9


ナイン  (2009年9月)

ある時目が覚めたナイン (9) は、自分が何者かも知らず、ここがいつどこでどういう場所なのかも知らなかった。そこへ通りがかった2は自分たちは一人じゃないとして、9を他の仲間たちに紹介する。しかしこの世は仲間ばかりじゃなく、彼らを襲ってなき者にしようとする敵もまたいた。ここはどこなのか、なぜ我々は存在しているのか、9は答えを求めてやまないが、しかし長老格の1は単独行動や破壊的行動に出ることを強く戒めるのだった。1はいったい何を知っているのか‥‥


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今年公開されたアニメーションの「コラライン (Coraline)」は、面白そうだとは思っていたのだが、しかし封切りが年初で、アカデミー賞狙いの大作面白作が連続して公開される時期では、私の趣味としてはどうしてもアニメーションは後回しになってしまい、視聴は果たせなかった。むろんわざとその時期に持ってきて、軽いエンタテインメントを見たい人のためのカウンター・プログラミングだったのだろうが、私が見る機会を作れなかった。めったにない、見たいと思わせるアニメーション作品だったのだが。

 

「コラライン」に次いでフォーカス・フィーチャーズが提供する2番目のフィーチャー・アニメーションとなる「9 (ナイン)」は、今度は人間が一人しか出てこない。というか、その人間もやがては死んでしまう。人類が滅亡した後の、命を吹き込まれた元無生物の活躍を描くドラマだ。アニメーションなのに、子供向けではないPG-13指定作品で、成人同伴じゃないと子供は見れない。むろん、だからこそ私みたいな人間にはアピールする。

 

「9」はシェイン・アッカーによる、2005年のアカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされた同名タイトルの長編劇場版だ。オリジナルに惚れ込んだティム・バートンらの後押しによって、このたびフィーチャー版が製作された。オリジナルはたった11分の、ほとんどセリフなしの無声映画のような実験的作品だったようだ。


アカデミー賞授賞式中継は毎年見ているので、そこで紹介されたはずの「9」も一部とはいえ絶対目にしているはずだが、残念ながら記憶にない。近年はわりと高い確率でアカデミー賞にノミネートされるくらいのアニメーションはサンダンス・チャンネルが放送しており、その手の特集にも結構目を通しているのだが、そこでも見た記憶がない。だから今回、劇場でかかっていた予告編が私自身にとっては実質上初めて見た「9」ということになる。

 

近年私が見たアニメーションというと、ピクサーの「ウォーリー (WALL・E)」で、これはほとんど人間が地球上からいなくなった後の世界を描く作品だった。実は「9」も基本的に似たような設定であり、人類は死に絶えている。こういう作品が続くということは、私自身の嗜好ももちろんあるのだが、末世思想みたいなものがアニメーションでも根を張りつつあるのかもしれない。こういう作品が作られるからこそ私も気になるのだ。

 

「ウォーリー」は私は手塚治虫の「火の鳥」との相似を強く意識しながら見たのだが、実は今回も日本のマンガを強く想起させた。今回私が思い出したのは、石森章太郎の「サイボーグ009」だ。主人公が9人の世界を守る戦士なんてのは、もう私くらいの世代の人間だったら、「009」を連想しないことの方が少ないだろう。その9番目が実質的主人公であり、1番目は知恵を象徴する長老格というのも同じ。ただし「009」では、001は現実には長老というのではなく、知恵のある赤ん坊だったが。それらの中に一人、女性格が存在するのも同じ。ただしこれは番号設定が異なり、「9」の女性格は7だが、「009」では003がフランソワという女性だった。


それになんといっても、「9」も「009」も、基本的にこれらの戦士は科学者が最後の頼みにと作り出した人工的な主人公だ。「009」では彼らはサイボーグであり、「9」の場合、単に衣装をつぎはぎして製作したてるてる坊主もどきの人形でしかない。それぞれ頭陀袋みたいな素材でできており、9はジッパーで縫い目が留められているが、他の者はそれぞれボタンだったりリボンだったりただ縫い合わされてたりする。


