2001年9月11日

このページは私がアメリカで見たTVや映画、PGAゴルフのことだけを書くために作ったページであるので、日記や身辺雑記のようなものを書く気はまったくなかった。そんなものを書くつもりはなくても、どうしてもちょこちょこと出てくるし、これ以上自分のことを書いてもなと思っていたのだ。しかし、本日、2001年9月11日のニューヨークは、TVでなく、映画でなく、ゴルフでもないことを書いておくだけの意味があるだろうと思ったので、考えを改めた。

今朝、私はいつものごとく8時過ぎのサブウェイに乗り、いつものようにマンハッタンのオフィスに出勤した。途中気分の悪くなった乗客が出たとかで、わりと長い間一つの駅とかに止まっていたりしていたので、まずいな、もしかしたら遅刻するかもしれないと思っていたが、なんとかぎりぎりに間に合うような時間で23丁目の駅に到着した。

地上に出ると、何だかいきなり人だかりができており、皆が同じ方向を見上げている。なんだなんだと思って私も人々が見る方向を見上げてみると、なんと、世界貿易センタービル (World Trade Center Building: WTC) からもうもうと煙が出ている。WTCはマンハッタン島の南端に立っているので、私のオフィスのある21丁目からは直線距離で2.5kmくらい離れているが、100階建て以上のWTCは、とてもよく見える。すげえ、火事か、「タワーリング・インフェルノ」みたいだ、とは思ったが、ニューヨークに何年も住んでいると、多少のことでは驚かなくなる。一瞬すげえな、とは思ったが、すぐ鎮火するだろうと思って、とにかく今は遅刻しないでオフィスに着くのが先決だと、デリでアイス・ティとチーズ・デニッシュを買ってオフィスに足を向けた。

うちのオフィスはビルの6階にあるのだが、オフィスからは目の前のビルが邪魔になってWTCは見えない。しかし人が少ないので朝はたいてい私一人がオフィスにいるだけなので、TVをつけっぱなしにしていた。そしたら、既にTV局のヘリコプタがWTCの周りを飛んで映像を見せており、単なる事故や火事ではなく、ハイジャックされた飛行機が突っ込んだと言っている。え、何、これって、テロリズム? ニューヨークの象徴の一つであるWTCに、乗客を乗せた旅客機が突っ込んだ? 本当かよ、とTVの解説に耳をそばだてる。そのうちにWTCの南ビルにもう一機旅客機が突っ込むところは、ヘリコプタのカメラがしっかりととらえており、これって、なんだなんだ、こんなことが本当に起こっていいわけ? と、もうTVが気になって仕事にならない。

そのうちにアメリカの他の地域でもハイジャックが同時多発しているというニュースが入り、ペンタゴンにも旅客機が突っ込み、ペンシルヴァニアでハイジャックが起き、そしてWTCの南ビルが崩れ落ちる瞬間が画面に映ると、居ても立ってもいられなくなって、この目で見なくてはと、また外に飛び出した。そしたら本当に、さっきまで視界に見えていたWTCが跡形もなく消えてなくなり、代わりに、もうもうたる煙だけが立ち上っている。オフィスに駆け戻ってしばらくすると、今度は北ビルも崩れ落ちるシーンが画面に映し出される。夢じゃないんだ、映画でもないんだという実感が徐々にわいてくる。

それでも、ここが勤勉な日本人らしいといえば日本人らしいのだが、ほとんど身が入らなかったとはいえ、それから昼過ぎまでは机に向かって仕事してたんですねえ。その時までにバイトの子やボスもオフィスに来ていたのだが、気が他のところに向かっているので、腹が減ったことにも気づかず、ランチをとることすら忘れていた。そしたらオフィス・ビルの管理会社からの使いというやつが現れて、退去勧告をする。同じ階の他のオフィスを覗いてみると、さすがアメリカの会社で、退去勧告などなしに皆既に帰った後だった。

