放送局: PBS

プレミア放送日: 10/9/2007 (Tue) 21:00-23:30

製作: グラナダTV

製作: マイケル・アプテッド、ビル・ジョーンズ、クレア・ルイス

監督: マイケル・アプテッド


内容: 7年毎に英国の同じ人間を観測するシリーズ最新版。


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映画監督として数々のヒット作を手がけているマイケル・アプテッドは、ライフ・ワークと称して7年毎に人の一生を定期的に撮り続けるドキュメンタリーの「ジ・アップ」シリーズも手がけている。詳しくはこちらに書いたので再度詳述は控えるが、その手法を駆使してアメリカでもこちらは特に成長して結婚したカップルに焦点を当てた「メアリード・イン・アメリカ」も手がけており、実はドキュメンタリー作家としての方が、映像作家としての名声は高いという印象を受ける。


1964年に端を発するその「アップ」シリーズは、現在、撮り始めてからついにシリーズ第7弾に達し、つまり、登場人物が7 x 7の49歳になった最新版「49アップ」が公開された。公開、という言葉からもわかるように、このシリーズ、ドキュメンタリーでしかもほとんど宣伝などされないのにもかかわらず、単館とはいえまず劇場公開され、それからTVにかかる。根強いファンがいるのだ。


とはいえ私は特にこのシリーズに親しんでいるわけではない。噂や名声はよく聞くが、まずなんといってもアメリカ発音におもねらないクイーンズ・イングリッシュは、私のようにまだまだ英語に苦しんでいる者にとってはかなり鬼門で、けっこう単語を聞き逃す。そのため集中力が続かない。ドキュメンタリーは映像である程度の話の展開が読めるドラマ作品とは異なり、登場人物がしゃべっていることを理解しないとさっぱり話がわからなくなることがよくある。クローズド・キャプションが普及してくれて本当にありがたい。


そういうわけで、前回「42アップ」の時は、既にこの作品の名声を聞き及んではいたのだが、なんとなく見るのが億劫でパスしていた。どうせ見ても半分以上は何言っているかわからなかったと思う。とはいえ、それに内心忸怩たるものを感じていたのも事実で、いつか機会があればこの雪辱を晴らしたいと思っていた。その機会が7年後にようやくまた回ってきたわけだ。なんだかあっという間だったような気がする。


英国には、「Give me a child until he is seven and I will give you the man (7つになるまでその子を預けてもらえれば、私はその子を一人前の人間にしてみせよう)」という言い回しがあるそうで、「アップ」シリーズのそもそもの製作の動機や7歳毎という区切りは、ここから来ている。要するに7年あれば物事は変わるという前提に立って、では実際に7年毎に人がどう変わるかを検証してみようじゃないかというのが狙いだ。


そして選ばれたシリーズの登場人物は元々は14人いたが、そのうち二人はドロップ・アウトし、「49アップ」では残りの12人の現在が紹介される。7歳の時の幼い子供たちが長じていく様が、CGの助けを借りずに、事実として淡々と綴られる。たぶんたった一人でも結構見ものになったと思うが、「アップ」シリーズの場合、1ダース以上の人間、全員英国人ではあるが、それでも異なる階級出身の男女が、それぞれどういう経験を経て成長していったかが紹介される。


全員一言で言えば市井の人々であり、社会的に重要な立場や職に就いていると言えない者もないではないが、しかし、やはり全体的な印象は、英国のどこにでもいるようなごく普通の人々だ。そういう当たり前の人々が当たり前に成長し、職を手にし、職を辞め、結婚し、あるいは結婚せず、子供を持ち、離婚し、仕合わせな家庭を築き、世捨て人同様になり、再婚し、国外に越し、家を持ち、そして年老いていくことの意味、あるいは意味なぞないことを浮き彫りにするのが「アップ」シリーズだ。


それにしても約半世紀前、これらの登場人物を選び出した時、もちろん異なる階級からの人間を選んでできるだけ幅を出すという方策は当然とられたろうが、子供たちが長じるに連れて本当に唖然とするくらい差が出てくる。少なくとも彼等が7歳の時には、少なくとも全員距離的にはそう隔たってはいない場所に住んでいたのだ。それが現在ではアメリカに移住した者もいるため、単純に住む世界がまるで違う。


もちろんそうやって今の彼らの現状だけを出されても、私のようにシリーズを初めて見る者にとっては何がなんだかわからない。そのため、ちゃんとそれぞれの人物を紹介する時には一人一人の来し方をシリーズのあちらこちらから抜き出してきて再度紹介する。別に初めて見る者でなくても、7年前に見たものの細部まで覚えている者なぞほとんどいないだろうから、それまでの記録の抜粋は毎回いくらかはやらざるを得ないだろう。そこで記憶を新たにして、へえ、こいつがこんな風になったのか、あの子がこんなになるなんて、なんて驚きを覚えるわけだ。


このシリーズの最大の驚き、あるいは発見は、実はいかにも当然のことであるが、今でも名もなき市井の一市民と、今ではアメリカのどこぞの大学で教鞭をとるノーベル賞級の頭脳の持ち主でも、一人の人生という点において優劣も軽重も意味も、まったく等しい、あるいは、比較することにほとんど意味のないことを現前に提出せしめてみせることだ。どこに行こうが人は迷うしどこにいても人は仕合わせになれる。うすうす知ってはいても確信するには難しいこれらの定理を、番組はいかにも当たり前のように映し出す。半世紀の時間をかけて証明した自然の摂理が目の前にさらされる。そうだったのか。一般的にドラマティックと言える人生もあれば、他人の目には退屈と形容されそうな人生もあるが、それらに深く目を向け、過去を重ね合わせることでまた違ったものが見えてくる。


このシリーズの価値は、実際にこれだけの時間をかけた事実の集成にあるということは論を俟たない。後世の人間がどんなに努力しようとも、永遠に「アップ」シリーズを超えることはできない。なぜなら後世のフィルムメイカーがどれほど時間をかけて新たな視点から新たなシリーズを撮ろうとも、「アップ」シリーズは常にその先を行っているからだ。登場人物にはいまだに独身の者もいれば、孫がいる者もいる。それらの人生の意味や優劣なんて誰にも決められないし、本人ですらわからない。そしてさらに7年後 (既にもう5年後だが) の第8作「56アップ」では、それらの人生にまた大きな転機が起きていないとは限らないのだ。


こないだケン・バーンズの「ザ・ウォー」を見た時も、時間をかけて丁寧に撮ったドキュメンタリーってすごいよなあと思ったものだが、時間をかけるという点では「アップ」シリーズを超える作品は存在しないし、今後も現れるかは疑問だ。この作品に言及した評を読む度に、必ず皆判で捺したように次の「56アップ」がどうなっているかを云々するので、そんな先の長い話、と不思議に思っていたのだが、実際に見るとそれもわかる。この次彼等がどうなっているか、痛く想像力を刺激されるのだ。さて、彼らは「56アップ」ではどうなっているのか。







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49 Up


49 アップ   ★★★1/2

 
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