21 Grams


21グラム  (2003年11月)

ポール (ショーン・ペン) は心臓を冒されて移植手術を受けなければ明日にでも死ぬかもしれない身だったが、ついにそのドナーが見つかり、手術を受け、一命を取り止める。そのドナーは交通事故によって死んだ男のもので、ポールは探偵を雇ってドナーの身元を探し出す。その事故で夫と二人の娘を一度に失った女性クリスティーナ (ナオミ・ワッツ) は、ショックから立ち直れていなかった。一方、事故を起こしたジャック (ベニシオ・デル・トロ) は何度も刑務所入りした過去があり、宗教に打ち込むことによって更生していたが、事故を起こしたことにより、何ものをも信じられなくなっていた‥‥


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一昨年、「アモーレス・ぺロス」で鮮烈なデビューを飾ったアレハンドロ・ゴンザレス・イナリツの新作。「アモーレス・ぺロス」も未来のない世界でもがく者たちを描く重い内容のドラマだったが、今回も神様にも見放された男、一瞬にして愛する夫と娘を失った女、そして自分の心臓にも裏切られる男という、やはり現実世界で生きる術と理由を見失った者たちによる重厚なドラマが展開する。


作品は冒頭、ワッツ演じるクリスティーナと、ペン演じるポールが裸でベッドにいるシーンで幕を開ける。その時点ではポールの心臓が悪く、クリスティーナがポールに心臓を提供した男の妻であることもわからない。次のシーンでは今度はデル・トロ演じるジャックも加わって、血まみれのポールの回りで二人が右往左往している様が描かれる。それから話は過去を遡り、また現在に戻り、あるいはその間を何度も時間を交錯させながら進む。小説を読んでいる感覚に近いが、文章で説明できないため、こういう構成をとると話がこんぐらがりやすい映画という媒体でこれをしてもそれほど違和感はないのは、作品内で登場人物の環境がだいぶ変わるために、その時々の髪型や外見でだいたいの時間軸が推測できるためだ。その点で、全体を通してあまり外観が変わらないワッツが絡むエピソードが、最もそれがいつ起こったことかを把握しにくい。


ペンは今年話題になった「ミスティック・リバー」にも出ているわけだが、考えたらその監督のクリント・イーストウッドも、昨年、「ブラッド・ワーク」で心臓移植を受けた元FBIプロファイラーを演じていた。しかし「ブラッド・ワーク」では、イーストウッドはFBI引退後、悠々自適にヨットで独り住まいしていたし、心臓を提供した人物の姉がイーストウッドを探し出して捜査の依頼を頼まなかったら、イーストウッドが心臓の提供者の近親者と関係になることはなかっただろう。やはりペンの方が血が濃いようだ。


ペンはその「ミスティック・リバー」とこの作品とで、アカデミー賞主演男優賞級の作品が続けて公開されてしまった。どっちでノミネートされても強力な候補となるだろうが、票が割れてノミネート漏れするようなことがないかどうかだけが気がかりだ。「ミスティック・リバー」では、泣きの演技のシーンで涙が流れないことが気にかかったが、ここでは病院のベッドで横になったまま身動きもままならない状態で、目じりからうっすらと涙がこぼれる。その涙の芸細さで、私の一票は「21グラムス」だな。


基本的に「ミスティック・リバー」も「21グラムス」も、暗い、未来のない物語だ。最後、どちらも生き残った者はとにかく生きていく、あるいは生きていかなければならないのだが、私の印象では、「21グラムス」の方がまだ前向きである。「リバー」でも「21グラムス」でも主要な人物が死ぬ代わりに、一方で元の鞘に収まったカップルとかがあるし、これから始まる生もあるなど、決してマイナスの部分だけを感じさせて終わるわけではないのだが、この微妙な印象の差は、物語の骨太さ、作り手のエネルギーの大きさ、思い入れ、あるいは枠にはまりきれない余剰な部分に因っているという気がする。「めぐりあう時間たち」でも、人が死ぬわりには見終わった印象は前向きという感触を受けたが、それと同じだ。イーストウッドの「リバー」の場合、演出が手慣れて隙がなく、うま過ぎるので、そういう過剰な部分を感じさせない分だけ、逆に話の悲劇性だけが際立ってしまうのだ。


演じる俳優ではペンばかりでなく、ワッツもデル・トロもいい。ワッツは「マルホランド・ドライブ」に続き、今回も脱いでの熱演である。「リング」の成功によって、ポピュラー路線でも現在かなりの売れっ子になっており、ケイト・ブランシェット、ニコール・キッドマンと共に、今や豪州女優三羽烏の一角を占めると言っていいだろう。現時点ではブランシェットが頭一つ抜けているという感じがするが、キッドマンはもたもたしていると今にワッツに抜かれてしまうかも。デル・トロはこの作品でもまたオスカーの助演男優賞にノミネートされてもおかしくない。トミー・リー・ジョーンズと共演した「ハンテッド (The Hunted)」ではそれほどぱっとした印象がなかったのに、インディ映画に出ると映える。巷ではインディ映画のプリンスなんて言われていたりするが、それも納得だ。


さらに忘れてならないのがペンの妻メアリに扮するシャルロット・ゲンズブールと、デル・トロの妻メアリアンに扮するメリッサ・レオで、ゲンズブールは既に30歳を超えているはずだが、彼女はやはり、美人というよりは今でも可愛いと言う方がぴったり来る。どんな服着てどんな髪型してても可愛い。もちろんただ可愛いだけじゃなく、うまく雰囲気をまとった女優に成長している。こういう成長の仕方をさせると、やはりヨーロッパ女優の方がうまく絵になる。また、レオ演じるメアリアンは、家族の生活を守るためなら何事をも辞さない妻という役どころを好演している。


メアリアンを例にとるまでもなく、最近の映画では、少なくとも精神的には女性の方が強い。いや、もしかしたらそれは昔からそうだったのかもしれないが、少なくとも最近の映画では、女性は本当は強いんだよということを描写することに吝かではない。「ミスティック・リバー」でペンは自分の過ちを悔いようとする素振りを見せているのにローラ・リニーがそれを許さず、「21グラムス」では、今度は事故を起こしたデル・トロが自首しようとするところを、妻が事故を隠蔽しようとするのだ。


イナリツは前回の「アモーレス・ぺロス」で、ヴァイオレンス描写、特にラテン・アメリカでもハリウッド並みの迫力で撮れるのかと話題になった交通事故のシーンで印象を残した。たぶん、あちこちで事故シーンのことばかりが評判になるので本人は苛々したのではなかろうか、今回も交通事故が重要なプロットとして絡んでくるのに、そのシーンは見せない。最初から絶対に事故のシーンは撮らないと決めてかかったようだ。かすかに画面外から聞こえてくる音と、それに反応する枯れ葉を始末中のアルバイトの兄ちゃんが走り去る1ショットだけで事故を描いているわけだが、この演出をうまいととるか青臭いととるかは意見の分かれるところだ。私は悪くないと思ったが、私の女房は、まるで素人の学生映画みたいと大胆にものたまった。


因みにタイトルとなっている21グラムスとは、人が死ぬ瞬間に減る体重のことで、要するに魂の重さのことだ。しかし、こないだエンタテインメント・ウィークリーを読んでたら、そういうことが本当にあるのかということについて、医者が、たわ言と一言で片づけていた。そうですか。







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