それでうちらも帰ろうということになったのだが、今度はサブウェイが動いているかどうかがわからない。私が使用するFラインはWTCをかすめて北上してくるラインだし、Eラインに至ってはWTCが終点で、走っているとは到底思えない。私の住むクイーンズに帰るにはイースト・リヴァーを渡らなければならないのだが、サブウェイが走っていなければ、バスかイエロー・キャブをつかまえるか、クイーンズボロ・ブリッジを歩いて渡るしかない。しかしキャブがつかまる可能性があるとは到底思えないし、バスだって走っていればメチャ混みだろう。歩けば‥‥5、6時間くらいあれば帰れるか? しかしそれだって橋を封鎖していなければの話で、TVではマンハッタンに繋がるすべてのブリッジとトンネルは現在封鎖されていると何度も伝えている。

そのうちに私のオフィスより北の45丁目で働いている女房から電話があり、そこのオフィスも全員帰るということになったらしく、女房は近くに住む彼女の同僚と一緒に一足先に帰るという。近くのロックフェラー・センターの駅をチェックしてきたら、サブウェイは間引きながらも運転しているらしい。ここはこれ以上事態が悪化する前に、私も帰った方がいいだろう。

それでかばんをかついで外に出てみると、いつの間にやらすっかり車の交通量が減り、いつもならクラクションを鳴らす車で押し合いへし合いしている6番街が、警察や消防、救急関係の車両以外ほとんど車の通行がない。それだけでなく、歩道でなく車道を歩いているのは南から歩いてきた人々で、それが一斉に黙々と北を目指して歩いている。これがこんな非常事態でなかったら、AIDSウォークかパレードかなんかと見間違いそうだが、一つ違うのは、頭や肩に真っ白いほこりやごみのようなものが積もっている人々が多いことで、そういう人々が一様に黙々と同じ方向に歩いて行く様は、一種異様な光景だった。

駅では間引きながら運転しているというアナウンスがあり、走っていることがわかったのまではいいのだが、家路を目指す人でホームから人が溢れんばかりになっている。結局、15分くらい待って、何年ぶりかくらいに、朝のラッシュ時の山手線並みに混んでいるサブウェイに揺られて帰ったのだが、着く駅着く駅で乗るやつ降りるやつで押し合いへし合いし、その度に長い時間がかかる。そういう満員電車にも頭や肩に白いものを被ったやつが乗っており、すすやほこりで白かったり黒かったりする顔に涙が一筋跡を引いていたり、身体が小刻みにぷるぷると震えていたりして、それを友人だか配偶者だか、それともただ隣り合った人だかが慰めていたりする。他の者たちも色々と声高に話し合っており、とにかくざわざわと落ち着かない。

サブウェイの中で、もしこれ以上事態が悪化した場合のことを考えた。アメリカ防衛の要、ペンタゴンですら簡単に攻撃の対象になるくらいである。もしマンハッタンにミサイルが撃ち込まれても、それを防げるとは思えなくなってきた。うちに非常食はあったっけ? パスタはどのくらい残っていたか。ああ、でも乾麺があってもガスや水道が止まれば意味ないな。もしニューヨークを脱出しなければならなくなったとしたら、車にガスはどのくらい残っていたか。確かまだタンクに3分の2くらいはあるはず。それだけあればもしガス・スタンドが営業していなくても隣りの州くらいにはたどり着けるだろう。

しかし私の住むところはロング・アイランドのクイーンズで、どこの州に行くにも橋を渡っていかなければならない。内陸方面のニュージャージーに行くにはマンハッタンを経由する方が近いが、もちろんそれは論外である。大きく南回りに迂回して、スタテン・アイランドを経由するという方法もあるが、橋を2度も渡らなければならず、現実的ではない。とすれば北のコネティカットということになるが、そちらにしてもホワイトストーン・ブリッジかスロッグス・ネック・ブリッジを渡らなければならない。この二つはいつ渡っても混んでおり、ロング・アイランドに住む全員がここを通って避難するとすれば、橋を渡るのに何時間かかるか、見当すらつかない。いっそロング・アイランドの東の突端まで逃げるか? と妄想はますます膨らむのであった。

普段なら30分くらいで帰り着くところを1時間以上もかけて家に帰った後も、TVに齧りついて状況の進展を見守る時間が続いた。何時間も根を詰めてTVを見続けたので、夜の10時くらいには目や頭がぎんぎんしてきて、普段はあまり経験しない頭痛がし、目も疲れてしょぼしょぼしてきた。今、丁度日付けが変わったところだが、今日は早めに寝ることにしよう。明日はオフィスに行けるかどうか、起きてニュースを見てみないとわからない。


