8 Women (8 Femmes)
8人の女たち (2002年10月)
8 Women (8 Femmes)
8人の女たち (2002年10月)
昨年「まぼろし (Under the Sand)」を見て、アメリカにはほとんど知られていないフランス人監督がまだいるんだなと思っていたら、その監督のフランソワ・オゾンの最新作が公開されている。この人、やたら多作の才人のようで、本当に矢継ぎ早に新作を撮っているようだ。「8人の女たち」は、カトリーヌ・ドヌーヴ、イザベル・ユペール、ファニー・アルダンのようなフランスを代表する女優を揃え、しかも半分ミュージカル、半分ミステリ仕立てであるそうで、もしかしたらこれは仏版「ゴスフォード・パーク」になったかもと、淡い期待を抱いて劇場に出かけた。
雪嵐の吹き荒れた翌日、久し振りに田舎の家に帰ってきたスゾン (ヴィルジニー・ルドワイヤン) を母ギャビー (カトリーヌ・ドヌーヴ)、祖母 (ダニエル・ドリュー)、妹キャサリン (ルダヴィン・サニエ) らは暖かく迎える。ちょっと気難しいおばのオーグスティン (イザベル・ユペール) も相変わらずで、住み込みの賄いのシャネル (ファーミン・リチャード) の他に、新しいメイドのルイーズ (エマニュエル・ベアール) もいた。しかし、スゾンが帰ってきたその日、愛する父が背中を短刀で刺されて死体となっているのが発見される。降り積もった雪の中、犯人は彼女らの中に誰かに違いない。皆が疑心暗鬼になっているところへ、父の妹ピエレッテが出現し、話はますますややこしくなるのだった‥‥
いやあ、びっくりしてしまいました。オゾンが一作ごとに作風を変えるカメレオン作家だというのは聞いていたが、これはいったい‥‥一軒家で起こる殺人事件 (たった一人登場する男性が殺されてしまう) をめぐるいわば一幕劇なのだが、いきなり登場人物が唐突に歌いだすミュージカル仕立てでもある。しかしミュージカルというには音楽の部分が少なすぎるし、とにかく出演者が歌い始めると、アメリカン・ミュージカル並みにダンスを見せるのではなく、ほぼ正面切ってカメラ目線で歌われると、見ているこちらの方が思わず目を反らせたくなる。しかもやはりなんとなくシャンソンっぽい音楽で、確かにこれでは派手なダンスは踊れまい。それに歌の部分の始まり方も終わり方もやたらと唐突で、歌い始めたらいきなり周りが暗くなって本人だけにスポットライトが当たったり、歌い終わった途端周りがまた明るくなる。完全な舞台的作りで、これ、映画でやる意味あるのかなと思ってしまう。
しかし、だからといって映画っぽくないかというとそうでもなく、こういう雰囲気や印象をまとっている映画は他にも確かになくはなかったよなあと思っていたら、そばであくびを噛み殺しながら見ていた女房は、見終わって、まるでノリがヒッチコックの映画みたいだったという。え、まさか、そんな、と思っていたが、言われると、確かになんかヒッチコックのタッチってああいう感じに近いところがある。なんというか、「8人の女たち」とヒッチコックで最も似ている点は、どちらも確信犯であるというところだろうか。遊びであろうが伏線であろうが捨てエピソードであろうが、すべてわかってやっている、みたいなノリが共通しているのだ。間のとり方や50年代のテクニカラーっぽい発色も、わかっててわざとやってるんだろう。
それにフランス人って、トリュフォー以来、なぜだか皆ヒッチコックを崇拝しているようなところがある。私が学校で映画製作を勉強している時も、同じ学年にいたフランス人留学生は、卒業製作にヒッチコックの「ハリーの災難」をもじったタイトルをつけてオマージュを捧げていた。いずれにしても、女房がヒッチコックみたいと言ったために、なんか私の頭の中でも「8人の女たち」はまるでヒッチコックが作ったミュージカルみたいな印象に塗り替えられてしまった。もっとはっきり言ってしまうと、「8人の女たち」は、ヒッチコックが作った、失敗したミュージカルみたいな感じになってしまった。「ゴスフォード・パーク」はいったいどうなってしまったんだ。
それでも、こういう遊び心を発揮する作品を撮れるというのは、オゾンがそれだけ認められているということだろう。ミステリ仕立てのミュージカルという企画が通り、それにドヌーヴやユペール、アルダンなんて大御所の女優が出演を快諾するというのは、オゾンのネイム・ヴァリュウの賜物であるに決まっている。こんな企画、新人監督が立てたら出演する俳優は一人もいまい。因みに私たち夫婦がヒッチコックに似ていると感じたこの映画、その後でちょっと他の人の批評を読んでみたら、マックス・オフュルスやダグラス・サーク、ヴェンセント・ミネリ、スタンリー・ドーネンからルイス・ブニュエル、果てはライナー・ウェルナー・ファスビンダーまでの類似や影響、あるいはパロディが指摘されていた。これにニコラス・レイなんて足しちゃってもいいかも。オゾン自身も古いアメリカン・ミュージカルに触発されたとインタヴュウで答えているし、「まぼろし」の前に撮った「焼け石に水 (Water Drops on Burning Rocks)」なんて、ファスビンダーの戯曲の映像化である。やっぱなんかどこかで見たことがあるような気が始終したのは間違いではなかったのだ。ついでに言うと、インタヴュウでオゾンは日本の現在の映画作家からも影響を受けたと答えていた。いったい誰の影響を受けたのだろう。
しかしここでのポイントはオゾンはまだ35歳ということで、その歳で上記の監督の作品をいったいどこまで吸収しているから恣意的にこういう作品が撮れるのかということである。彼より少し年上の私ですらリアルタイムで見ているのはファスビンダーしかなく、あとは全部名画座通いをして見た監督ばかりである。オゾンだって似たり寄ったりだろう。それでこういう作品を撮るのは、過去の名匠によほど思い入れがあるのか。いや、やはりオゾンの多才さを示しているだけのような気がする。名監督へのオマージュというよりも、名作のパロディという感じの方が濃厚だ。
でも、まあ、私の女房はつまらなかったと声を大にして言っていたが、私はそれほどつまらなかったとは思わなかったのも事実である。これだけけったいな作品をたまに見るのは、まあ、たまにだからいいのだが、それでもなんとも微笑ましく、楽しい気分にさせてくれる。結局父の正面顔は最後までスクリーンに映ることはなく、8人の女性だけで最初から最後まで通してしまったり、最後は出演者全員で手を繋いでカーテン・コールみたいな遊び心も横溢している。まあ、ややもすると遊び過ぎのどこぞの頭でっかちの作品に所々見えないこともないが、「まぼろし」の監督がこういう作品を撮るという懐の深さを垣間見ることができただけでも、まあ面白かった。でも、今度はまたもうちょっとシリアスな作品が見たい気がしないでもない。