2012


2012  (2009年11月)

いくつかの著作をものにしたことのあるジャクソン (ジョン・キューザック) は、今では妻ケイト (アマンダ・ピート) と子供たちと別居中で、ロシア系の大金持ちの運転手として生計を立てていた。久しぶりに子供たちを連れてキャンプに行くはずが、寝坊した上に自分の車が不調で、慌ててリムジンでキャンプ場に向かう。そこであるはずの湖が枯れ果てているのを発見、さらにそこで出合った男チャーリー (ウディ・ハラーソン) は、世界は滅亡寸前であるとジャクソンに告げる。実際、地割れが始まり、ジャクソンと子供たちは大慌てで自宅に戻る。各地でパニックが起こり、多くの人が死ぬ。果たして本当に地球は滅亡するのか‥‥


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地球が滅亡するというノストラダムスの予言は、1999年にもあった。結局我々は本当にあったかどうか知らないその危機を乗り越え、現在を過ごしているわけだが、次の人類存続の危機は2012年に起こるという。しかも今度はノストラダムスの予言だけではなく、マヤ文明においても2012年は地球最後の年と予言されているらしい。温暖化や大気汚染、異常気象等、確かに地球は以前と同じではないというのは認めざるを得ないが、さりとてあと3年後に壊滅的事態が勃発すると言われても、にわかには納得し難い。


「2012」は現在、すなわち2009年の段階で、地球内部に、近未来に避けられない大きな地殻変動が起きるのは間違いないとしてしまう。起こるか起こらないかではなく、起こるものと決めつけてしまい、その最後のカタルシスに向かってサスペンスを盛り上げる。いわゆるミステリの倒叙法に近いやり方で、なんとなく納得してしまう。


製作が今やハリウッド特撮映画の第一人者となった感のあるローランド・エメリッヒであるので、こちらもとにかくそれを楽しみに劇場に足を運ぶ。内容に現実味があるかどうかはともかく、CGはほぼ期待通りで満足のできるでき。これでもかというくらいサーヴィス旺盛なところを見せる。


実際の話、期待していたのはそれだけだ。話としてはノスタラダムス、前回も外したからな、今回もどうだろう、当たっていると困るから今回も是非外していてもらいたいと思っている。今回に限っては話の展開にあまり現実味があり過ぎるとやばい。それでも今年はケーブルのヒストリー・チャンネルやディスカバリー等を中心に、これでもかというくらいノストラダムス/マヤの2012年の世界滅亡予言関連の番組が引きも切らずに編成される。当たるかどうかはともかく、つい気になるのは確かだ。


なんて思いながら見ていたのだが、「2012」は意外に話としてもまとまっていた。こんな奇想天外な話によく辻褄やリアリティを乗せきれるよなと思うのだが、単にアメリカのどこにでもいそうな一般家庭が、地球滅亡というこれ以上なさそうな事件の主人公となる。ごくごくマイナーな話をめちゃ大きな話に絡め、一応話がまとまっているという、この力技には感心した。いつの間にか家庭内の揉め事の話が全世界滅亡規模の話に拡大転換投影され、ほぼ違和感なく (もないが) 収まってしまう。


主人公のジャクソンに扮するジョン・キューザックは、出世作となったキャメロン・クロウの「セイ・エニシング (Say Anything)」が今年公開20年になるそうで、巷では結構その回顧特集というか、話題を聞く。特にキューザックがブーム・ボックスを抱えて登場するシーンは、アメリカの若者の気持ちを代弁する名シーンとして、クラシックとなっている。キューザックは演技者としてよりも、このシーンによってハリウッドに確固たる地位を築いた。実は「2012」でのジャクソン役も、ほとんどその延長線上にある。成長してないというか万年青年というか。また結構童顔なのでこういう役が板につく。


一方の科学者側の主人公エイドリアンを演じるのがキウェテル・イジョフォー。悪役をやらしてもどこかに良心を捨て切れないというような役をやることが多いが、ここでもそういった役柄。キレてる世捨て人DJ? チャーリーを演じるのがウディ・ハラーソンで、先月「ようこそゾンビランドへ (Zombieland)」でキレてるゾンビ・ハンターに扮していたのを見たばかり。しかし今度公開される「ザ・メッセンジャー (The Messenger)」では真面目な軍人役で注目されており、実は今年はかなりハラーソンの当たり年だった。