9月12日 (水)

結局今日は自宅待機となり、午前中いっぱいずっとTVを見て過ごす。また頭が痛くなってきたので、散歩と買い物ついでに外に出る。店は閉まっているかと思ったが、意外とほとんどの店は開いている。かと思えばダンキン・ドーナツのような、いつ行っても開いているような店が「国家的悲劇」のため閉まっていたりする。平日真っ昼間だというのにスーパーや大型デリ、グローサリー・ストアは大きな買い物をする長蛇の列ができており、皆、少しでも備蓄をしておこうとしているようだ。最も意外だったのが映画館も平常通り営業していることで、ジュリアーニ市長も市民にできるだけ平常通りの生活をするように呼びかけていたが、要するにそういうことなんだろう。いきなり普通と違うことをして生活のリズムを崩したり、変なことを考えたりして精神のバランスを崩すのが怖いということだ。いきなりTVばかり見て頭ががんがんしている私を見ればわかる。しかし、それでも午後からまたTVに釘づけになってしまった。


9月13日 (木)

オフィスで仕事を再開。交通機関は現場付近を除き、ほとんど平常に戻っている。やり残した仕事が溜まっているので、目が回るほど忙しい。夜遅くまで忙殺される。家に帰ってきたらくたくただが、それでもやはりTVをつけて事態の進展に目が離せない。遺体が徐々に運び出され、痛々しい。何よりも可哀想なのが、WTCで働いている家族が行方不明の人たちで、気持ちはいかばかりなものか。深夜1時過ぎ、ベッドに入ろうとしたらいきなり雷鳴が轟き、夜空が明るくなる。雷と共に雨が降り出したのだが、一瞬、ついに爆撃が始まり、ミサイルでも撃ち込まれたのかと思った。やはり神経過敏になっているようだ。この雨では復旧作業もはかどらないだろう。しかし、作業で最もネックだった、目を刺し、呼吸困難を起こす煙やほこりは沈静化するはずだ。


9月14日 (金)

起きたら、まだ雨が降り続いている。これでは復旧作業の邪魔にしかなるまい。急に冷え込んで、街行く人もレインコートやセーターに身を包んでいる。うちのオフィスはDSLを使っているのだが、その大元の回線を提供している電話会社のヴェライゾンの回線に問題が起きて、現在オフィスではインターネットもE-メイルも使えない。ヴェライゾンの技術センターはWTCのすぐ近くにあり、影響を被ってしまったのだ。現場付近は依然封鎖されているため、技術者が修理に出向こうにもヴェライゾンのオフィス・ビルにはまったく近づけない。おかげで溜まっているはずのメイルもピックアップできず、すべて電話とファックスだけで対応している。きっとメイルを出しているのに返事が来ないので心配している人たちもいるだろう。とにかくこれだけの惨事だと、どんなところで影響を被るかわからない。街角では、小さな2ドル程度の星条旗が飛ぶように売れている。惨事が起きても負けまいとするスピリットは買うが、やたらと報復を叫ぶ国粋主義者が目立つのも怖い気がする。


9月15日 (土)

週末に入ったおかげで人々に時間ができ、知人からどんどん新しい話が入ってくる。私の知人の一人はウォール街で働いているが、その日はたまたま娘のプレ・スクール入学の話を聞くために時差出勤して惨事を免れたが、オフィスは灰燼に帰してしまったとか、うちの従兄はマンハッタンからクイーンズまで橋を渡って何時間も歩いて家まで帰ったとか、私のアパートの向かいに住む女性は、その日に新しい仕事の面接でWTCでアポイントメントが入っていたが、何も知らずに現地に着いたら人が右往左往していてそれどころではなく、ただ命からがら逃げ帰ったとか、マンハッタンの南のスタテン・アイランドからフェリーで通勤している知人の知人の話では、フェリーが港に入る寸前にWTCが崩れ落ちたので、驚いた乗客が何人も海に飛び込んで泳いで逃げていたとか、現場近くで働いている人で、火から逃れようとして頭上100階から落ちてきた人を何人も目撃した人の話だとかが、TVではなくて本人の話で伝わってくると、また違った重みがある。