一方、9たちはとある科学者が生み出した者たちであるということはある程度説明されるのだが、彼らが存在する根本的な理由というのは後半まで伏せられている。9はなぜ自分が存在しているのか知らない。要するに作品は彼ら、特に9のアイデンティティ探しと、そこに至るまでの冒険という部分で引っ張る。てるてる坊主の自分探しの道行きが実は作品の主題なのだ。


既に上で何度も言っているが、「9」たちの造型という点では、日本人ならかなりの部分てるてる坊主を連想すると思う。まあるい頭や布でできた身体、どう見ても身長20cmくらいという大きさが、ますますてるてる坊主を連想させる。彼らが逆さになってどこかに吊るされるというシーンがないのが、何かの間違いだという気がするくらいだ。 彼らが全員マントを着用しているわけではないのが惜しい。


「9」は基本的に主人公たちの自分探しの物語だ。かれらは一応一人の人間の科学者によって生み出されたわけだが、基本的に人類は滅亡している。彼らは敵を倒してもその後どうなるかはわからない。物語自体に一応の起承転結やエンディングは用意されており、この物語が閉じた後に次の物語が始まる可能性もちゃんと予感させてはくれるのだが、それでも明るい未来が待っているとはあまり思えないのはペシミスティックに過ぎるか。


因みに声を吹き替えているのは、9がイーライジャ・ウッドで、1をクリストファー・プラマーが担当している。このプラマーのうさんくささのようなものがまた1によくはまっている。紅一点の7を吹き替えているのがジェニファー・コネリー。たぶん7が戦いに挑む時のコスチュームは、「もののけ姫」あたりに多くを負っているのではないか。その他マーティン・ランドー、ジョン・C・ライリー、クリスピン・グローヴァーといった面々が担当している。


それにしても「ウォーリー」、「9」といったアニメーション作品に留まらず、最近の封切り作品は、本当に人類滅亡が主題だったり、世界が荒廃しているという設定が多い。SF作品では人類存続の危機や滅亡後の世界なんてのはほとんどお約束だが、それでも多すぎるという気がする。「ディストリクト9 (District 9)」「ターミネイター4 (Trerminator Salvation)」「ブラインドネス (Blindness)」「ドゥームズデイ (Doomsday)」等、昨年来私が見たのだけでも何本もそういうテーマを扱っている。SF/ホラー・ファンならさらに何本もすぐに挙げられるだろう。最近のホラーでヴァンパイアものが流行しているのは、そういう風潮と無縁ではあるまい。新人類あるいは不死、新たなる世代への脱皮が希求されているのだ。


TVでもずばり人類ほぼ滅亡後を想定したサヴァイヴァル・リアリティ・ショウ「ザ・コロニー (The Colony)」なんてのが現れたし、それ以外でも実際に参加者やホストを山奥とかに置き去りにするというサヴァイアル・リアリティが増えている。ヒストリー・チャンネルはノストラダムスの2012年の世界滅亡の予言関係の番組を、本当にこれでもかというくらい手を変え品を変え製作放送している。もちろんハリウッド版「2012」公開ももうすぐだ。


1999年にも確かそういうノストラダムスの世界滅亡予言関係の話や番組で賑わったという記憶があるが、今回はその比ではない。本当に多くの人々が人類の存続に危機感を持っているというのがその根底にありそうだ。9/11以来、ウイルスやらインフルエンザやら地震雷異常気象天変地異が、実際に増えたのは事実なのだ。「9」のような救世主が、人類が滅亡した後にではなく、その前に必要とされている。しかし、なんでそれが人類ではなくてるてる坊主もどきなんだ。

 

ところで「9」はアニメーションであるために、本編上映前の予告編でいやというほど近々上映予定のアニメーション作品の予告編を見せられた。アニメーションはディズニーの専売でなくなって既に久しいが、その中に「鉄腕アトム」こと「アストロ・ボーイ (Astro Boy)」があった。初めて予告編を見たのだが、実は私はどういう理由でか、次の「アストロ・ボーイ」は実写で製作されるものだとばかり思い込んでいた。ハリウッドが実写でアストロ・ボーイを製作したらどうなるか。それこそ「スピード・レーサー (Speed Racer)」より期待大だったのだが、やっぱりアニメーションだったか。うーん、ちょっと残念。

 







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