ジャクソンのまだ完全に別れてはいない妻ケイトの新しいボーイフレンドとして登場するのがトム・マッカーシーで、結局ジャクソンとケイト一家が元の鞘に納まるまでの刺身のツマ的な役柄ながら、捨て役にしてはわりと人情家のいい味を出している。カメラの後ろ側に回ると、「扉をたたく人 (The Visitor)」みたいな作品を撮る。アメリカ・インディ界ではニック・カサヴェテスと二分するヒューマニズム系の映像作家であり、なにやらそのことがハリウッド大作に出ても演じるキャラクターに影響しているように感じる。


「2012」はほぼ世界同時公開で、日米でも同時期に公開されているためもうほとんどの者は見ているだろうから筋をばらしてしまうと (以下、未見の者は注意)、近い将来に地殻変動によって地上が壊滅的打撃を受けるのは避けられないことが判明するが、しかしそれを知った政府が一般市民に告知することはない。崩壊が何をもってしても避けられない場合、そのことを人民に知らせることはパニックを引き起こし、いたずらに人心を乱すことにしかならないからだ。


そのためこのことはごく一部の世界各国の首脳と、超のつく大金持ちにだけ知らされる。力と、金を持っている者だけが、ヒマラヤの奥深くに建造されるシェルターに避難することを認められるのだ。そのシェルターは、実はノアの方舟を燃した巨大な船だった。その中に世界中の重要な美術品や動物を運び、おおかた水の中に没するカタストロフをやり過ごし、残された者たちだけで新しい世界を再び築こうというのだ。


実は私はここで、彼らが雪の積もる山の奥深くに秘密裏に構築しているこの船が、船は船でも宇宙船だとカン違いしていた。そうかこいつら、残る人民を見捨てて宇宙に旅立つのかとばかり思っていた。まさしく秘密基地なのだ。一見して受ける印象は007「スター・ウォーズ (Star Wars)」「マトリックス (Matrix)」の宇宙船発着ステーションで、しかも「宇宙戦艦ヤマト」を経験している日本人なら、船の形をしていてもそれを宇宙船と思ってしまう確率はかなり高いと思う。実際私の女房も、あれはただの船ではなくて宇宙船だとばかり思っていたそうだ。


それが津波がチベットを襲うという奇想天外極まれりという事態になって、いざドックを離れるという時になっても、別にロケット・エンジンに点火しない。とっととワープしないとヤバいんじゃないのかと焦るこっちの気持ちにおかまいなく、船は地球外に脱出しない。巨大な潜水艦としては機能しても、どうやら宇宙までは脱出できないようだということに気づいたのは、本当に映画も終わる直前になって、船が海の上に浮かび、沈没を免れたアフリカ大陸に向かって進路をとってからだった。なんだ、これはSFではあっても宇宙SFではなかったのだと、ようやっと気づいた。しかし、ここまで来てこれが宇宙船であっても、もう誰も別に文句は言わないのではないか。むしろアメリカ人のことだ、ロケット・エンジンに点火して宇宙に飛び立ったりしたら、満場拍手喝采で喜んだんじゃないかと思う。


それにしてもエメリッヒ、怪獣、宇宙人、異常気象と、とにかく大型特撮ものといえばこの人という感じにいつの間にかなってしまった。特に今回は地球を壊滅させる悪役がいるわけではなく、異常気象、地球そのもので、その点では最も近いのは2004年の「デイ・アフター・トゥモロー (Day After Tomorrow)」だろう。あの時は主要舞台がニューヨークの身近に見知っている場所だったため、映画を見て劇場を出た後、いつもと変わらない世界になんとなくほっとしたものだった。


今回はあまりにも話が大き過ぎたため、というか、タイム・リミットまではまだあと3年あるため、なんかまだ余裕で劇場を出てきた。こういう余裕というか危機意識のなさこそがもしかして世界を滅亡に陥れる元凶かという反省のようなものがふと頭をよぎらないではないが、しかし、どうせオレはノアの方舟には乗れないんでしょ、と拗ねてみたくもなるのだった。誰か1億人乗りの宇宙船を建造してくれ。








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