うちの女房は日系の旅行代理店に勤めているのだが、火曜日に帰日予定だった旅行客は空港に行ったきり身動きが取れなくなってしまい、しかも客のほとんどは英語を解さない日本からの旅行客であるため女房の会社に電話してくるので、応対に大わらわだったと言っていた。それでも、こんな時に何を血迷ったか、来週ナイアガラ旅行に行きたいんですけど、とか、ハワイ行きの便のアップグレイドをお願いします、とか、日本にマツタケを送りたいんですけど (彼女の会社はギフトも扱っている)、とかいって電話をかけてくるたわけ者がいたそうだ。まともに飛行機なんか飛んでないんだよ、今。何考えてんだ。だいたいが世間からずれている駐在の奥さん連中らしいんだが、思わずむっとして、今そんな場合じゃありませんと言って電話を切ってしまう同僚もいたらしい。我々も実は来週からパリ、ロンドンに一週間のヴァケーションを予定していたのだが、多分キャンセルするということになりそうだ。飛行機がまともに飛ぶかもわからないし、旅行中に戦争が起こって再入国できないという事態になるのも怖いし、しょうがないだろう。


9月16日 (日)

ついに怖れていた火事場泥棒が出現し始めた。警官のジャケットや救援物資を盗もうとして逮捕されたり、立入禁止の場所に侵入して逮捕された者の話が報道されている。しかし、裏を見れば、たかだかそれくらいの話でこんなに大きく報道されるのは、そういう者が今後多数出現することを見越しての牽制という意味も大きいだろう。それよりも罪が大きいと思うのは、こういうごたごたに乗じて、学校や政府機関に爆弾をしかけたとのいたずら電話をする輩が跡を絶たないことだ。こういう時機に、なぜこういうことをする気になるのかまったくわからないが、そういう電話が既に100本以上警察にかかっているそうだ。

さらに、それよりも許せんと思うのが、被害者の家族は行方不明となった家族の捜索に必死になっており、TVの取材に泣きながら家族の消息を知っている者はここに電話してくれと言って電話番号を述べるのだが、そこへあんたの家族はどこそこの病院に収容されているといって、まったくでたらめの電話をかけてくるふらち者がいるということだ。電話を受けた家族は喜び勇んでその病院に駆けつけるのだが、そこでそういう患者が収容された事実などないことを知る。地獄から天国の気分を味わった後、また地獄に突き落とされるわけで、こういう、人の心をもてあそぶことができる人間の神経というものをまったく疑ってしまう。

罪のない人間の命を多数奪ったテロリストの罪も大きいと思うが、私に言わせてもらえれば、こういういたずらは、テロリストよりさらに性質が悪い。少なくともテロリストは自分の命を賭けて信じることのために殉じていた。それなのに自分は安全なところにいて、人の心をもてあそんでそれを遠くから見て喜んでいるような輩は、そういう奴等こそ一か所に集めてミサイルでも撃ち込んでやれと思う。おかげでTVは行方不明の家族を心配する人々に、電話番号を言わせなくなった。


9月17日 (月)

仕事の帰りがけに、オフィスから徒歩で行ける14丁目のユニオン・スクエア・パークに寄ってみた。現在、マンハッタンでは、行方不明の家族の消息を尋ねるビラがありとあらゆるころにべたべたと貼られている。その中でも特に場所があり、人の集まる公園では、そういうビラが大量に貼られているだけでなく、夜になると、人々が蝋燭に灯を点し、行方不明者の安否を気づかい、お互いに悲しみを共有し慰め合う、キャンドル・ヴィジルが夜な夜な行われている。私もそれに参加してみようかなと思ったのだ。

既に事件からほぼ一週間が過ぎ、当初のショックと、それに続く怒りから、悲しみと諦めといった気分が人々の間を被い始めた。いまだに5,000人あまりの行方不明者がいるのに、木曜以来、生き埋めになった人たちが無事救出されたという知らせは一件もない。あれだけの瓦礫の山では、救出作業も困難を極めるのだ。事故の大きさを物語るように、たまさかちぎれた人体の一部が発見されるらしいが、それでは身元の確認すらままならない。その上、たとえまだ生きていた人たちがいようとも、水も食料もなしでは、そろそろ限界だろう。人々も口に出さないとはいえ、そのことをはっきりと知覚している。

