになるので、これくらいにしておこう。私は筋をまったく知らなかったために逆に大いに楽しめたわけだし。


クロウ演じるジョン・ナッシュは実在の人物であり、実際に自身の「ゲーム理論」でノーベル経済学賞を受賞している本物の天才である。クロウは最近アクションが主体の強面的な印象が強いため、そういう役者が知的人間の代表みたいな人物を演じることに最初なんとなく違和感があったが、本人の写真を見ると、こちらの方がえらく鼻が高いという印象を受けたが、まったく似てないというわけでもない。特に「インサイダー」で見せたように、ちょっと歳とって脂ぎってきた役をやらせると、中年男のいやらしさをうまく出せるという点でクロウは抜群に巧い (映画では学生時代から老人までを演じている)。


その上今回、さらにもっと歳とった老人の役もそつなくこなせるということを発見した。アクション・スターのくせして老人役が巧いというまったく不思議な役者だ。クロウはこれでまた昨年に引き続き、ゴールデン・グローブ賞のみならずアカデミー賞にもノミネートされるだろうという気がする。あまりノミネートされ過ぎると、トム・ハンクスみたいに有り難みがなくなっちゃって本人もつまんないんじゃないかと思うのだが、今年は他に大した対抗馬もいないし、まず確実だろう。


その、クロウ演じるナッシュの生活が、なんとなく森博嗣の描くミステリに登場する天才肌の人間たちの描写と結構似てて、なんとなくおかしかった。森博嗣のミステリにはあまりグルメのような人間は登場せず、食事はあくまでも栄養補給であり、それに時間をかけるのは時間の無駄、シリアルと牛乳だけあれば生きていける、なんてことを言っていた登場人物がいたと思うのだが、この映画でもナッシュを筆頭に、飲食を忘れて数式に没頭する数学好きの人間たちが何人も登場する。彼らにとっては数字こそが無上の喜びなのだろう。結局ナッシュは精神分裂‥‥じゃない、統合失調症となってしまうのだが、食事もしないでたまに食うのといえばピザだとか、どう見ても栄養は偏っており、病気になっても不思議じゃない。


クロウ以外では、長年連れ添う妻を演じるジェニファー・コネリーが好演している。私はなんとなく彼女にはいつまでもインディ系のマイナーな映画で美貌を披露していてもらいたいと思っていたのだが、こういう風にハリウッド大作映画に準主演的な役で出演しちゃうと、今後脱がなくなっちゃうかも知れない。出し惜しみして「レクイエム・フォー・ドリーム」みたいなヌード・シーンをやらなくなっちゃうのは嫌だなあ。しかしアン・リーが演出する「超人ハルク」に出演が決まっているそうで、それは是非見てみたい。


その他にはペンタゴンで働くパーチャーにエド・ハリス、ただ一人の友人チャールズにポール・バタニー、ローゼン医師にクリストファー・プラマーが扮しており、それぞれ皆いい。プラマーは「インサイダー」に続いてのクロウとの共演。共演で思い出したが、ナッシュの学友の一人ソルに扮するアダム・ゴールドバーグは、一昨年、FOXで数回放送されただけでキャンセルされたプライムタイム・ソープの「ザ・ストリート (The Street)」に、コネリーと共に主演していた。


「ビューティフル・マインド」は事実を元にしたドキュドラマなのだが、もちろん100%事実というわけではなく、多少の脚色が施されている。その最大のものが、生涯をずっと連れ添ったように見えるナッシュとアリシアが、実は一度離婚して、その後40年近くも別居した後に再度結婚し直しているという点だろう (こういうのも再婚というのだろうか)。二人がずっと一緒にいたというふうにした方が何かと作劇上便利だし、純愛ドラマっぽく見えるという効果も狙ったんだろう。また、ナッシュはいわゆる両刀で男性関係もあったそうで、映画の中ではそういった点はすっぱりと切り捨てられている。まあ、その点まで描き込み始めたら作品のフォーカスが大いにぶれるだろうから、それも無視するのは当然といえば当然だったろう。


その他にも、とある女性を孕ませて捨てたり、暴力をふるったり、ユダヤ人差別をしたり、よい父親ではまったくなかったりと、統合失調症を含め、人間性という点では欠陥だらけの人物であるらしい。シルヴィア・ナサールの書いた原作では、そういうのをすべて認めた上で、学問に対する姿勢を指してビューティフル・マインドと呼ぶところにポイントがあるらしいのだが、2時間ちょいの映画では、ちょっと綺麗事過ぎた嫌いがあるのはしょうがないところか。


演出のロン・ハワードは、ハリウッドで最もヒット作品の打率が高い監督ではなかろうか。しかし、ハリウッドに最も貢献していると思われるその貢献度のわりには、それほど認められているというか、尊敬されているようには見えないという、スポットライトの当たることの少ない監督である。本人が好んでマスコミの表舞台からは身を引いているかといえばそうでもなく、結構深夜トーク番組やエンタテインメント情報番組等で目にする機会がある。それでも、なぜだかハワードって不思議と本人自体は話題とならない。禿げかかってはいてもいつまでも少年のように見え、ハリウッドの一流監督のようには見えないあの風貌のせいか。あるいはヒット作品を連発しても、そこに他のメイジャー監督のように、この人が撮ったと誰の目にもわかる刻印を残すことができないという作家性に乏しいからか。


しかしそれは、自分のテイストよりもよくできたストーリーの方を優先する、玄人のプロフェッショナルな監督だからと言うこともできる。多分、ハワードのストーリー・テリングはあまりにも完成していてスムーズであり過ぎるために、映画を見ている間、カメラの後ろ側にいる作り手のことに観客の意識がほとんど向かわないせいじゃないだろうか。その点「ビューティフル・マインド」は、ハワードがハリウッドの最上の部類の監督であると改めて認識させてくれるのに一役買っている。プロの職人としてのハワードの実力を再認識させてくれる作品が、「ビューティフル・マインド」だ。



追記:

「ビューティフル・マインド」は予想通りゴールデン・グローブの作品賞を受賞したが、そのせいもあってか、映画の中に登場する碁のシーンがいきなり注目を浴びている。映画の中ではクロウが学友と碁を対局し、結局打ち負かされてこのゲームは間違っているとか何とか負け惜しみを言うシーンがあるのだが、それを見た観客が、あのゲームはいったい何だと騒ぎだしたわけだ。非常に抽象的な能力を要求する碁は、既にアメリカでも一部の数学者や物理学者等の、特に数字を扱う知的人間たちの間では人気のあるゲームで、実際にプリンストンにも碁クラブがある。


それが映画に登場したせいで、いきなり碁のセットが飛ぶように売れ出したらしい。この話に言及したUSAトゥデイの記事で、「Goは覚えるのは簡単で、気軽に楽しめるが、極めるのは不可能なゲームである」と書いてあった。そうであったか。私は碁は打てないが「ヒカルの碁」は読んでいる。ついでに「月下の棋士」なんかも日本にいた時は読んでいた。こういう、日本やアジアで流行るものがアメリカでも流行るようになったのを見ると、世界は確実に小さくなっているなと思う。今、「ヒカルの碁」を翻訳してアメリカで売り出せば、結構売れると思うんだけど。







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