だから、キャンドル・ヴィジルも、そういう人々の気分を反映した、事故に遭った人たちの安否を気づかう、というよりも、残された人々の悲しみを癒す、という雰囲気に移行し始めている。芝生の上に車座になって静かにギターを弾いて歌を口ずさんだり、穏やかに談笑したりするグループが非常に多い。それと共に気づくのが、行方不明者のビラに混じって「戦争でなく愛を!」といった感じのビラが目立つことで、私は経験はないが、これってウッドストックじゃないかという感じがした。実際、よく見渡すと、着飾ったニューヨーカーというよりは、着崩したヒッピー的様相の人間が多い。

それにしても行方不明者のビラを見ていて気づくのが、だいたいがそういう写真というものは、どこぞへ旅行に行った時とか、家族のパーティだとか、はたまた結婚式の時の写真とかになることである。普通、人々がわざわざ写真を撮るのはそういう機会しかないので、どうしてもそういう写真ばかりが並んでしまう。結婚式で純白のドレスに身を包んだ花嫁や、タキシードを着た花婿、孫に囲まれた嬉しそうなおじいさん、といった人々がすべて犠牲となっているのかと思うと、段々気持ちが沈んでくる。

いずれにしても、人々は最初のショック症状を過ぎ、今は状況を把握し、現実を見極め、毎日を生きていかなければならないという癒しの段階に入っている。事件以来の私の身辺雑記もここまでにして、私も普段の生活に戻ることにしよう。


9月29日 (土)

事件から2週間以上経ち、見かけ上は人々の生活も普段の生活に戻っている。とはいってもダウンタウンに住んでいた人たちはまだそれどころではなく、いまだに自分のアパートに戻るのにすら何か所も検問を抜け、その度にIDを提示させられるという不具合な生活を強いられ、ところによってはまだ電話回線も復旧していない。それでもまだ自分のアパートが無事だった者たちはいい方で、地盤が危険だということで、依然としてシェルター生活を余儀なくさせられたり、親族の家に避難したまま帰れる見込みがまったく立たないという人たちも大勢いる。

事件直後は閉鎖され、立入禁止だった区域も少しは緩和されたということで、いったいツイン・タワーはどういう現状になっているのかこの目で見てみたいと思って、サブウェイに乗って現場に行ってみた。車の方が楽なのだが、歩行者はともかく車はまだ通行禁止になっていて、近くには近づけない。それにマンハッタンに入る橋は検問が厳しくなっており、時間帯によっては橋を渡るだけで3時間かかるという言語道断の話になっており、車に乗って現場近くに行くというのは論外である。

それでサブウェイを使ったわけだが、ほとんどの交通機関は復旧しているとはいえ、ダウンタウンではやはりそういうわけにはいかない。マンハッタンを南下していて、そろそろダウンタウンかな、と思ったら、いきなり私たちの乗っているサブウェイが地上に出て、マンハッタン・ブリッジを渡ってブルックリンに行き始めたのにはびっくりした。毎日このラインに乗っている者にとってはもう当然のことだからわざわざアナウンスもなかったのだろうが、こっちはラインが変更になっていることなんてまったく知らない。それで結局いったんブルックリンまで行って、また戻ってくるということにならざるを得なかったわけだが、マンハッタン・ブリッジを渡る時は地上に出るため、そこから見えるはずのツイン・タワーが見えない、ということですでにどきどきする。

やっとのことで現場近くに降りて地上に出ると、いきなりバリケードで警官が至る所に立っている。そしてその後ろに、ツイン・タワーの残骸が‥‥何というか、この目で見ると、あまりの生々しさに圧倒される。土曜日の昼間、本当なら観光客相手に開いているはずの店も多いはずなのに、ほとんどの店はクローズしたままで、しかも埃にまみれてたり、ショウ・ウィンドウが割れたまま放置されてたりする。TVでは現場ばかりしか映してくれないから、周りの状況はよくわからないが、その場に立つと、視界に入るすべてのビルが、何らかの影響を受けていることがよくわかる。40階建てくらいの近くのビルの、端っこの方の窓ガラスが割れたまま忘れ去られたようになっているのって、逆に生々しさを強調する。

それにこの埃。現場ではまだ復旧作業が続いているから埃が立つのはしょうがないのだが、裏通りに入ってもいまだに洗い流されてない事件当時の埃が至る所に積もっている。その上まだ舞っている埃もあるものだから、数分と経たないうちに咽喉が痛くなってきた。マスクもしないでずっと立っている警官たちは平気なのだろうか。変な意味で観光名所となってしまい、ヴィデオやカメラを手にした者たちも多く、それに対して、止まるな、動け、と促す警官たちもうんざりだろう。また、そういう者たちを相手に、自転車でこぐ三輪車を調達してきて、後ろに乗せ、その辺を走り回るという商売を始めた者たちの商売根性もすごい。

復旧作業は、進んではいるが、信じられないような規模の残骸である上に、遺体回収作業という細心の注意を要する作業もあるため、ブルドーザーでなんでもかんでも均すというような荒っぽいやり方をとることができず、非常に遅々たるものである。発表ではこの作業はどんなに早く見積もってもあと半年は続くと見られている。近くの商店街は、既にもう商売を諦めたところも多く、早々と商品を引き上げて「貸し店舗」の掲示を掲げているところも多い。

帰りはチャイナ・タウンまで歩いたのだが、通常ならあまりに人が多すぎて歩くのすらままならないチャイナ・タウンですら、普段の活気はない。いつもはまっすぐ歩けないのでいらいらして精神衛生上よくないため、余程のことでもない限り滅多に来ない場所なのだが、こうなってしまうとやはりなんとなく寂しい。現場近辺にいたのは正味たったの15分程度だったのだが、充分被害の甚大さを実感できた。これからが本当の意味での復旧の正念場となるだろう。残された者たちは皆で力を合わせて将来のために協力しあわねばなるまい。


10月31日 (水)

今年のニューヨーク名物の一つであるハロウィーン・パレードは、時機が時機でもあるし、まさかやるまいと思っていたら、ちゃんと開催になった。TVのニュースで街角でやるインタヴュウを見ても、私は気違いのテロリストのためなんかに自分のライフ・スタイルを変えなんかしないと息巻く一般市民が多く、その姿勢はいっそ感動ものなのだが、しかし、ハロウィーン・パレードである。やる者も見る者もほとんどが仮装しており、何かあっても誰がやったかなんて誰もわからない。ここに白い粉をまいたのは誰だ!? あのフランケンシュタインです、なんて洒落にもならない。きっとフランケンシュタインの格好をしている者だって何十人もいるのだ。何かあるならハロウィーン近辺が危ないとあれだけ言われているのに、それでもやるか。

しかもパレードはヴィレッジを北上してきて、私の勤めるオフィスのすぐそばが終点である。去年は退社時間にこのパレードが盛り上がった時間と重なってしまい、歩道が封鎖されており、たった2ブロック先のサブウェイの駅にたどりつくまでにこの世のものとも思えない扮装をした者たちに揉まれ、迂回に迂回を重ね、20分くらいかかった。今年は去年の轍は踏むまいとなるべく早くオフィスを出たおかげで、パレードの先頭がまだ近くまで到達してなく、迂回も混雑もなしにサブウェイにたどり着けた。それはそれでよかったのだが、借り出された警官の数が尋常でなく、すれ違う3人に二人は警官という感じで、これだけ厳戒態勢で挑めば、そう簡単には悪いことはできまいという感じは確かにした。

しかし、それでもなあ。こんだけの数の警官に時間外手当を支給して、それでも多少の不安を抱えながらパレードをするくらいなら、いっそキャンセルした方がよくないか? だいたい、見物人よりそれを取り締まる警官の方が多いパレードにやる意味があるのか。大多数の市民は君子危うきに近寄らずで、今年は路上での見物を控えている者の方が多いというのに。パレードに参加する者の数も今年は昨年ほどじゃないと聞いたぞ。それに、警官に払う割り増し手当ては我々一般市民の税金から出ているんだろう? と、何だか釈然としないものを感じながら家路についたのであった。この日は事件らしい事件もなく、その点ではよかったのだが。





 
 
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